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カウベルと陽だまりの君

  まるい、まぁるい存在。冷たく尖った自分の棘まで丸くなれる気がする、気のせいかもしれない、幻かもしれない、隣にいる温かい、陽だまりみたいな君。


  うっすら目を開けて、くしゃみと共に起き上がると、ソファ下のへりに頭をぶつけた。明るいままのワンルーム。テーブルの上につけっぱなしで放送がシャッフル再生されたままのポッドキャスト。目をこすりながら時計の針を見上げた。夜中の三時。鉛のようにのしかかってくる身体のアチラコチラが痛む。そうだよな、フローリングに寝そべったのか。しくったな。


関東の冬ってもっと温かいのかと思ってた。生まれた町の冬景色を思い浮かべながら、開けたままのカーテンを片手で閉めた。朝がもうすぐそこまで来てるから。


新しい喫茶店の仕事にまだ慣れていないせいか、仕事終わりは寄り道もせずに直帰する。すぐにシャワーを浴びて、冷蔵庫を開けると、生麺のうどんに温めためんつゆ入れてをすすってばかりいる。本当にやっていけるのか不安がこみ上げてきて、人の声が聴きたくてポッドキャストを起ち上げる、それと同時に冷えた身体が温まって転寝をしていたらしい。



  地元を離れて二ヶ月。少しずつ興奮から静けさに変わり始めて、寂しさが姿を変えて転寝で夢に見るようになった。

子どもの頃の風景。今よりずっとトゲだらけだった気持ちがまた育ちはじめたのかとちくちくする胸元を掻きむしりながら、スマホで目覚ましのセットをする。

《朝までもう少し眠ろう》

  ブランケットを引きずりながら、ベッドまでたどり着くと「僕」は瞼を閉じながら何故かほっとしていた。夢の続きが見れるなら、会いたい。そうだ、まだ忘れてない、あの面影、あの声。胸の真ん中でまだ遠くに行っていない気がしてほっとしている。


  父さんと2人でのんびりやってた実家の喫茶店が懐かしい。カウンターの上に並べられたオルゴールや砂時計を時々磨きながら、窓の外をみて天気によってBGMをえらぶ。ジャズが好きな父さんは、そればかりかけるけど、こっそりドラムやベースが跳ねる音楽も混じってかける。遊びがあっていいな、って、思われたいじゃないか。でもその変化に気づいてくたのは、いつもオルゴールと砂時計を眺めながら話す幼なじみだけ。回転率はゆっくりでゆったり時間を過ごす人が多いから、僕はBGMで遊んだり、サイドメニューのベーグルを焼いたりする。
のんびりしている父さん譲りのせいか、お客さんとゆっくり話すのが好きだ。というか、僕は気の利いた言葉を探せないままお客さんが教えてくれる面白い話に耳を傾ける。

 小さなこの店が好きで父さんの傍らで手伝うのを大学生の頃に決めて、それから数年何の変化もなく日々は過ぎて行った。飼い犬のハナは相変わらず帰るとすぐに散歩をねだるし、父さんは仕事終わりにパイプを吸う。でも咳き込んだりよくするよな、と思っていた今年の秋口。突然、父さんが知り合いの店に僕の就職を決めて来てしまった。

猛反対、絶対嫌だと言う前に、父さんの表情と滲み出る静かな声が響いた。

「行ってこい」



  俺たちの会話を聞いているみたいにカウンターに金具の取っ手が鈍ったオルゴールがライトで光る。もう音の全てを鳴らせなくなったのに、一番好きだと母さんが言ってた。カノンのオルゴール。

オルゴールと砂時計は母さんが趣味で集めたものだ。

◇◇◇◇

雨がひどく降る木曜日。僕は気が付くと学校にも行かず、カウンターに座って砂時計ばかり手に取っていた。溢れてくる涙は拭っても拭っても消えなくて、瞼を腫らす。何度も砂時計をひっくり返し、時間が戻したいと何度も願うはずが、反対に早く過ぎて何もかも忘れてしまえばいいと考えるたびに、どれも本当の自分ではない気がして、ちぐはぐで濁った感情が身体中を蝕んでいくのをごまかして過ごしていた。砂時計の上の砂が下の器に落ちていく様模様はまるで母さんがカウンターで淹れている珈琲みたいで何度も砂時計を逆さまにして繰り返した。もう父さんは店を1週間閉じたままだ。家に居ると知らない人が出入りするので、身の置き場もなくて、がらんとした薄暗い店で弾けないオルガンの鍵盤を叩いて時間が過ぎるのを待った。


カラコロカラーン


お客さんから貰ったスイス土産。牛の首に付ける鈴『カウベル』が店の裏口に付けてある、裏口に人が入ってくる合図。それが僕の耳に響いた。

「お父さん!」

カウンターの椅子から飛び降りて裏口へ走る。そこにいたのは小春。幼なじみの同級生だ。

「あの、プリント。届けにきたよ」

小春の背中の向こう側から西日が差し込んで眩しくて俯いた。

「あ、あ、うん、ありがとう」

学校を休んでいるのに、大きな声を出せるくらい身体が動けるのを見られてバツが悪くて、うまく声が出ない。

「あのね」

小春は言葉を選ぶように、そっと話す。その声がやけに店に響く。

「あのね、今日。授業で「なんのはなしですか」っていうの、やったの。来週、物語を読んでその場面を想像して絵を描くんだって。智、絵かくの上手だから。・・・一緒に描こう」

唇を噛み締めて《小春に何が分かるのか》っていう心に詰まった言葉を噛み締めて俯いた。

「じゃあ、ね」

小春は俯いて背中を向けた。僕は酷い表情に出したのを分かっているのに、小春の背中に向かって何も言えなかった。

カウベルがカラコロと音を立てて裏口はバタンと閉まった。静まり返った店の中でプリントを手にして、誰も居ない静けさを身体中に浴びながら、オルガンの椅子にがむしゃらにしがみついて声が枯れるまで叫んだ。

小春が持ってきてくれたプリント。
次に学校に行く約束。
どれも僕を取り巻く大切なものなのに、その全てが苦しかった。


この町に待っている人がいる。家族以外の人。窓に打ち付ける雨が強くなるうちに、ふと手に持つぐしゃぐしゃになったプリントの文字が滲んでいるのに気がついて、鼻をすすりながら「なんのはなしですか」と僕は呟いた。

小春との約束がたしかに僕の胸を叩いた。


 ◇◇◇◇

翌日も、その次の日も、来る日も来る日も、小春は細い小路側の裏口から入ってくるようになった。何にも話さないで砂時計やオルゴールを触って、時間を過ごす日もあれば、用意してきたプリントを指差して「こことここは大事だよ」と同じ事を10回くらい繰り返す日もあった。僕は世話をやかれているぞ、と思った。分かるんだから、と、口をへの字にして「同じこと何回も言わなくても分かるから」そう言うと「じゃあ返事して!」怒った声に反応して、僕も声を大きくする。

 「小春の弟じゃないから!お姉ちゃんぶらないで!」

「お姉ちゃんて呼ばないで!」

ぷい、と裏口を出ていくのに翌日もケロッと入ってくる小春を待ってる僕がいる。

きょうだいはいないけど、いたらこんななのかな。でもな、小春はちがう。きょうだいじゃない、友だちだから大切なんだ。

幼い僕の胸は名前の知らない感情を捉えることができないまま、会う度に丸くなるこの気持ちを毎日待ちわびていた。

そしてある日。

「明日の朝、迎えにくるね」
「え」

こんなぼさぼさ頭の僕のまま、小春が毎日来てくれるから、それがずっと続けばいいとさえ思ってた。外へ行きたくないと思ってた。

「明日、7時半にね。迎えに来るから」

「お姉ちゃんみたいに言うなよ」
精いっぱいの八つ当たりだ、抵抗だ。

「だって私、妹いるもん。お姉ちゃんだもん」

想像してみた、今までと変わった日常と、クラスの席に座っている自分。

「学校で、笑えないかも」
「うん」
「みんなと一緒に遊べないかも」
「うん」

「智が疲れたら私も一緒に休むから、一緒に行こう」

そういう言いながら、椅子から降りるとランドセルを背負って帰り支度をする。時計は夕方の四時半、小春は帰って晩ご飯のお手伝いをする時間。
おばあちゃんと妹の三人暮らし小春は、気づいたらお父さんもお母さんもいなかった。理由は知らない、聞けない。だけど小春はいつも優しくてまぁるくて、何でだろう、どうして泣かないのか不思議なくらいに、まぁるい円を描くような存在だった。側にいると、いつも温かい気持ちになる。

僕にとって春のひだまりみたいな子。


  店から帰ると家のリビングの常夜灯の下で父さんはパイプをふかしている。父さんが話しかけてほしくない時の仕草なのを知ってるから黙って、部屋のある二階へ駆けがった。
僕が学校を休んでいるからか、父さんがお店を休んでいるからか、親子どちらともなくお互いに日常を休み始めてしまった。布団にくるまって朝がくるまで、怯えながら明日学校の教室で、小春の前で笑えるかどうか不安になった。

◇◇◇◇

朝になって、重力に逆らったままでいるヘアスタイルの父さんが焼いてくれた目玉焼きと食パンの耳をかじる、白い湯気がふんわりとたったコーンスープ。幸せの象徴みたいな物は全部偽物みたいに目に映る、だって目の前にはだらしなさを絵に書いたような父さん。前はこんなじゃなかったのに、そんなこと思ってたって仕方ない。重たい口を開いた。

「今日、学校行ってくる」
「あ…ああ」

僕は寝れなくて虚ろな視界の目を擦って、もう一度力を振り絞って目を覚ました。

「普通でいれないと思うけど、今までを思い出してやってみる。それで、ちょっとずつ、慣れたらいい…かなって考えた。」

父さんは黙って僕の顔を見ている。
「ああ…そうか」

頷いて淹れたての珈琲カップに口をつけた瞬間、飲めないまま、いつかの僕と同じように突っ伏して泣いた。父さんの涙をみて僕は涙を堪えた。

◇◇◇◇

ランドセルを背負って母さんと選んだ靴を履いた。重い、鉛みたい。
父さんは玄関の柵を開けて、手をひらひらと力なく振る。ちょっとお化けみたいな父さんの手にバチンとハイタッチした。

「いってぇな」
「あ、はは。ごめん」

父さんは力なく笑った。でも、笑った。あのカウベルが裏口で鳴った日、母さんを呼ぶよりも父さんと叫んだ自分の声に驚いた。目の前にいるはずの父さんが知っている人じゃなくなるのが怖かった。元の様に笑って欲しいなんて思わない、だって、僕だってできてない。

僕も父さんも知っていた、分かりたくなかった、未来が不安だらけだってことに。父さんも僕も強くないのを嫌ってほど思い知らされた。この先だって分からないことに藻掻いていくのをもっと知っていく、それが分かるから外に出るのが怖くて堪らない。

「とーもーー!おはよーー!」


小春が大通りの先で手を振ってる。

「おはよう」
声が震える。

後ろを振り返ると父さんが目を細めて笑ってたから、僕は一文字にした口の奥歯をギリギリッときつくきつく噛み締めた。父さんに向かって大きく手を降った、何度も何度も。

◇◇◇◇

それからすぐに我が家に「ハナ」って名付けたトイプードルがやって来た。いつの間にか一緒に暮らした『タナベさん』と家族のように過ごした。タナベさんはいつか店を開くから遊びに来てな、と指切りをして別れた。家族が一人またいなくなったみたいで寂しかったけど、タナベさんがいなくなった分を僕が手伝い始めた、家事に店の片付けに。出来ることはそれくらいしかなかったけど、大人になったらもっと沢山出来るようになると思っていた。

だけど、ふと時々思うんだ。ここに母さんがいたら、って。


高校生の頃。登下校中に駅のホーム、電車の中、うっすらと覚えている面影を探した。もう面影も形を変えているのに探しても戻らない幸せがあることを知っていても求めてしまう。母さんは、今どこかで幸せに笑っているんだろうか。

  いつも誰かを想う事は繋いでいた手を離す瞬間が背中合わせになっている気がして、簡単に恋焦がれる事が出来なかった。右手でつり革を掴んで電車で揺られながら自分の足元を見る、履き慣れたスニーカー、くたびれた通学鞄、イヤホンから流れる音楽に体を預けて目を瞑る、流行りの曲はよくわからない。何で愛や恋の歌ばかりが溢れかえっているのか分からないまま聴き続けた、心の中は埋まらない、流行りの歌だけが耳に残って心を揺らす、留まることをしないでくれというように。誰か一人を大切に想いたいのに想ってはいけない気がするのは、自分の中に誰かを裏切るかもしれない恐怖が眠っていそうで怖いからだ。

「智」

イヤホンの奥から声がする、つり革を掴む右手越しに視線を向けると小春が笑ってる。

「立ったまま寝てたの?」

僕とは違う高校の制服を着てる小春が隣でこっそり笑いかける、バイト帰りらしい。部活は?って聞くと、おばあちゃんが腰を痛めてから仕事できなくなって部活は休みがちになったらしい。そういえばこの前から飲食店でバイト始めたって言ってたっけ。皿洗いの後で指がふやけてるのがカーディガンの袖から少し見えて、視線をやると、小春は僕の視線に気づいたのかそっとカーディガンの袖を伸ばして隠す。誤魔化すように、眠い、課題できるかなと窓の外を見てボヤいてる。

今、思い出してもあの時の小春に何かできただろうか、隣でつり革を必死で掴んで降車駅に着くまで言葉を探していたのに何も思いつかなかった。僕はいつもそうだ、言葉を探してる。

小さい頃から丸く見えてたはずの小春の足元が崩れそうになっていても何も言えないまま見送るしかできない。

電車を降りて駅を出ると、街灯の下で手を振りあった。

「またね」

背中を向けた後に、小春の方を振り返ると小春が俯いて暗闇の中を足早に駆けていく。小さな街路樹が並ぶ先に細い道へ向かっていく、その景色の上に小さな明るい金星が見えた。

願うばかりでは現実を、環境を、変えられないのは知っていても、目の前に光る星に幸せを願わずにいられなかった、丸い、丸い、君の存在を誰も奪わないで欲しい。見えなくなるまで見送って次に空を見上げた時、名前のなかった僕の想いに小さな明かりが灯った。

  恋しさを初めて知った夜、自分にも分からない初めて芽生えた愛しさをどう抱きしめていいのか分からずに苦しくなった。



高校を卒業して、小春にいつ恋人が出来ても不思議じゃなかった。おばあちゃんを看取った後に妹のお弁当や身の回りの世話をしながら会社員になって、どんどん小春は僕の知らない世界で生きていくのに、何故か火曜の夜だけは子供に戻ったみたいにハナを連れて小春を駅まで迎えにいく。この時間に浸っていると自分に染み付いた苦みが一枚、一枚、剥がれていったんだ。


旅立つ日の前日。父さんが珈琲を淹れてくれた。父さんも僕も昔のように涙は出なくなったはずが、目の前にいる父さんの目尻が濡れているように見えたんだ。タナベさんが僕と一緒に働くのを楽しみしていると伝えながら笑う。


  ねぇ、父さん。僕たち頑張ってきたよ、男二人でさ。あ、ハナもいたね。ごめん、ごめんな。甘えたかった、もっと教えて欲しかった、でも余裕なかった、わがまま言えないよ、父さんだってこの十六年、自由は無かったじゃないか。いつの間にか目尻にしわが増えて老眼鏡が似合ってる。

「この珈琲一杯、五千円な」

「た…っかいな」

どんな幻の珈琲も手の届かない夢のような味。今日を一生忘れたくないと願った木曜日。スマホの画面に片道切符の乗車が明日に迫っていると着信通知のランプが青白く光っていた。

あの日みた金星の下を走る陽だまりの君と離れたくないとカップを持ちながら願う夜。きっと今夜は眠れそうもない。

《つづく》


◯コニシさん回収の最後に長めの記事を投稿してごめんなさい。熱量あるうちに読んで欲しくて投稿させてもらいました◯

カウベルの音が好きだったのに、我が家にあったベルは何処にいったのでしょう。笑 
物語を描いている途中で身の回りでいろんな事が起きました。わたしはできれば夢をなくさずにいたい。現実のほろ苦さを知っても無くしたくないものがあるなぁ。
小春の《まぁるい》はいい子の丸さじゃなくて、飾り気のない丸さみたいなものです。じゃらじゃらしてるのもかっこいいけど自然体でいれるのに憧れます。

chimo

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