見出し画像

🇫🇷モン・サン=ミシェルMont Saint-Michelに想いを馳せて。私の追憶と共に。。🥺💘

かつて私はフランスに旅行✈️に行った時、兼ねてから行きたいと思っていたフランスの聖地であるモン・サン=ミシェルMont Saint-Michel)に行った。

モン・サン=ミシェルはパリから高速道路を使っても混み状況によるが4時間半~5時間の道のり。かなりの距離である。

当日私と友人はツアーに入り、朝8時に出発。丁度今頃の時期でフランスの朝の8時はまだ薄暗く夜が明けないまま出発🚌💨

道中、ガイドのフランス在住30年以上という初老の日本人男性がモン・サン=ミシェルがどうして出来、その場所が巡礼地になったのか⁉️とかなりの詳しい歴史について説明をしてくれた。

バスの中からみたモン・サン・ミッシェル

午前8時は早朝ではないが毎日の過密なスケジュールで私と友人は旅行も終盤だったせいか睡魔に襲われ、ほとんど寝ていたのでまともに説明を聴いていなかった。

だから改めてここでモン・サン=ミッシェルの歴史を簡単に説明しようと思う。

到着したのが丁度お昼過ぎ。
とても爽やかな日だったと記憶しています

観光バスを降りて島を渡るにはかなり遠いので、ピストン運動するシャトルバスと馬車がある。

シャトルバスは座席が少なめ。

モン・サン・ミッシェルに着いてからも、修道院の入口までかなりの上り坂の為、さらに修道院の中でもかなりの距離を歩くことになるので、馬車が有効。


世界遺産
であるモン・サン=ミシェルはフランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の一部として1979年に登録されている。

モン・サン・ミッシェル修道院はゴシック様式がメインですが、長い間の増改築でゴシック様式の他にノルマン様式・ロマネスク様式などその時代時代を反映した異なる建築様式を随所に見ることができる特殊な修道院でもあり見所満載の建物です。

モン・サン・ミッシェル修道院の入り口
なぜか友人が常に私の前を歩くのでいつも彼女が写りこんでいます📸
どこもかしこも坂と階段の連続でした!
ここでもまた前に友人の後ろ姿が写りこんでいます📸
どこもかしこも坂、坂、坂。
1300年の間に幾千万の人が登っては降りた道。感慨深かったです!

フランスの西海岸に位置し、ノレマンデー地域圏(マンシュ県)サン・マロ湾上に浮かぶ小島で潮の満ち引きで島に歩いて渡れたり出来る特別なところ。

間違って潮が引いていると思って渡っている時に潮が満ち出して命を落とす巡礼者もその昔はかなり多かったそうです。

潮が引いた遠浅の時
一番眺めがいい場所📸
修道院の高台からみた
ノルマンディー地方の平原の景色

建てられたのは、
今から1300年以上前で、聖オベール司教という人の枕元に何度も大天使聖ミカエルが現れ、初めは信じなかったのだが、3度目に現れた時「この岩山に聖堂を建てよ」との啓示を受け、西暦708年に海上に聳え立つこの岩山に修道院を建てたのが始まりだといわれている。

何世紀にも渡って増改築した修道院 

この建物は西暦1000年~1010年にかけて建てられたそうで、尖塔の先端には黄金のミカエル像が設置されているのですが、
これは比較的に新しい、1897年にエマニュエル・フレミエによって作られたものだそうです。
右手には剣。そして左手には秤を。
(小さくて見えにくいですが下の写真のてっぺんに付いています⬇️)

北に面したこのゴシック様式の3階建てもの。この建物は17年という短い期間で建てられたそうだ。その為に「ラ・メルヴェイユ(驚異なるもの)」という名前が付けられたそうです。


それから何世紀にも渡って11世紀~13世紀にゴシック様式の僧院が建てられ、ほぼ現在の姿の原型が13世紀に完成した。

大聖堂

祭壇を安置する身廊は、建造時はロマネスク様式だったものが1421年に崩壊し、百年戦争の後にゴシック様式で再建されましたのが今の姿。
とても天井が高くて、そこにいるだけで身が引き締まるようか厳粛な雰囲気を醸し出していました。
聖堂は80mの土台の上に建っており、この土台の下には礼拝堂があって聖堂を支えています。
柱は6mの太さがあり、太柱の礼拝堂とも呼ばれているそうです。
        ⬆️Internet参照

ここは建物の3Fにある修道士達の食堂ですが、ベネディクト会の戒律は非常に厳しかった為、ここでの食事時も無言でいなければならなかったそうです。

修道士達の食事室
回廊から中の中庭が見える憩いの場所
この回廊の柱は、2本の柱で一組の列柱となっていて、その柱が少しずれている。それによって回廊が永遠に続くかのような錯覚をもたらすと言われています。
ラ・メルヴェイユの3階部分にあるこの中庭の回廊は当時神の空間ともみなされ、修道士たちは瞑想の場となった。その当時修道士達は瞑想しながらここを歩いたといわれています。

英仏百年戦争(1337~1453)の時には、イギリスの侵入を防ぐ要塞としても使われたそうだ。

この大きな車輪は牢獄だった時に使われていたもので、囚人の食糧を運搬するために使われたそうです。元々は修道僧の納骨堂があった場所だそうです。

その時のイギリス軍が捨てていった大砲や弾が、現在も残されている。

オベール司教と大天使聖ミカエル
のレリーフ
ここは2階の部分で天井部分しか撮せませんでしたが、騎士の間と呼ばれ、元々は王族や貴族など身分の高い信者を受け入れた迎賓の間。ですが、普段は修道士たちの仕事部屋として使われていたそうです。天井と一体化したような柱の構造が面白く、なぜか天井ばかりを写した写真です📷
随所に祈りの場が設けられています
暮れかかるモン・サン・ミッシェル
どこかもの悲しい憂いを秘めている…🍃

フランス革命(1789)の時以降しばらくの間は修道院は廃止されて1863年まで、国の監獄としても使用された曰く付きの修道院でもある。

その後、修道院は荒れ果てていたが、ヴィクトル・ユゴーが紹介したことで、1865年にナポレオン3世が再び修道院として復元され現在に至っている。


先も紹介したように、この修道院は、満潮時に島全体が海水でつつまれ島への行き来ができなくなり、潮が満ちるのも知らずに渡ると潮が満ちて亡くなる巡礼者があとを絶たず、1870年になって、ようやくフランス本土と島をつなぐ道路ができた。それ以来、この修道院はフランス・ノルマンディー地方の有数の観光地となった。

モン・サン・ミッシェル島の入り口
この時は工事・修復されていました
昔ながらの修道院までのお土産やさんのお店が立ち並んでいますが
坂道の上道幅が狭い
巡礼者はモン・サン・ミッシェルに来ると必ずこのお店のフワフワのオムレツを食べるのが唯一の巡礼者の楽しみ。

この有名店「ラ・メール・プラール」 は千年に渡ってこの地に本店を構えている。私たちは流石にここのお店でのランチは叶わず、島に渡る前のレストランでランチ☀️🍴

この時も満席🈵でした
レストラン🍴から望む
モン・サン・ミッシェル
モン・サン・ミッシェル名物
フワフワのスフレのようなオムレツ
ランチメニューのメインディッシュ
デザートのチョコレートムース
私の一番のお気に入りの写真
このノルマンディー地方は
シードルが有名でワインではなく
リンゴのお酒のシードルです🍷

モン・サン・ミッシェルの滞在時間は2時間足らずでしたが、フランスに行ったらどうしても行ってみたかった場所。

沢山の観光客や巡礼の方々がいらして、聖地に行けたことに感動し、昔の人の偉大さと信仰とは人の拠り所であり、支えであり、生きる糧。

今は便利な世の中ですが、当時の人は信仰があるからこそ、様々な苦難に対しても堪え忍び神に仕える。

宗教は人間にはなくてはならない道しるべ。あの壮大な石造りの建物が全てを物語っています。

最後は時間がなくてガイドさんに急かされて買ったモン・サン・ミッシェルの私の記念品。

それは毎朝主人とのコーヒータイムで使うペアのマグカップ😊

これを遣う度に見る度に当時の思い出が甦ります。。🥺💘

私の大切な想い出のマグカップ☕


⬇️こちらはあつこつ@ルシャルム🌈様のオススメ記事です😊合わせてご覧くださいませ🙇♥


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集