最後の恋になればいい 第5話
店のドアを開けると里見さんがカウンターに座っていて、マスターは料理をしていた。視線をフライパンに向けながら、マスターが「いらっしゃいま……」と言いかけるけれど、私の顔を見るとすぐに「げ」と嫌そうな顔をした。
「あ、芽生ちゃん!」
里見さんが人懐っこい笑顔で手を振ってくれる。
既に腹を括っている私は二人のそんなやりとりもそこそこに、深々と頭を下げた。
「あの、昨日は本当に申し訳ございませんでした!」
マスターと里見さんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔で私を見ているけれど、私はお構いなしに続ける。
「家まで送っていただいたみたいで……本当にありがとうございました! もう金輪際このようなことがないよう善処します。こちら、お詫びの品です。地元の銘菓なんですけど美味しいんで是非! あとこちらのジャケット、クリーニングしてきたので!」
「お、おお」
圧倒された様子でマスターがジャケットとお菓子を受け取る。
よかった、受け取ってもらえた。
「なに? 晃、ジャケットとかかけてあげちゃったんだ。俺が車で待ってる間にやらし~」
「うるせえ。こいつがなかなかジャケット離さねえからこっちは仕方なくだな」
えっ。そうだったんだ。やっぱり昨日の私、めんどくさすぎる。
「すみませんすみません……」
申し訳なくて何度も頭を下げる。
やばい、なんか泣きそう。
「なんだ、えらく凹んでんな」
「自分の駄目さが辛くて……」
ああ、口に出すと余計泣きそうになる。
「おいおいほんとに大丈夫か?」
声が震える私をマスターが心配そうに覗き込む。
しかし次の瞬間私から出たのは、
グウ。
涙ではなく、お腹の音だった。店内がシーンと静まり返って、私の顔が一瞬で真っ赤になる。
穴があったら入りたい……。
違う意味で泣きそうになっていると、里見さんがカラッとした声で笑ってくれる。一気に場の空気が和らいでいくみたいだ。
「あはは、良い音鳴ったねえ。あ、芽生ちゃんも食ってけば? 晃の料理、美味いよ!」
「え……」
意外な提案に私は思わずマスターを見る。マスターはぶっきらぼうに、顎でカウンター席を指す。
「……座れば」
「もう、素直じゃないんだから晃は」
「うるせ」
確かに店の中は美味しそうな匂いで充満している。よく考えてみれば、今日はこの謝罪というメインイベントのためにずっと緊張していて、ろくに食べていなかった。
「……じゃあ、いただきます」
せっかくだし、と、誰に言っているのか自分でもわからない言い訳を心の中でしながら、私はマスターに言われた席に着いた。
マスターがパスタを皿に盛り、テーブルに置く。パスタからは湯気が出て、大葉とニンニクの香りが食欲を誘う。途端に私のお腹がまた鳴って、慌てておさえようとすると、それを見た里見さんが隣でくつくつと笑っている。
「……フードメニューもあったんですね。美味しそう」
「ああ。ほんとは昨日もまだ頼めたけど、めんどいからラストオーダー過ぎてるって嘘ついた」
「え、ひどっ! 詐欺じゃないですか!」
こんな美味しそうなもの隠してたなんて! あったら絶対頼んだのに。
「あ? なんだよ、いらねえのか」
「それはいります! いただきます!」
ほとんど勢いで、パスタにがっつく。「うんうん、仲良しだね~」と隣で微笑んでいる里見さんと、「あ? どこをどう見たらそう思うんだよ」と眉間に皺を寄せるマスターを尻目に、私は次の一口が止まらない。なんだ、なんだこのパスタ。
「美味しい!」
思わず顔を上げると、マスターと目が合った。照れくさいのか、マスターはすぐに視線を逸らしてしまう。
「ね? 俺の言った通り、美味いっしょ。晃の料理」
「はい! 天才です!」
「んな大袈裟な……」
マスターが頭を掻く。これも照れ隠しなのだろうか。態度に似合わず、結構照れ屋なのかもしれない。
また一口パスタを食べる。噛みしめるごとに、体がほこほこと温かくなっていく心地がした。カップラーメンやコンビニ弁当だって美味しいけれど、やっぱり目の前で人が作ってくれたものを食べるのって、全然違う。
「私こんなに栄養のありそうなもの食べるの久しぶり……」
「あ~。まああの部屋だもんな」
「え、見たんですか!?」
「そりゃ見るだろ。誰が運んでやったと思ってんだ」
「え~晃ずるい! 俺も芽生ちゃんの部屋見たかった!」
「お前は黙ってろチャラ男!」
徐々にマスターと里見さんの言い合いになってきて、私は残りのパスタの誘惑に勝てず、言い合う二人を余所にがっつく。
ああ、美味しい……。絶妙な塩加減……。出来るならずっと食べていたい。
「……あ、食べ終わっちゃった。ごちそうさまでした」
私が空になった皿をマスターの前に置くと、マスターは「早くね?」と少し引いている。
「うち早食いの家系なんです……んっ!」
急に喉が詰まって、息が苦しくなる。がっついたと言っても自分ではそこまでの勢いじゃなかったと思っていたのだけれど、朝からろくに食べれていなかった体は急な食料の供給に驚いてしまったらしい。マスターがさっと水を入れて渡してくれる。
「あ、ありがとうございます……」
「ゆっくり飲めよ」
マスターに言われた通りゆっくりと水を飲む。すると、すうっと、店に入る前に抱えていたモヤモヤも一緒に自分の中に落ちていったようなスッキリ感に包まれた。
「元気出た?」
里見さんが私を見ながら、優しく言う。
「……元気、なかったですかね」
「なかったね~。晃、おかわり」
「ん」
マスターが里見さんからグラスを受け取って、お酒を継ぎ足している。
改めて二人を見ると、二人ともしっかりと自立した大人の男性だ。見た目だってかっこいい。きっと彼女を作るのにも苦労しないんだろう。
「……マスターと里見さんは、彼女いますか?」
私がそう聞くと、マスターは少し呆れたように息を吐く。
「女ってそういう話ほんと好きな。飽きねえの」
お腹が満たされた私はマスターのそんな態度にもへこたれない。自分でも理由はわからないけれど、酔っていてもいなくても、何故かマスターには強気でいけるのは変わらないみたいだ。
「飽きません。私にとっては大事な問題なんで。で、彼女いますか?」
「はいはい! 俺はいます!」
里見さんが元気よく手を挙げる。続いてマスターの方を見ると、皿洗いをちょうど終えたところだった。マスターは私の視線に気付くと、腕組みをする。
「……いない」
「いつから?」
「3年くらい」
「その3年前付き合ってた彼女とはどうやって出会ったんですか」
「覚えてねえ」
「そんなわけないです。学生時代からの付き合いでしたか? それとも社会人になってから? 友人のご紹介? 合コン?」
詰め寄る私にげんなりした顔でマスターはグラスを磨き始める。
「俺は~大学からの彼女と遠恋中です!」と明るく教えてくれる里見さんに頷いて、またマスターを見る。
「……めんどい」
「いいからいいから」
マスターは一歩も引かない私に諦めたようにグラスを置く。
「……社会人になってから。初めて入った会社で出会った」
なるほど、つまりそれぞれ学生恋愛と社内恋愛。
なんだ、そんなの。
「どっちも参考にならない……」
それは私が一番欲しているルートだ。だけどそれが出来ないから、お見合いパーティーに通っているのだ。
「てめえふざけんなよ。人が言いたくもねえことを仕方なく話してやったってのに」
「まあまあ晃」
大型犬が威嚇をするように、マスターが怒りの表情を見せる。
でも、だって。
「友達の紹介とか合コンで出会ったって言うんならコツが聞けるかと思ったのに」
「コツ?」
「そういうルートで出会った人を好きになるコツです」
「あんたなあ」
「なりたいんです、私。そういうので好きに」
「あ、じゃあさ。お見合いとかは?」
「あ~それもありですね」
「親父とかお袋の世代は結構普通だよね」
「確かにこの人と結婚しなさいって親に決めてもらった方が楽な気もしてきました……。ね。像さん」
机の上の像の人形に話しかける。昨日触ろうとしたらマスターに怒られたから、今日は話しかけただけだ。
「大分拗らせてんな」
「7年も恋愛してないとね……。あ~。あれが私の最後の恋だったんですよ~。もう無理だ~」
絶望しかなくて、机に突っ伏す。別に親に結婚を急かされているわけでもない。だけどなんとなく、しないと申し訳ない気持ちになる。なのにその肝心の相手が、どうしても出来ない。
マスターの視線をつむじに感じる。また呆れられているのだろう。当然だ。昨日の失態のお詫びに来たはずなのにまたこんな話で困らせているのだから。いい加減、自分でもどうにかしたいと思っているのに。
するとマスターから降ってきた言葉は意外なものだった。
「あんたは恋愛してなくなんかねえよ」
「え」
思わす顔を上げる。里見さんが隣でニヤニヤと「あれれ~? どうしたの晃」とからかっているけれど、マスターの視線は真っ直ぐ私に向いている。
「あんたが次にいけない理由、教えてやろうか」
「は、はい」
「次の恋、次の恋って、口では言ってるけど、実際する気がないからだよ」
里見さんが冷やかすように口笛を吹く。私は何故か、周りに誰も他の人はいないのに、周りの目が気になって焦り始める。
「そ、そんなことないです。現にお見合いパーティーだって合コンだって何度も……」
「じゃあそこで出会ったやつらとどうして何もなかったんだよ。一度も連絡取り合ったりデートしたりしなかったのか?」
「そ、それは。何度か……」
「じゃあそいつらは何が悪かったんだよ。普通に日常生活で出会うのと違ってお見合いパーティーやら合コンやら、そういうのは最初から付き合う付き合わないの前提で出会うんだろ? 付き合おうと思えばいくらでも付き合えたんじゃねえのか」
グサグサ、触れられたくないことばかり見事に言語化されて、胸を突いてくる。
嫌だ、暴かないで、これ以上は。
「あんたは最初から他の人を好きになる気なんてないんだよ。だってまだ好きなんだろ? 7年前のそいつが。次にいけないんじゃない。もう想ってる人が心にいるから、次もクソもねえんだよ」
やめて、言わないで。ずっと見ないフリをしてきたのに。
「う……」
涙で世界がぼやける。
「あ」と言う里見さんの声とマスターの少し慌てた顔。まるで昨日のデジャブだ。
自分で面倒で迷惑だとわかっているけれどどうしようもなくて、私はまた机に突っ伏して泣く。
「晃が泣かせた~!」
「ちがっ……俺は思ったことをだな!」
「そんなこと私が一番わかってるんですよ~! でもどうにもならないからこうやって足掻いてるんじゃないですか~!!」
「悪かったって。俺が悪かった。な?」
宥めようとしているマスターの声が聞こえるけれど、7年分溜めていた気持ちはそう簡単には止まらない。少しずつ零れていたものが一気にドバッと溢れていくようだ。
そう、私の心には、まだずっと、変わらない熱量のまま卓也がいる。こんな気持ち、認めたところでなんの意味もない。空しいだけだ。
だけど初めて誰かにそのことを気づかれて、こうして言葉にされて、事実を認めてしまうと、泣きながらもどこか、スッキリしていく自分も確かにいた。
* * *
「やだ、行かないで……」と、眠っているのにも関わらず今にも泣き出しそうな顔で、切実な声で、俺のジャケットをこいつが掴んだのは、つい昨日の夜の話だ。
結局こうなるのか。
俺の車の助手席で、昨日突然現れて大暴れした客……綿貫芽生が眠っている。こいつは今日もやって来て、随分しおらしくなったとか思えばまた大暴れして、今はこれだ。今まで溜まっていたものを吐き出すように大泣きして、落ち着いてきた頃に別の客が入ってきたからその相手をしていたら、こいつの方を見ると熟睡していた。ケンと二人がかりで起こそうとしたけれど全く起きる気配はなく、結局俺は今日も、こいつをマンションまで送ってやっている。ガソリン代でも請求してやろうか。
「おい、着いたぞ。おい」
こいつのマンションの前まで着いて、車のハザードランプを押し、道の端に止める。肩を揺すってみても、「ん~……もう食べられない」と、綿貫は寝言を言うばかりだ。ムニャムニャと、柔らかい餅のような頬が動いている。
「いつまで食ってんだ」
「いひゃ! いひゃい~!」
こいつほんと大袈裟だな。
少し頬をつまむと、さすがに綿貫は起きた。
「今日は部屋までは運ばねえからな。自力で歩け」
俺の言葉の意味も、今どういう状況なのかもまだ理解出来ていない様子の綿貫はキョロキョロと辺りを見回している。
「マスター……? え、あれ!? 私、また!?」
「二度と迷惑かけないんじゃなかったっけ」
そこまで怒っているわけでもないけれど、ついついからかい混じりで言葉が出てしまう。
「すみません……」
綿貫は思ったより俺の言葉を重く受け止めたらしく、一気に顔色が悪くなる。
「てかあんた、途中から完全に謝罪で来たこと忘れてたよな」
「う……。すみません……」
どうやら俺に場を和ませる才能はないらしい。綿貫は申し訳なさそうに縮こまっていくばかりだ。
すると、グゥッと綿貫の腹が鳴る。
本日3回目。こいつ本当によく食うな。
「な、泣いたらまたお腹空いちゃったみたいです~あははは……」
綿貫の乾いた笑いが車内に響く。こういう時、ケンならもっと上手いことやれるんだろうけれど、生憎今日、あいつは彼女を迎えに行くから朝早いとかで先に帰ってしまった。
「この時間からまた食う気かお前」
「……さすがにやめときます」
「そうしとけ」
やっぱり俺じゃ、こんな言葉しか出てこない。ほんの数時間前も、俺の言葉のせいでこいつを泣かせてしまった。こうして今日も送ってやったのは、自分の中で、泣かせてしまったことへの罪悪感があったからかもしれない。
とは言え、俺は間違ったことは言っていないと思う。しかし間違いじゃなければなんでも言っていいというわけではない。あの場ではこいつのことを思って言ったつもりだったけれど、結果こいつにとっては泣くほど認めたくないことだったんだし、今思えば、きっと余計なお世話だった。昨日、夢にうなされる綿貫の悲痛な表情や声が妙に頭に残っていて、それをどうにかしてやりたいなんて、柄にもなく思ってしまったのがそもそもの間違いだったのか。
「……あの、マスター」
「ん?」
「今日はありがとうございました。なんか……ちょっとスッキリしました」
「……ああ、そう」
「はい。あ、でも私はいいけどマスターは怖かったですよね。すみません……」
「何が」
怖かったのはあんたの方だろ。いきなり昨日出会ったばっかの男に説教されて。なんでそれでスッキリしてんだよ。そんでお礼とかいらねえし。
「何がって……。フラれてちょっとの間引きずってるんならまだしも、こんな何年もうじうじ元彼のこと言ってる女、怖いじゃないですか。キモいですよね。すみません、こんなやつの相手させて」
こいつ好き勝手暴走したと思ったらこうやって自己肯定感めちゃくちゃ低いこと言ってくるんだよな。大丈夫なのか、情緒。いったい元カレはどんなフり方したんだよ。
「別にキモいとも怖いとも思ってねえよ」
「え」
「フラれて寂しいから~ってふらふら男渡り歩くヤツよりよっぽどいいんじゃねえの。そんな何年も一人のヤツのこと想い続けられるってすげえことだよ」
元カノがあっさり次の男を見つけて去っていったものだから、余計に思う。あんなにエネルギーを使って7年も一人の人を想えるなんてすごいことだ。話から察するにもうその元カレとは何年も会えていないし、その間色んな出会いがあったにも関わらず、だ。そこまで想える人、俺は今まで出会ったことがあっただろうか。ないから、こいつの挙動から目を離せないのかもしれない。今まで出会ったことのないタイプの人間だ。
「マスター……」
多少俺の言葉が響いたらしい。綿貫は感動したように俺をじっと見ていたが、すぐに首を横に振り、「でも好きでいたって望みないし」とまたネガティブな方向に行ってしまう。
「本人に聞いたのか。望みないって」
「そういうわけじゃないですけど……。でも普通に考えたらそうじゃないですか」
「あのな、普通じゃないことなんていくらだって起こるんだよ。あんたが何年も引きずってんのだって普通じゃないんだろ? だからずっと認められなかったたんだろ? ほら、普通じゃないこともう起こってんじゃねえか。それもこんな、身近過ぎるくらい身近にだぞ」
「でも、それとこれとは……」
「なんだよ? 違うってか? そんなことねえだろ。同じ恋愛の話なんだから。てか、普通ってなんだよ。もし今、元カレに相手が仮にいたとして、明日には別れてるかもしれない。今突然、何かの拍子であんたのことを思い出すかもしれない。一度は惚れた女なんだから、元カレのツボにあんたはハマってるってことだろ。望みないわけじゃねえよ」
「……マスターって、結構ポジティブですね」
目を丸くして綿貫が俺を見る。そんなに変なことを言っただろうか。
俺は綿貫の元カレのことを1mmも知らないけれど、こんなヤツと付き合ったら、そんな簡単に忘れられないんじゃないかと直感で思う。だから勝手に元カレになったつもりになってしまって、こんなにすらすらと言葉が出てきたんだろう。けれどそんなことを言うのはそれこそキモいから、言葉の代わりに俺は綿貫にデコピンする。
「いたっ」
「痛くねえだろ」
「痛いです。もう、マスターはデコピンしたり手の甲叩いたり、暴力的ですよ」
「大袈裟な……」
「大袈裟じゃないです! あれですよ? そういうのがDVとかに繋がるんですよ? 知らないけど! まあマスターはそういうことはしなさそうですが」
「……何言ってんのお前」
「……わかりません」
お互い吹き出して、クスクスと笑う。下がった目尻と小さな白い歯が見えると、少しホッとする。やっぱり元気な方がこいつらしい。
「まあとりあえず、あんたはうじうじ引きずったっていいから、自分のこと責めんのやめろ。うじうじ要素が倍になってさらにウザいからな」
「そんなにうじうじとかウザいとか言わなくても」
「なに」
「……善処します」
少し唇を尖らせて、バツが悪そうに綿貫が俺を見る。実家の犬が悪さをしたのがバレた時の顔をなんとなく思い出して、自然と手が彼女の頭に伸びていた。
「よし。じゃあ今日はちゃんと部屋片づけて風呂入って寝ろよ」
「……はい」
言いながら綿貫の柔らかい髪を撫でる。触り心地まで実家の犬にそっくりだ。綿貫は無言でされるがままになっていて、手を離した頃にはグシャグシャの、マルチーズのような頭になっていた。
「はは、髪やば」
「マスターがしたんでしょ!」
「かっこいいだろ、無造作ヘアー」
怒るに怒りきれない様子の綿貫の表情も相まってツボに入ってしまい、しばらく笑っていると、髪を直した綿貫が改まって俺を見てくる。
「あの。またお店行ってもいいですか」
別に聞かなくたって勝手に来ればいいのに、律儀なやつ。
「そりゃもちろん。金落としてくれんなら」
俺も大概素直じゃないから、思わずこうやって口の悪さが出てしまう。綿貫は俺の軽口を笑ったかと思うと、急に覚悟を決めたような顔になる。
「じゃあ、お腹空かせて行きますね。おやすみなさい」
「おう。よく寝ろよ」
綿貫が車から降りて、俺の方を振り向く。さっきまで実家の犬だと思っていたその姿が何故か突然大人びて見えた。
色んな顔がある。不思議な人だ。
ペコリと頭を下げる綿貫に俺も軽く頭を下げてから車を発進させる。次いつ店に来るんだろうなんて、らしくないことを考えながら夜の街を愛車で走った。
