AIで情報収集するとき、肝に銘じておくべきこと。
なにか情報収集するとき。調べ物をするとき。
もはやGoogle検索を使うことは少なくなり、生成AIに聞くことが増えました。
かつては検索でヒットしやすいようにと、SEO対策の重要性が叫ばれていたが、昨今は検索ではなく、AIにソースとして提示してもらいやすいことの方が大事かもしれません。
私自身も、最近は分からないことや、ふと気になったことは、生成AIに聞くようになりました。少し前まではChatGPTに聞いてたけど、ChatGPT構文とも言われる独特な日本語が鬱陶しいので、最近はclaudeかManusが多いです。不動産系のエンタメ系、インプット系の動画はYouTubeで見ます。
Instagramのリールで「なるほど」と思うこともあるでしょう。
でも最近、こんなに簡単に、欲しい情報にアクセスできてしまうことに、違和感を覚えるようになりました。
Voicyで日々、一次情報を取得しているからかもしれません。
特にこちらの放送では、インフルエンサーを信じ切って、自分で考えることをやめてしまうことへの警鐘を鳴らしております。
りんさんは普段からこのような発信をされていますが、昨日はやけにそれが印象に残りました。
私たちが接している情報は、翻訳されたものである。
SNSやAIの回答など、簡単にアクセスできるところに置いてある情報は、読みやすいように翻訳されていることがほとんど。
アカデミックな世界に触れていると、学べば学ぶほど「Aとも言えるし、この意味ではBとも言えるよな」「8割合ってるけど2割違うから、合ってるとは言えないな」という思考になっていくそうです。
私はわりと最近まで、言語化こそ賢さの象徴、とまで思っていました。
けど今は、きちんと理解している人ってのは、言語化の難しい複雑なところまで理解している人なんだと思います。
一次情報をそのまま理解できる人は、その「複数性」ごと受け取れる。 でも一次情報のまま理解できない人には、「翻訳」が必要になります。
そしてその翻訳の中では、自分の知らないところで情報の取捨選択がなされている。
結果として、こういうことが起きます。
知っている人は知っている。知らない人は、知っている気になっている。
AIもSNSも、「翻訳コストを下げる」ことを価値にしています。構造的に、複数性を潰す方向に働きやすい。それはプラットフォームの設計の問題でもあります。
「さわりだけ」と「ちゃんと理解したい」を自分で区別できるか
しかし、そういう「分かりやすい情報」を、一切排除するわけにも、もはやいきません。
この問題の受け手側の対策は、実はシンプルです。
自分で線引きをすること。
「さわりだけ知っていれば良い」であればAIで十分。
「これはちゃんと理解しておきたい」であれば、泥臭く一次情報に当たりに行く。
この判断を、自分で持てているかどうか。
危ないのは、その判断自体をAIに委ねてしまっている状態です。
「これは重要ですか?」と聞いて、「重要です」と返ってきたら満足する。重要かどうかも、AIが決める。
でも本当は、何が重要かを自分で判断できることが、「ちゃんと知る」ことの入り口です。
私自身も、その犯人です。
ここからは、受け手側ではなく発信者側の問題の話をします。
以前、ショート動画の台本を外部に委託していたことがありました。
ゼロイチではなく、言いたいことの概要は私のラジオ放送から拾っていただき、それをショート動画用に書き換えてもらっていました。
当時は、アカウント運用の目的を「集客」に置いていたので、マーケティング視点を重視して、時には「断言しすぎ」「前提条件の説明が全部抜けている」と感じる台本を書いてくれます。
しかし私はアカウントの信頼性を重視したいので、それを容認できず「そこはこうとは断定できない」と伝えると「そんなこと言っていたら、何も発信できませんよ」と返ってきました。
マーケ側の論理としては、正しい。バズるためには断言、シンプル、刺激的。それはそれで一つの合理的な答えです。
なんとか妥協点を見出し、動画を出しましたが、自分の動画に自分で嫌気が差してしまいました。それで今のトークリールスタイルに切り替えました。
言いたいこと、発信したいことはいろいろあります。
そのいろいろは、ラジオでは10分間みっちり、思ったことをありのまま話している。けど、露出する媒体を変えるのであれば、伝え方も変えねばならない。
そこで各媒体に合わせた「翻訳」が必要になってきます。
これまではその翻訳を外部委託してしまっていたのですが(反省)、自分の言葉にはちゃんと自分で責任を持てるよう、自分で台本を作る方向に切り替えました。
あのとき自分が嫌だったのは、「間違ったことを言ってしまった」への嫌悪感ではないのですが「信頼性を大事にしたいのに、分かりやすさ重視に迎合してしまっている」という、自分への嫌悪感でした。
発信は、情報を届ける手段でもあるけれど、自分がどういう人間かを示す行為でもある。そこを妥協すると、情報の正確さ以前に、自分が自分じゃなくなる感覚がありました。
不本意な翻訳の正体——4つの落とし穴
「不本意な翻訳」には、いくつかのパターンがあります。
ここでは、あえて4つに整理してみます。
ただ、これ自体が「わかりやすさ重視の翻訳」です。本当は4つにきれいに分けられるものではない。そのシニカルさも含めて読んでください。
① 複数性の圧縮
「AともBとも言える」を「Aです」にする。これが一番多い翻訳のかたちです。正確さを犠牲にして解像度を下げています。
② 文脈の剥奪
「○○という条件下での話」という前提を外して、結論だけを渡す。受け取った側はその結論を、別の文脈に持ち込みます。「内見代行は便利です」という言葉から、「どんな状況でも」という読み方が生まれる。
③ 解釈の固定
「こういう見方もできる」という話が、発信の形式上「こうです」と断言になる。時間と文字数の制約が、断言を強制します。
④ 重要度の改ざん
「例外的なケース」の話なのに、わかりやすいから前に出すと「一般的な話」に見える。目立つものが重要に見える。これが一番厄介です。
知った気になることの、どこが問題なのか
最後に、この問題の本質について。
「知った気になる」ことは、実害がないように見えます。でも実際には、「わからない」「グレーゾーンがある」という状態に、目を瞑ることになります。
本当は「Aとも言えるしBとも言える」という問題を、「Aだ」として処理してしまう。 その結果、判断を誤ることがある。
そしてこれは、受け手だけの問題ではありません。発信者が翻訳の4つの落とし穴を意識せずに発信を続けると、世の中に「不本意な翻訳」が積み重なっていく。
私が大好きな、Voicyというプラットフォーム。
ここのパーソナリティたちは、専門性が非常に高く、とても良質な情報を提供してくれているのに、他のSNSではフォロワー数が少ない。なぜだろうと思っていました。
が、この「翻訳」に違和感を持っているがゆえに、あえてSNSに力を入れていないんだろうなと、私は理解しました。
AIとSNSは、情報へのアクセスを民主化しました。でも同時に、「知った気になること」の民主化でもあったかもしれない。
その両面を自覚しながら使うこと。受け手としても、発信者としても。
それが今の時代の、情報との正直な付き合い方なのかもしれないと、思っています。
AIで情報収集するとき、肝に銘じておくべきこと。
・今自分が入手している情報は、分かりやすく翻訳されたものだと理解した上で受け取ること。
・正確な情報を受け取ろうと思ったら、「Aとも言えるし、この意味ではBとも言えるよな」「8割合ってるけど2割違うから、合ってるとは言えないな」という細部の複雑さを、まるっと受け取ることが必要であること。
・自分の頭で考えることをやめたら、終わりだということ。
では、よい1日を。
