じぶり好きにおすすめ?幻想の霧ヶ城【前田利家、岩村城をゆく】
皆々は長寿と聞いて何を思い浮かべるであろうか。
我ら日本人にとっては鶴や亀が長生きの象徴であるし、
戦国時代で申せば長生きして天下を手にしたとも言われる徳川家康殿、
そして四代将軍・家綱殿にまで仕えた真田信之殿や宇喜多秀家も長生き武将として有名じゃな、
現世においてはかつて長寿の人気者、金さん銀さんを思い浮かべるものも多かろう。
因みに名古屋城には金さん銀さんお手植えの桜があったりも致す。
此度の題目は日本一長寿の城、岩村城。
岩村城は鎌倉の動乱期に築かれて以来、明治維新を終え廃城となるまで700年以上の間現役の城として人を守り続けてきたのじゃ!
鎌倉幕府の滅亡も、南北朝の動乱も、応仁の乱による荒廃も、
そして江戸幕府による260年の泰平も、
長きにわたる武士が築いた長い長い時代の、その殆どを共に生きたのがこの美しい山城である。
此度はそんな話をして参ろうかのう
岩村城感想戦
此度の日記帳は名城の旅、十城目『岩村城』の感想戦じゃ!!
この感想戦は城についての解説は致さぬ。
岩村城について詳しく知りたいものは解説版を読むのじゃ!!
この感想戦では、城を巡った時の旅行記を記してまいる。
雨で道がぬかるんで大変じゃったとか、
豪雪の日に行ったから行き倒れるかと思ったとか、
2時間半歩いて大変だったとか、
或いは前日まで四日連続演武だったから体が重かった、であるとか、
儂の旅の感動をそのまま伝え、皆々に自らが赴いたが如き体験をお裾分けするのがこの感想戦。
もしや読んでおって楽しめるのはこの方かもしれん。
解説版で城の知識を、感想戦では楽しみ方を伝えてまいる所存である。
では、いざ参らん!!
霧ヶ城の本領発揮
100名城巡りを始め、最初に岩村城に参ったのは令和四年十月五日のことである。
此の時は秋の入り口とはいえ、高所に立つだけあって少し肌寒い中の行軍であったことを覚えておる。
恒例の前日何をしておったの時であるが、
儂の記憶が正しければ、初めてのさんたつを執筆するための撮影を名古屋城にて行っておった。

今年で四年目となった散歩の達人にて連載しておる『前田利家の戦国がたり』
今は、『どうする家康』『光る君へ』『べらぼう』『豊臣兄弟!』とその年の大河絵巻に合わせた歴史解説を行っておるが、
元々は各地の武将隊に自らの地を案内してもらうというさんたつ殿の催しの一環であってな、
そのための名古屋城取材であったな。
随分と懐かしいことを思い出したところで話を戻して岩村城の記憶について話して参ろうか。
解説版でも話したけれども、此の時は実に濃い霧が出た日であった。
これまた、朝の岩村城が見たくてな、この日は瑞浪のあたりに宿をとって早くからの進軍であった。
八時ごろには岩村につき、まだ閉まっておる城下町の飯処を横目に、
「帰りには何を食らおうかなあ」などと思いながら進んでおった。
無論のことかも知れぬが、城下町には霧がかかっておらなんだ。
故に、城下を進み城のある山を見上げた時に、暑い雲がごとし霧で包まれる様に驚いたことを覚えておる。
城下町を抜け山城を入る手前には江戸時代の藩庁であった御殿跡がある。
此の地には太鼓櫓や門が復元されておる他、岩村民俗資料館が建っておって、此の地で100名城の印判を押すことが叶うのじゃが、まだ時間が早かった故に行きは素通り致した。
山城に入る入り口は少し暗く恐ろしいのじゃが、入ってしまえば確と整備された山道と美しく整えられた木々に心を癒されながらの進軍であった。
心地よい寒さと空気の良さに感動を覚え、儂も随分と現世に馴染んだものじゃと思うた。
普段の戦場は世界有数の都市・名古屋じゃからな!
都会の喧騒から離れ自然の空気を腹一杯に吸い込むのは良いものであった。
現世の言葉で申せば、まいなすいおんを感じるというものであろうか。
此の山道は石で舗装されておって実に進みやすいのじゃが反面濡れておると滑りやすいが故に整えられておるからといって油断はせず、山の装いは忘れずにいたせ。
普通は雨の日に山城になんて行かないとか申す声は無視致すでな。
さて、此の自然豊かで穏やかな道を通っておったらば石垣が見えて参る。
此の石垣がまた美しいのじゃ。
儂が最も感動した景色と石垣は100名城の旅の七城目で紹介致した備中松山城なのじゃが、
岩村城は同じ山中の石垣であれど正反対の感動を覚えたのじゃ!

備中松山城は山を歩いておったら急に、ドーーン!

と石垣が現れるのに対し、
岩村城は、




湿度が高く苔むした森の中に段々と石垣が顕わになる、
気がついたらそこには石垣が立っておった!
の感動じゃ。
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