見出し画像

【100名城の旅、9城目『甲府城』】~関東へ放たれた豊臣の楔~

前田又左衛門利家である。

日ノ本には三万を超える城郭が築かれてきた。

その中でも遺構の多さや歴史的文化的価値が高い猛者たちは
100名城と称されておる。
儂はこの時代に甦りて皆に日ノ本の城郭、そして歴史の面白さを広めるべく、名城を巡る旅を致し、三年で100名城を制覇致した。

これよりは自ら赴いた名城の皆に伝えて参ろうぞ。
この”のおと”にて儂が巡った順に城の解説と儂の日記を届けてまいる。

9城目は東国初めての穴太石垣が残る甲府城。
それでは早速100名城の旅解説編。いざ参らん!

甲府城


此度紹介致すのは甲府城
豊臣家の関東支配の楔として築かれ、
江戸時代には江戸幕府最後の砦として重要な存在であった。

甲府城の魅力は、
『関東初の穴太衆による古石垣』
である。

甲斐の虎・武田信玄殿亡き後新たに甲斐に築かれた、関東で最初の石垣作りと呼ばれし甲府城を早速見て参ろうではないか!

交通・行き方

JR甲府駅から歩いて3分、
駅の真横が城である、
県の主要駅から最も近いのが甲府駅ではなかろうか、

甲府城の見どころ

鶴が舞う城


甲府城は石垣が実に美しい城、

広く築かれた石垣の様子が、
羽を広げ舞う鶴が如しと『舞鶴城』とも呼ばれておる。

この石垣の上に築かれた白壁が映え、富士山を背負った姿が人気の城であったそうじゃ。

多彩な復元門

そしてもう一つの魅力が復元された数多の門、


現世の城の入り口にあたる内松陰門、これは高麗門じゃな。

そして本丸を守る鉄門、これは櫓門である。

他にも埋門である稲荷曲輪門や、薬医門である鍛治曲輪門と、

復元ではあるが、一つの城で4種類の門を見られるのは甲府城の特色の一つじゃな。
大抵の城は櫓門と高麗門の二種類であるからのう!!

稲荷の跡に立つ櫓


復元されたのは門だけにあらず、
櫓も復元されておるのじゃ!
この稲荷櫓は、鎌倉時代にこの地に庄司稲荷があったことに由来しておるぞ。

甲府の歴史

武田家が築きし町

甲府城が建つこの地は甲斐国の中心地、

甲府城から四半刻ほどの距離には武田家の本拠である躑躅ヶ崎館(今の武田神社)

この地は戦国中期に武田信虎殿(信玄殿の父上)が武田家の支配が盤石となると武田家による安定した治世が行われ城下町も整備されていったのじゃ。

甲斐国は山に囲まれ、海がなく川も氾濫しやすいものばかりで水運に恵まれず栄えにくい地であったのじゃが、
信玄殿による大規模な治水工事や恵まれた金山収入、そして分国令『甲州法度之次第』による治安の維持など、民の暮らしやすい環境が整うたことで東国有数の城下町にまで発展したのじゃ!

徳川のはかりごと

信玄殿亡き後、信長様の甲州征伐によって武田家が滅んだ後には、織田家家臣にして織田家の副将の異名を持つ河尻秀隆殿が治めたのじゃが、

本能寺の変による混乱につけこんだ徳川家康殿の画策によって謀殺され、徳川殿が乗っ取る形で甲斐国を統治したのじゃ。

秀隆殿は次回紹介致す岩村城と城下町をはじめ、城造りにも長けておったために、秀隆殿が築きし甲府の城下も見てみたかったのう、、

そして徳川殿によって躑躅ヶ崎館に変わる新たな城の築城が企画されたのじゃが、秀吉の天下統一によって徳川家が関東に移封されたことで豊臣家の手によって甲府城の築城がなされることとなった。

三人目の加藤

甲府城を築いたのは秀吉家臣三人目の加藤こと加藤光泰殿である。

(一人目の加藤は清正、二人目は加藤嘉明)

甲府城は関東の徳川家や東北の伊達や最上、南部家など外様への睨みを聞睨みを利かせるとしての役割を持っておった。

故に当時の関東の城が土塁を基本とする中、
秀吉は甲府城を石垣を用いた大規模な城郭として築いたのじゃ。
光泰殿の死後には浅野家が入り築城を継続し完成。無論これが今の姿である。

関ヶ原の戦いにて国替が行われこの地には家康殿の八男・仙千代殿が入るも夭逝、続いて城主となったのは徳川殿の九男・義直殿である。

じゃが義直殿も尾張へ移封され名古屋城主となったで、代わりに二代将軍秀忠殿の三男・忠長殿が甲府藩主として甲府城に入る。

忠長殿は後に駿河を加増拝領しておって甲府城は駿河藩の支城となった。

のじゃが、忠長殿が乱行によって改易されると幕府の管理となる。
忠長殿は三代将軍・徳川家光殿と春日局の美談で語られる家督を継げなかった弟君のことであるな。

幕府直轄地となった後に家光殿三男・綱重殿が入り甲府藩復活。後に将軍を輩出する。(徳川家宣殿)江戸中期に城主となった柳沢吉保殿は名君として名高い。

その後再び享保の改革によって幕府の収入のために再び幕府領となりそのまま明治維新を迎えるのじゃ。
幕末の騒乱では交通の要所として新撰組と武田家臣の末裔を名乗る板垣退助殿がこの近くで戦をしておるわな。

して、明治維新を迎えたのちに城の大方は破却され他の城と同様に学校等の施設が作られたのじゃが、
この甲府城には葡萄酒、すなわちワイン工場が作られたそうじゃ。
葡萄は甲斐国の名産、中々地域の色が見えるおもしろき話であった。

蛇足

甲府城はいかがであったか!

穏やかでありながらも確と威厳の見える名城であったわな。

この城は新撰組や柳沢吉保殿、そして徳川忠長殿と所謂『時代劇』の悪役として描かれがちな人物達と縁が深い。

現世の印象から離れてこの者たちの生き方について改めて知る良い機会でもあろう!!

加えてこの城は武田氏館や八王子城といった他の名城とも合わせて訪れ易き地であるからのう。
是非に行ってみてほしい場所じゃな!!

儂がこの甲府城を訪れた折にはとある場所と合わせて参った。

これについては感想版の方で語って参ろうかのう!

100名城制覇まで残り九十一城

これよりの城巡りの旅も楽しみにしておれ!!

さらばじゃ!!


いいなと思ったら応援しよう!