「日程闘争」は死んでいない。ただ、地下に潜っただけだ。
国会中継を見ていると、昔と比べてずいぶん静かになった、と感じる人は多いと思う。
牛歩はない。怒号も減った。委員長席に野党が殺到する場面も、めったにお目にかかれない。
「国会が変わった」「成熟した」という声もある。
しかし、それは少し違う。
日程闘争は消えていない。見えなくなっただけだ。
今、国会で何が起きているか
2026年度予算の審議が大詰めを迎えている。
焦点は、衆議院でいつ採決するか――たったそれだけのことだ。
国民民主党の榛葉賀津也幹事長は、自民党側にこう条件を出したと報じられている。
「予算委員会の審議時間が60時間を超える16日なら、賛成する」
与党が目指すのは13日の衆院通過。国民民主党は16日を要求する。
わずか3日間のズレ。しかしこの3日が、国会政治の本質をぎゅっと凝縮している。
榛葉発言の、本当の怖さ
この発言、一見すると「条件付き賛成」に見える。
しかし少し立ち止まって読むと、非常によく設計された一手だとわかる。
まず、反対していない。「賛成する」という言葉を使っている。与党にとって攻めにくい。「なぜ協力しないのか」という批判が刺さらない。
次に、数字を出している。「60時間」「16日」という具体的な条件だ。曖昧な反発ではなく、のめるかのめないかを与党に迫る形になっている。交渉の主導権を握っている。
そして最も重要なのは、参院日程まで計算した上での発言だということだ。16日という日付は、単に審議時間60時間を逆算した数字ではない。その先の参院日程が窮屈になることも、当然わかった上での要求である。
つまりこういうことだ。
「賛成する、と言っている。ただし条件がある。その条件をのめば、今度は参院が苦しくなる」
一言で、与党を二重に縛った。
榛葉幹事長の真骨頂は、こういう場面にある。
国民民主党という「第三の立場」の強さ
しかしこれは、榛葉幹事長個人の話にとどまらない。
国民民主党という政党の、現在の立ち位置そのものを体現した発言でもある。
国民民主党は今、永田町の中でも特異な場所に立っている。
与党ではない。連立にも入っていない。しかし「反対のための反対」もしない。政策ごとに是々非々で判断する――というのが彼らの公式スタンスだ。
この立場は、使い方次第で非常に強い。
まず、与党にとって国民民主の賛成は「数の生命線」になる。
現在の国会は、衆参で全く異なる景色が広がっている。
衆議院では自民党が圧倒的な議席を持つ。単独でも法案を押し通せる力がある院だ。しかし参議院は違う。自公合わせても過半数に届かない、いわゆる「ねじれ国会」の状態にある。
予算は参議院でも可決が必要だ。衆院で強行しても、参院で詰まれば成立しない。
つまり自民党は、衆議院では「王様」でも、参議院では「お願いする側」に回る。そのお願い先として、最も現実的な相手が国民民主党だ。規模は小さくても、賛成票を持っている。しかも「条件さえ合えば協力する」という姿勢を崩さない。
**衆院で怒鳴れても、参院では頭を下げなければならない。**その非対称な構造が、国民民主党に独特の力を与えている。
かといって、国民民主は野党共闘には乗らない。左派野党とも一定の距離を保っている。
つまりこういう構造だ。
右からも声がかかる。左からも声がかかる。しかし、どちらにも飲み込まれない。
どちらにも属さないから、どちらにも売れる。
これが国民民主党の政局センスの核心だ。
そしてこのポジションは、一朝一夕には作れない。「反対しない」という姿勢を一貫して見せ続け、与党に「あそこは話が通じる」と思わせ、同時に支持者には「ちゃんと条件を取っている」と示す。この綱渡りを続けた結果として、今の立場がある。
今回の榛葉幹事長の発言は、その戦略を一文に凝縮したものだ。
「16日なら賛成する」
たったこれだけで、与党との交渉テーブルに堂々と座り続ける資格を、改めて示してみせた。
「60時間」という、誰も教えてくれない基準
予算委員会の審議時間に、法律上のルールはない。
ただし、政治の世界には「空気」がある。
50時間前後 → 与党ペース。野党は不満を持つ
60時間 → 野党が「最低限」と考えるライン
70時間以上 → 丁寧な審議、という評価になる
この「60時間」という数字は、六法全書のどこにも載っていない。でも永田町では誰もが知っている。
国民民主党の主張を翻訳するとこうなる。
「私たちは反対したいわけじゃない。ちゃんと議論の場を作れ、という話だ」
これは単なる日程の好みではない。時間を巡る、れっきとした政治交渉である。
なぜ「たった3日」がそこまで重大なのか
ここで、多くの人が見落としている構造を説明したい。
予算の成立には、こういう順番がある。
衆議院通過 → 参議院審議 → 年度内成立(3月31日)
参議院での審議には、本会議・予算委員会・締めくくり質疑・採決、これだけのプロセスが必要だ。
衆院通過が13日なら、参院には約2週間ある。
衆院通過が16日になると、参院の日程は一気に窮屈になる。
衆院で3日遅れると、参院が詰む。
では、参院が「詰む」と何が起きるのか。それが次の問題だ。
「参院軽視」という、もう一つの地雷
参議院は自らを「熟議の府」と位置づけている。
衆議院が数の論理で押し切りがちな法案を、じっくり議論し直す場――というのが建前だ。憲法上も、参議院は衆議院と対等に近い権限を持つ独立した議院である。
しかし衆院通過が16日になれば、参院に残された時間は極端に少なくなる。本会議・委員会・締めくくり質疑・採決を、文字通り「消化試合」のようにこなすことになる。
そうなると今度は参院側から声が上がる。
「審議が形骸化している」
「衆院の追認機関になり下がっている」
参院軽視の問題は、参議院議員の自尊心の話だけではない。二院制そのものの意味が問われる話でもある。
日本が二院制を採用しているのは、一院だけでは多様な民意を十分に反映できないからだ。その参議院が「時間がないから」という理由で実質的な審議を省略するなら、制度の根拠が揺らぐ。
衆院が3日遅れる。参院が詰まる。参院が形骸化する。議会全体の正統性が傷つく。
たった3日が、ここまでの連鎖を引き起こす。
「日程闘争」はなぜ地下に潜ったのか
昔の国会では、日程を巡る対立は「可視化」されていた。
牛歩、徹夜審議、委員長解任動議――映像として残る「絵」があった。
ではなぜ今は見えないのか。
理由はシンプルだ。テレビが変わったからではなく、戦い方が変わったからだ。
いまの主戦場は、国会の廊下と理事会室にある。
各党の国会対策委員会(国対)が水面下で交渉し、「○○時間やれば賛成する」「○日なら協力できる」という条件を積み上げていく。
怒号の代わりに、非公式の電話とファックスが飛び交う。
ゲームのルールは変わっていない。舞台裏に移動しただけだ。
「日程闘争」は野党だけのものではない
ここで一つ、よくある誤解に触れておきたい。
「日程闘争」というと、多くの人は野党が審議を引き延ばす場面を思い浮かべる。
しかし議会制度の観点から見れば、それは半分しか見ていない。
日程闘争とは本来、議事日程を巡る政治的な攻防そのものを指す。
時間を延ばすのも日程闘争なら、時間を縮めるのも日程闘争だ。
今回の予算審議でも、その両方が起きている。
国民民主党は「審議60時間」という条件を提示し、審議時間の確保を求めた。
一方で与党は、13日の衆院通過という日程を維持しようとしている。
理事会で合意が成立しなければ、最後に使われるのは委員長職権だ。
これは、議事日程を多数派の判断で確定させる仕組みである。
つまり今回の構図はこうだ。
野党は時間を延ばそうとしている。
与党は時間を縮めようとしている。
どちらも日程闘争である。
ただし方向が逆なだけだ。
そして多数派は、最後に議事進行を決める権限を持つ。
委員長職権が使われた瞬間、議事日程は多数派の政治判断として確定する。
国会はしばしば「数の論理」で動くと言われるが、その数が最も直接的に表れるのが、この議事日程の決定なのである。
2000年前から変わらない、政治の本質
古代ローマの元老院にも、似たような話がある。
カトーという政治家は、自分の演説を日没まで引き延ばすことで、採決そのものを不可能にした。議会の時間は日没で終わりというルールを逆手に取ったのだ。
時代も国も違う。でもやっていることは、本質的に同じだ。
「時間を支配する者が、政治を支配する」
現代の日本でも、ローマでも、この原則は変わらない。
最後に
政治ニュースを見るとき、「何が決まったか」だけを追うのは、実はあまり効率がよくない。
「いつ決まったか」「なぜそのタイミングなのか」
この視点を持つだけで、永田町の動きが急に立体的に見えてくる。
日程は、ただのスケジュールじゃない。
政治そのものだ。
