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昔々、あるところに。第五章 代償



 竜宮城での日々は、驚くほど穏やかだった。

 朝になれば天が迎えに来る。

 乙姫は笑顔で城内を案内し、昼には三人で都を歩く。

 夜になれば、竜宮桜の下で他愛もない話をする。

 いつしか太一郎は、日が何度昇り、何度沈んだのか数えなくなっていた。

 竜宮城には季節の移ろいがない。

 だからこそ、一日一日を大切にしたくなった。



「太一郎さん。」

 城下町を歩いていると、天が立ち止まった。

「どうした?」

「今日は、私のお気に入りの場所へ案内します。」

 天の後をついていく。

 都を抜け、小さな坂道を登る。

 その先には、海底から湧き出る透き通った泉があった。

 無数の泡が絶え間なく浮かび上がり、天井へ向かって消えていく。

「綺麗だ……。」

 太一郎は泉のほとりへ腰を下ろした。

 泡が頬をかすめる。

 ひんやりと心地よい。

「ここは子どもの頃、よく遊んだ場所なんです。」

 天は懐かしそうに泉を見つめた。

「昔は仲間もたくさんいました。」

「そうか。」

 太一郎はそれ以上聞かなかった。

 失ったものを思い出させたくなかったからだ。

 代わりに、小さく笑った。

「ありがとう。」

 天が首を傾げる。

「何がですか?」

「ここへ連れてきてくれたこと。」

 天は照れくさそうに笑う。

「私の夢も、一つ叶いました。」

「空を飛ぶ夢?」

「いいえ。」

 天はゆっくり首を振る。

「太一郎さんが笑ってくださることです。」

 太一郎は思わず吹き出した。

「それ、夢だったのか。」

「はい。」

 二人の笑い声が泉へ響いた。



 夕暮れ。

 今日も竜宮桜の下には、太一郎と乙姫の姿があった。

 花びらは静かに舞い続けている。

「不思議ですね。」

 乙姫が桜を見上げる。

「毎日同じ景色なのに、飽きない。」

 太一郎も空を見上げた。

「同じじゃないよ。」

「え?」

「今日は今日だけだから。」

 乙姫は少し驚いたように太一郎を見る。

「桜も、魚も、光も。」

「全部少しずつ違う。」

 太一郎は微笑む。

「だから毎日見ても飽きない。」

 乙姫は何も言えなかった。

 年を取らない自分には分からなかった感覚だった。

 終わりがあるからこそ、今日が愛おしい。

 その当たり前を、自分はもう何百年も忘れていた。



 その夜。

 太一郎は眠れず、廊下を歩いていた。

 城は静まり返っている。

 ふと、一つの部屋の障子が少しだけ開いていることに気付いた。

 漏れた灯りに誘われるように視線を向ける。

 部屋の棚には、二つの美しい箱が並んでいた。

 一つは小さく。

 もう一つは、一回り大きい。

 漆黒の箱に金色の細工。

 吸い込まれそうなほど美しい。

「眠れませんか。」

 振り返ると、乙姫が立っていた。

「あ、ごめん。」

 太一郎は慌てて頭を下げる。

「覗くつもりじゃなかったんだ。」

 乙姫は穏やかに首を振る。

「構いません。」

 ゆっくりと部屋へ入り、二つの箱を見つめる。

「その箱が気になりましたか。」

「綺麗だったから。」

 乙姫は箱へそっと手を添えた。

「私にとって、とても大切なものです。」

 それ以上は語らなかった。

 太一郎も尋ねなかった。

 聞いてはいけない気がしたからだ。

 二人は並んで廊下を歩く。

 言葉はない。

 それでも、不思議と心地よかった。

 廊下の先で足を止める。

 海の向こうを見つめながら、太一郎はぽつりと呟いた。

「ここへ来てから、不思議なんだ。」

「何がですか。」

「初めて来た場所なのに。」

 少し照れくさそうに笑う。

「ずっと昔から、この景色を知っていた気がする。」

 乙姫は太一郎を見つめた。

 その言葉が嬉しくて、苦しかった。

「それはきっと……。」

 ――この都が、あなたを待っていたから。

 喉まで出かかった言葉を、静かに飲み込む。

「どうしました?」

 太一郎が首を傾げる。

 乙姫は小さく微笑んだ。

「……なんでもありません。」



 一人部屋へ戻った乙姫は、棚に置かれた二つの箱を見つめていた。

 静かに大きな箱へ手を伸ばす。

 あと少しで触れられる、その時。

 ――ゴォォォ……

 城の奥深くから、低く唸るような音が響く。

 乙姫の笑顔が消えた。

 約束の日は、もうすぐそこまで来ていた。

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