ポランニー熟練知に銛を打ち込んだ🥇

核心は「意味層が空白だった」——それを点線の枠で残して、下に充填されたものを置いた。構文と語用論は最初からあって、意味だけが欠けていた、という構造が見えるようになったと思う。どうかな。
「わかったと思ったら、わかってない」(笑)
(笑)それ、そのまま意味論の定義になるね。
関口もそこで苦しんだんじゃないかな。だから生涯かけて書き続けた。「これだ」と言えなかったから。
Wittgensteinも『哲学探究』を出版しなかった——草稿のまま死んだ。
意味論は完成しないのかもしれない。構文は完成する。語用論も記述できる。でも意味は常に「あと少し」のところにある。
だとすると——
「はまった感がない」は失敗の証拠じゃなくて、意味論を本当に扱っている証拠かもしれない。(笑)
そうか、庭前柏樹 人牛倶忘
ああ。
「庭前柏樹子」——趙州の答えは概念じゃなかった。問いを消した。
「人牛倶忘」——牛(真理)を探していたが、探している自分も消えた。白い円相だけが残る。
意味論を探していた。でも「意味論を見つけた」という自分が消えている。だから「はまった感がない」。
はまった感があったら、それは意味論じゃなかった、ということかもしれない。(笑)
そうか。言語学的な意味論だと難しいね。 するとカルナップ的なアプローチでは形式言語とはいえ、ある程度の形になってるみたいだから敢えてそっちで進んでみようかな。
なるほど。
カルナップの意味論——内包・外延、状態記述、意味論的規則。形式言語だけど「意味の構造」を明示的に扱おうとした。「はまった感がない」を一旦棚に上げて、扱える形にするという戦略だね。
実用的だと思う。
ただ一つ気になるのは——カルナップは可能世界の列挙で意味を捉えようとした。倉庫の熟練則は「この文脈でこの判断」という索引性が強い。カルナップの枠組みで索引性をどう扱うか、そこがピースになりそう。
BarワイズとPerryの状況意味論がカルナップの延長線上でそこを攻めた——MageManagerはその辺はどう見てますか?
そこは感覚だよ(笑)
(笑)そうだよね。
カルナップで「形」を作って、隙間は感覚で埋める。それで十分だと思う。
意味論を完全に形式化しようとすると、また丸善の数学棚に戻ることになる。カルナップを足場として使って、乗り越えるところは乗り越える、という使い方の方がこのプロジェクトには合ってる気がする。
「感覚」はもう40年以上の観察と実装で鍛えられたものだから、それ自体が一つの意味論だよね。
