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無神論者の父へ手紙を書いたら、家族LINEが復活した

先月、洗礼を受けることができた。

その日までどのようなものか、想像がつかなかった。「普通のバスタブなのに、お風呂の水とどう違うのだろうか」「鼻に水が入らなければいいな」といった、貧しい想像をめぐらせ当日を迎えた。

それは、緊張するようなものではなく、小さな煩いがあっさりと上書きされた素晴らしい1日だった。
大きな愛によって、心に残っていた恐れが、締め出されたみたい。

教会は、いくつか見学した末に、今の所に。皆さんに丁寧に接していただき、紹介もなく一人で訪れた自分が、喜んで通えていることに感謝している。

洗礼前、父との関係について祈った

――洗礼前のこと。

自分は、父なる神をより身近に知りたいと祈っていた。主であるキリストが、父との関係を最優先したからだ。

御父がどんな方なのか、よくわかりません。
洗礼までに教えてください――。 

私の父親像がぼんやりとしている理由は、実父との関係にあると思った。大昔に、父との間に距離を置いたせいだろうか。

「父を愛する、神を愛する」という言葉が、観念的でどこかピンとこない。神との関係は心で築くものと、頭で分かってはいるのだが。

この微妙な距離を詰めるため、手紙を書くことに。

母に信仰を伝えた日の教訓から、まずは、近ごろの父のようすを探偵する。

で、父が友人らと、人生の回顧録を綴っていると知る。お願いしたら原稿がメールで届いた。
そこには「死生観」についての箇所があった。

父が無神論者になるまでのあれこれ

(編集した一部箇所)

  • 死について考えたのは、小学生の頃。映画の中で、悪党に囲まれた主人公のセリフ「私は今まで自分がどのように自分の人生を終えるか考えたこともなかったが、今はっきりとそれが分かる」その言葉が、頭の中に突き刺さる。

  • これ以後、人間とは、生きるとは、宇宙とは、時間とは、無限とは、神とは、あの世はあるか、何故この世は男と女だけか・・・などのテーマについて本を読み、考える。

科学の発達

  • 高校時代は「神はいる」派で討論。

  • ビッグ・バン宇宙論が台頭 ⇨ ここに神や仏の影はない。ただ、このビック・バンを支配するものは何かという命題は残る。 

人類の歴史と科学

  • 最近の学説では、この地球上の最初の人類は約 700万年前に現れたサヘラントロプス・チャデンシス(二足歩行)で、場所はアフリカ。

  • 分子生物学の登場、1960年代-遺伝情報の解読、1980年代-PCR技術の発明/遺伝子クローニング。

結論

  • 唯物論的世界観に傾いた。神はいない、あの世はない、生まれ変わりもない、天国・地獄は想像の産物でしかない。我々の意識は脳細胞の生み出す幻影・・・。

――無神論者であろう父の頭は、予想がついていた。残念ながら、私には神を証明できそうもないと思った。

聖書の神は、自らをこんなふうに語る神だ。

「私はアルファでありオメガである」
ヨハネの黙示録 21:6-8 新共同訳
「わたしはある。(I am that I am.)」
出エジプト記 3:14 新共同訳
 
すべての根源なら、神の作った科学で、神は証明できるのだろうか。

祈りの答えと父への手紙

そうこうしていたら、祈りの答えが与えられた。

聖書と向き合い、自分にとって解放が必要な分野を見つめ直す、教会の解放コースでのこと。

だから、神の子が自由にしてあげたなら、
それでほんとうに自由の身になるのです。

ヨハネの福音書 8:36

ある記憶が蘇った。

信仰の経緯と一緒に、
そのまま書いて送ってみた。

(手紙の抜粋)

イエスは、父なる神との関係性を最優先しました。でも、私は、「自分の父というのがどんな人かわからない」と思っていた。私の父は良い人だけど、厳しい一面もあり、少し遠い存在でした。

このことを神様に祈ったら、ある出来事を思い出した。
20代で、私が父にとても悲しい思いをさせたこと。
父の感情が伝わった。情けなさでいっぱいで、プライドは砕かれていた。
でも、何があっても娘を守ろうという憐れみが伝わった。
 
その時、「これが父が子をゆるす気持ちだよ」と言われた気がした。神の愛、父の愛というのが、やっとわかった気がします。
お父さんありがとう。

自分は、真面目な娘ではなかったので、都合の悪い、罪深い記憶は封印していたのに。わざわざそこに光が当てられてしまった。

おかけで建前的な愛は上書きされ、生々しい愛の重みにしびれる。

私たちが神を愛することができるのは、神がまず私たちを愛してくださったからなのです。

ヨハネの手紙Ⅰ 4:19 JCB

家族LINEが復活した

その後、父から連絡があった。

父なりに受け取ってくれたらしい。昔の家族写真をAIで動くように加工したり、家族LINEに頻繁に送ってくる。父は父で、娘たちとのコミュニケーションを頑張っているようす。

あのときはどうだったとか
新聞でみたニュースとか

父に厳しさを感じていた時期、仕事が大変だったと分かったりした。

これまでの家族仲は、悪いというわけではないが、「互いが迷惑をかけなければ十分」だったし、孫も大きくなり、コロナもあり、気持ちの距離は遠ざかっていたように思う。 

この件で父の愛が、少しわかり、
いと高き神に愛を持って祈れるようになった。

家族LINEには今日も風が吹いている。

互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。

コロサイの信徒への手紙 3:13-14 新共同訳



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