音楽に「良い」「悪い」ってあるんですか?・・という問いに答えてみる
──昔に答えられなかった問いに、今あらためて
「音楽に良い悪いって、あるんですか?」
もしかしたら、誰しも一度は考えたことのある問いかもしれません。
私も、ずいぶん昔にこんなふうに問われて、戸惑ったことがあります。
当時の自分には、それにちゃんと答えられるだけの言葉を持っておらず、困ってしまった記憶がある。
今考えてみても、これは簡単に答えられる問いではないな、と思います。
けれどあえて、今の自分の言葉で書いておこうと思います。
「音楽に良い悪いってあるんですか?」というこの問いには、
次の二つの別の観点から返答するのが適切ではないかと思います。
それは、
自分が良いと思った“何か”を、内包できているか?
それが伝わる形になっているか?
この二つのことです。
ひとつ目:
「良い」と思った“何か”を内包できているか?
もし、音楽にまったく何も自分が「良い」と思ったものを内包していないとしたら、
それはそもそも表現として成立していないんじゃないかと思います。
極端な例かもしれませんが──
「これ、なんか作ってみたんだよ」って料理を持ってきた人が、
「でも自分では美味しいともマズいとも、何とも思ってないんだ」
「だからあんたに味わってほしいんだ」
……と言ってきたら、
「この人、だいぶトボけた人だなあ」
と思われるのではないでしょうか。
普通、人に何かを伝えよう、影響を与えようと思うときには、
「これは良い」「誰かに伝えたい」と思う何かがあるはずです。
もしそれがないとすれば、表現と呼ぶには無理がある、と私は思います。
そしてここが重要なのですが、
音楽表現のコアをもつのなら、
自分が良いと感じたその“想い”をもつのなら
それは表現であり、
それ自体は尊いもので、良い悪いはない。
この観点からは音楽に良い悪いはない。
そう言えると思います。
ふたつ目:
「伝わる形」になっているか?
ここには、確かに「良い」「悪い」が存在してきます。
たとえば音楽理論には、
「繰り返しは2回まで。3回目には変化をつける」
というような、基本の作法があります。
これを無視するとどうなるか。
会話で例えてみます。
誰かが面白い冗談を言って、その場が和む。
それをもう一度繰り返しても、まあ許される。
でも、3回目、4回目ともなると──もう聞きたくない。
同じギャグを連発してくる人って、どうでしょう?
ちょっと、うんざりしてしまいませんか?
「楽しくなる感覚を届けたい」という想い自体は尊い。
けれど、この場合はその“伝え方”に失敗しています。
つまり、音楽で言えば「表現としての失敗」であり、
**その意味での「悪い音楽」**と呼ばれてしまうのは避けがたいです。
「技術」はその最初のハードル
音楽の初歩的な学習では、こうした“機能させる技術”を身につけて、
「悪い音楽」に分類されないようにするのが最初のハードルになります。
一方で、プロフェッショナルとは、
「伝わる形」に整える技術を持っている人でもあると思います。
ただし、その段階でも起こりがちなのが、
仏作って魂入れず
という事故です。
どれだけきれいに仕上がっていても、
内側にあるべき「これは良い」という想いが見えてこない音楽もあります。
それは、最初に述べた「コアを持たない音楽」の典型でしょう。
結局、どういうことなのか?
「音楽に良い悪いってあるんですか?」という問いへの、
今の私なりの答えはこうです:
作り手の「伝えたい何か」は、表現のコアであり、それ自体には良い悪いはない。尊いもの。
けれど、そのコアが欠落していれば、表現として機能していないという意味で“悪い”音楽と言える。
また、伝えたい想いがあっても、それを伝わる形にできていないなら、やはり“失敗”であり、“悪い”とも言える。
昔の自分に、こんな返答を教えてあげたかったなと思います。
……でも、あのときこの問いをぶつけてきた人に、
こんな話を返そうとしても、たぶん途中で
「めんどくせえ」って思われて終わってただろうな(笑)。
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