水彩画と御城印で巡る 日本の名城 37 徳川の北陸支配を支えた城 ― 福井城、越前大野城、佐柿国吉城

北陸の統治と防衛 ― 福井・越前大野・佐柿国吉城をあるいてみた

賤ヶ岳の戦いで **柴田勝家が滅びると、北陸の勢力図は大きく変化した。
 
**北ノ庄城は炎上し、織田家重臣による北陸支配の時代は終わりを迎える。
その後、豊臣政権、さらに徳川政権の成立によって、
北陸は新たな統治体制の中へ組み込まれていった。
 
それまでの城は、敵の侵攻を防ぐための「戦う城」であった。
しかし江戸時代の城には「領国支配」や「城下町経営」
という新たな役割が求められるようになる。
 
北陸地方もまた、その変化の中にあった。
 
越前・若狭は京都に近く、日本海側交通の要衝でもあったため、
防衛拠点としての重要性も依然として高く
徳川幕府にとって、この地を安定して支配することは極めて重要であった。
 
**福井城は北陸支配の中心として築かれ、
**越前大野城は山間部の城下町形成を担い、
**佐柿国吉城は若狭防衛の拠点として機能した。
 
これら三つの城には、戦国の緊張感を残しながらも、
「戦う城」から「治める城」へ変わっていく時代の姿が刻まれている。
 
本稿では、福井城、越前大野城、佐柿国吉城を巡りながら、
戦国終結後の北陸における統治と防衛の歴史を辿ってみたい。

福井城 ― 徳川家康の次男・結城秀康が築いた越前松平家の本拠

福井城 徳川の北陸支配を担った城(福井県福井市)

福井城は、関ヶ原合戦後、**徳川家康の次男である
**結城秀康によって整備された城である。
 
この地には、かつて **柴田勝家の北ノ庄城が存在していた。
しかし賤ヶ岳の戦いで柴田氏が滅亡すると、
北陸支配の中心は大きく再編される。
 
徳川政権成立の中で新たに築かれたのが福井城であった。
 
福井藩は、**加賀前田家への備えという意味も持っていた。
百万石を誇る前田家に対し、
徳川家は北陸支配の要として福井を重視したのである。
 
城の特徴は、広大な水堀と高石垣にある。
平城でありながら防御性を高めるため、水堀を巧みに利用している。
 
現在も大きな堀と石垣が残り、近世城郭としての風格を感じさせる。
特に御廊下橋周辺は往時の雰囲気をよく伝えている。
華やかな天守は失われたが、その重厚な構造からは、
幕府親藩としての威厳が伝わってくる。
 
また、福井城は単なる軍事拠点ではなく、北陸統治の政治拠点でもあった。
城下町が整備され、越前支配の中心都市として発展していく。
 
徳川政権の北陸統治を象徴する城――
ここは **福井城である。
 
2022年6月19日 
続日本100名城 No.137 福井城公式スタンプ取得

御城印は福井市立郷土歴史博物館にて拝受

越前大野城 ― 織田の家臣 金森長近によって築かれた平山城

越前大野城 山間に築かれた城下町を整備した城(福井県大野市)

織田信長に仕えた長近は、**越前一向一揆平定後、この地を与えられた。
彼は城を築くだけでなく、麓には碁盤目状の城下町を整備し、
領国経営を進めていく。
 
越前大野城の特徴は、その美しい景観にある。
亀山の上に築かれた城は、
気象条件が揃うと雲海の中に天守が浮かび上がり、
「天空の城」と呼ばれている。
 
しかし越前大野城の魅力は景観だけではない。
 
山城的な防御性を持ちながら、近世城下町形成の要素も兼ね備えており、
戦国から近世へ移る過渡期の城として極めて興味深い。
 
また、城下町には現在も古い町並みや湧水文化が残されており、
城と町が一体となった歴史景観を見ることができる。
 
福井城が政治の中心なら、
越前大野城は地域統治と生活文化の中心であった。
 
北陸の山間部に花開いた城下町文化を象徴する城――
ここは **越前大野城である。
 
2022年6月19日 
続日本100名城 No.138 越前大野城公式スタンプ取得

御城印は越前大野城 入場券販売窓口にて拝受

佐柿国吉城 ― 越前朝倉氏の侵攻から若狭を守った難攻不落の山城

佐柿国吉城 若狭国吉城歴史資料館 江戸期の町並みの面影が残る城跡(福井県美浜町)

佐柿国吉城は、若狭国を守る重要拠点として築かれた山城である。
 
若狭は、日本海側と京都を結ぶ交通の要衝であり、
古くから軍事・物流の両面で重要視されていた。
 
戦国時代、この地域では一向一揆勢力との激しい戦いが続き、
佐柿国吉城もその最前線となった。
 
山の地形を利用した城は極めて堅固であり、
曲輪、土塁、石垣などの遺構が現在も良好に残されている。
 
また、この城は徳川家康とも深い関わりを持つ。
関ヶ原合戦前夜、家康はこの地に滞在し、西国への備えを進めていた。
 
つまり佐柿国吉城は、単なる地方山城ではなく、
畿内と北陸を結ぶ防衛線の重要拠点であったのである。
 
実際に城跡を歩くと、山城特有の緊張感と、
若狭湾方面を意識した立地の重要性を実感できる。
 
北陸と京を結ぶ防衛拠点――
ここは **佐柿国吉城である。
 
2022年5月3日 
続日本100名城 No.139 佐柿国吉城公式スタンプ取得

御城印は若狭国吉城歴史資料館にて拝受

織田・徳川にゆかりのある北陸の三城を巡って
 

福井城、越前大野城、佐柿国吉城。
 
この三つの城を辿ることで、戦国後期から江戸初期にかけての北陸の姿が見えてくる。
 
**福井城は、徳川による北陸統治の中心。
**越前大野城は、山間部の城下町形成。
**佐柿国吉城は、若狭防衛の最前線であった。
 
つまり、
統治・城下町・防衛
 
という異なる役割を、それぞれの城が担っていたのである。
 
賤ヶ岳の戦いによって柴田家が滅び、北陸は新たな時代へ入った。
戦乱の時代が終わると、

城は「戦うための要塞」から、「国を治める拠点」へと変化していく。
 
北陸の城を巡ると、その変化がよく分かる。
 
そこには戦国の緊張感を残しながらも、
近世国家へ向かう時代の流れが静かに刻まれていたのである。

 

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