水彩画と御城印で巡る 日本の名城19 信長より早い天下人 三好長慶

戦国最初の天下人 三好長慶ゆかりの城――勝瑞城・芥川山城・飯盛城をあるいてみた。

戦国時代の天下人といえば、
誰もがまず **織田信長の名を思い浮かべる。
革新的な戦術と圧倒的な行動力で時代を切り開いたその姿は、
まさに戦国の象徴ともいえる存在である。
 
しかし――
その信長に先んじて、すでに近畿一帯を掌握し、
事実上の「天下」を手にしていた武将がいたことは、
あまり知られていない。
 
その人物こそ、**三好長慶である。
 
長慶は阿波を本拠とする三好氏の当主として頭角を現し、
やがて畿内へと進出。
将軍・足利義輝を擁立し、京都を押さえ、
政治と軍事の両面において実権を握った。
 
それは単なる一大名の台頭ではなく、
室町幕府の枠組みそのものを取り込み、支配するという、
新たな時代の到来を意味していた。
 
のちに信長が掲げる「天下布武」に先駆け、長慶はすでに畿内政権を築き上げていたのである。
 
その足跡は、決して一つの城にとどまるものではない。
阿波から畿内へ――勢力を広げていく過程の中で、長慶は拠点を移しながら、その支配を確かなものとしていった。
 
はじまりの地、阿波における本拠、**勝瑞城。
畿内進出の足がかりとなった山城、**芥川山城。
そして、近畿支配を象徴する居城、**飯盛城。
 
それぞれの城に、三好長慶という武将の歩みと、時代の転換点が刻まれている。
本稿では、三好長慶ゆかりの三つの城をめぐりながら、
信長に先んじて「天下」を掴んだ男の実像に迫っていきたい。

勝瑞城――のちに近畿を制する三好政権の「胎動の地」

勝瑞城 三好政権の原点(徳島県板野郡)

物語は、畿内ではなく四国・阿波の地から始まる。
その原点となるのが、徳島県藍住町に残る勝瑞城である。
 
現在の勝瑞城は、いわゆる天守を持つ近世城郭ではなく、
館と城郭が一体となった「居館型」の城であったことが明らかになっている。
整えられた庭園、格式ある建物配置、そして周囲を巡る堀。
そこには戦のための城というよりも、
政治と儀礼の中心としての性格が色濃く表れている。
 
実際に現地を歩いてみると、いわゆる山城とはまったく異なる印象を受ける。
起伏は少なく、空間はひらけており、
城というよりも「政庁」に近い落ち着いた雰囲気がある。
 
復元された庭園や整備された敷地を歩いていると、
戦場ではなく、人が集い、政の場であったことが伝わってくる。
 
長慶の父・元長の代より三好氏は細川氏の家臣として勢力を伸ばし、
勝瑞を拠点に四国における地盤を固めた。
長慶の代になると、その力はもはや一地方勢力にとどまらず、
畿内の政局へと深く関与していく。
つまり勝瑞城は、
のちに近畿を制することになる三好政権の「胎動の地」と言える。
 
後に「信長より早く天下人となった男」のすべての始まりが静かに息づいている城――
ここは **勝瑞城** である。
 
2022年5月15日
続日本100名城 No.175. 勝瑞城公式スタンプ取得

藍住町勝瑞 武田石油にて御城印を拝受

芥川山城――畿内支配の拠点とした戦国屈指の山城

芥川山城 長慶が畿内へ進出した拠点(大阪府高槻市)

阿波・勝瑞城を拠点として力を蓄えた **三好長慶は、
やがてその視線を畿内へと向ける。
 
その進出の拠点となったのが、摂津国に築かれた **芥川山城である。
 
現在の大阪府高槻市に位置するこの山城は、
尾根上に曲輪を連ね、土塁や堀切によって守りを固めた、典型的な戦国期の山城である。
 
平地の居館であった勝瑞城とは対照的に、
ここには明確な軍事拠点としての性格が表れている。
 
実際に歩いてみると、その印象は想像以上に「実戦的」であった。
登り始めから傾斜は決して緩くなく、
尾根に出ても細く続く道が緊張感を伴う。
曲輪の配置は直線的ではなく、わずかに折れながら連なっており、
攻め手の動きを制限する工夫が随所に感じられる。
 
派手な石垣こそないが、土の城ならではの“攻めにくさ”が、
身体感覚として伝わってくる。
 
長慶はこの芥川山城を拠点に畿内の政治へと深く関わり、
ついには将軍・足利義輝を擁立するに至る。
 
それは単なる軍事的進出ではなく、
中央政権そのものへの関与を意味していた。
 
つまりこの地で、三好長慶は「地方の有力大名」から
「畿内を動かす実力者」へと、
その立場を大きく変えたのである。
 
実際に尾根筋に立つと、
視界の抜ける場所からは周囲の地形がよく見渡せる。
眼下に広がる摂津の地、そしてその先にある京の都――
それはまさに、
自らが手を伸ばそうとする「天下」そのものだったのだろう。
 
やがて長慶は、さらに勢力を拡大し、
より広い支配を実現するために拠点を移す。
その到達点こそが、河内に築かれた飯盛城である。
 
三好長慶が歴史の表舞台へと躍り出た城――
ここは **芥川山城** である。
 
2022年4月28日
続日本100名城 No.159. 芥川山城公式スタンプ取得

高槻市は将棋の町です。御城印も販売されました

飯盛城――三好長慶が「天下」を掌握した戦国畿内最大級の山城

飯盛城 機内統治の城(大阪府大東市・四條畷市)

芥川山城を拠点に畿内へと進出した三好長慶は、
やがてその支配をさらに強固なものとするため、新たな本拠を構える。
それが、河内に築かれた飯盛城である。
 
標高約300メートルの飯盛山山頂に広がるこの城は、
尾根全体を利用した大規模な山城であり、
曲輪群が段状に配置され、要所には石垣も用いられている。
芥川山城が「進出の拠点」であったとすれば、飯盛城はまさに「支配の完成形」ともいえる存在であった。
 
実際に登ってみると、その規模の大きさにまず驚かされる。
曲輪は一つではなく、いくつもの段を成しながら広がり、それぞれが明確な役割を持って配置されていることが感じられる。
山城でありながら、単なる防御のための城にとどまらず、政権の中枢として機能していたことが、歩くほどに実感される構造である。
 
そして何より印象的なのは、山頂からの眺めである。
視界が開けた瞬間、大阪平野が一望のもとに広がる。
その広がりは、
「支配」という言葉を実感させる光景であった。
 
この地に立つと、三好長慶が何を見ていたのか、
そして何を手にしていたのかが、静かに理解できる。
それは、まさに畿内 すなわち「天下」であった。
 
三好長慶が到達した頂点――
ここは **飯盛城** である。
 
2022年4月29日
続日本100名城 No.160. 飯盛城公式スタンプ取得

大東市歴史民俗資料館にて御城印を拝受

三好長慶にゆかりのある三つの城を巡ってみて

阿波の勝瑞城、摂津の芥川山城、そして河内の飯盛城。
三好長慶の歩みを追うように、これら三つの城を巡ってみると、
一人の武将の軌跡が、地形とともに立ち上がってくる。
 
勝瑞城では、静かで整えられた空間の中に、政権の芽生えを見ることができた。
戦うための城ではなく、統治のための拠点。
そこには、すでに「天下」を見据えた気配があった。
 
芥川山城では、山の厳しさとともに、畿内へ踏み出した緊張感が伝わってくる。
細い尾根、折れ曲がる曲輪。
その一歩一歩が、まさに戦国の只中へと踏み込んでいく感覚そのものであった。
 
そして飯盛城。
そこには、到達した者だけが見ることのできる景色があった。
広がる平野を前にして、はじめて「支配」という言葉が実感を伴って迫ってくる。
 
この三つの城は、一つの流れの中にあり、
三好長慶という武将の生涯そのものを映し出している。
 
城を歩くことで見えてくるのは、単なる歴史の知識ではなく、
その場所に立った者にしか感じることのできない時間の重なりである。
 
三好長慶――
その名は決して派手ではない。
だが、戦国という時代の流れを理解する上で、
欠かすことのできない武将である。
 
 


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