水彩画と御城印で巡る 日本の名城18  四国戦国武将 長宗我部元親

土佐の出来人 長宗我部元親ゆかりの城――岡豊城、浦戸城、一宮城をあるいてみた


 
戦国時代の四国で、ひとりの武将が小さな国人領主の家から立ち上がり、
やがて四国全土にその名を轟かせることになる。
その人物が、土佐の戦国大名 **長宗我部元親 である。
 
長宗我部氏はもともと土佐の国人の一族であり、
周囲には多くの有力豪族が割拠していた。
 
若き日の元親は体格も細く、家臣からは「姫若子」と揶揄され、
武将としての評価は決して高いものではなかったと伝わる。
しかしその後、卓越した統率力と戦略によって勢力を拡大し、
「鬼若子」と恐れられ、土佐を統一するまでに成長した。
 
その出発点となったのが、長宗我部氏の本拠 **岡豊城 である。
ここから元親は土佐各地の豪族を従え、次第に領国を広げていった。
 
やがて本拠を **浦戸城 に移すと、
勢力は土佐を越え、阿波・讃岐・伊予へと広げていく。
その歩みは、四国を一つの勢力のもとにまとめ上げるまでに至った。
 
しかし戦国の勢力図は大きく変わりつつあった。
天下統一を進める 豊臣秀吉 が四国へと軍を進めたのである。
 
1585年、秀吉の大軍は阿波の **一宮城 をはじめとする四国各地の城へ迫り、長宗我部氏はついに降伏することになる。
 
こうして元親は、四国統一を成し遂げながらも、新たに現れた天下人の前に大きな転機を迎える。
 
岡豊城、浦戸城、一宮城。
三つの城を巡ると、土佐の一国人から四国の覇者へと成長し、そして戦国の大きな時代の流れに直面した長宗我部元親の歩みが見えてくる。
 
それは、四国の大地に刻まれた
一人の武将の壮大な戦国の物語なのである。

岡豊城――土佐を制した長宗我部氏の“山上の本丸”

岡豊城 四国統一へ歩み始めた城(高知県南国市)

土佐国の中央、高知平野を見下ろす丘陵に築かれた **岡豊城 は、
戦国時代に長宗我部氏の本拠となった山城である。
四国山地から続く尾根の先端に位置し、周囲を見渡せるこの地は、
土佐を支配するうえで極めて重要な場所であった。
 
元親の父 **長宗我部国親 は岡豊城を拠点として勢力を拡大し、
土佐中部に勢力基盤を築いた人物である。
 
若き日の元親は、決して武勇で名を知られた武将ではなかった。
しかし1560年代になると状況は大きく変わる。
長浜の戦いで元親は宿敵本山氏を破り、土佐中部の主導権を握ることになる。
 
その後も勢力を急速に拡大し、やがて土佐全土が長宗我部氏の支配下に入る。
岡豊城は、その一連の戦いを指揮した長宗我部氏の本拠であった。
 
城は山の尾根に沿って曲輪が連なる典型的な山城で、
土塁や堀切によって防御が固められていた。
現在も広い曲輪や遺構が残り、戦国期の山城の姿をよく伝えている。
 
土佐の一国人にすぎなかった長宗我部氏が、四国統一へと向かう歩みを始めた出発点の城――
ここは **岡豊城** である。
 
2022年8月28日 訪城
続日本100名城 No.180. 岡豊城公式スタンプ取得

浦戸城――土佐湾を睨む、長宗我部氏最後の“海城の牙城”

浦戸城 四国統一を見据えた城(高知県高知市)

土佐湾に面した浦戸の丘に築かれた 浦戸城 は、
戦国時代後期に長宗我部氏の拠点となった城である。
 
現在の高知市桂浜の近くに位置し、
海と山に囲まれた要害の地に築かれていた。
 
この城を本拠としたのが、土佐を統一し
四国全土へ勢力を広げた **長宗我部元親 である。
 
元親は当初、土佐中央部の **岡豊城 を拠点として勢力を拡大し、
やがて土佐一国を統一する。
 
その後、四国全体へと進出する過程で、本拠を海に近い浦戸へと移した。
浦戸の地は、土佐湾に面した港町であり、
海上交通の拠点として重要な場所であった。
四国各地への軍事行動や物資輸送を考えると、
内陸の山城よりも海に近い拠点の方が有利であったのである。
 
浦戸城は山と海に囲まれた丘陵に築かれ、
周囲を自然地形で守られた城であった。
 
戦国期の城としては比較的規模の大きな城郭で、長宗我部氏の勢力拡大を支える政治と軍事の中心となった。
 
この時代、元親の勢力は阿波・讃岐・伊予へと広がり、
四国の大半が長宗我部氏の支配下に入る。
こうして元親は、
四国統一を成し遂げた戦国大名として知られるようになる。
 
しかし、その勢力拡大はやがて大きな転機を迎える。
天下統一を進める 豊臣秀吉 が四国へと軍を進めたのである。
 
土佐の一国人から四国の覇者へと成長した長宗我部元親が、
その頂点に立った時代を象徴する城――
ここは **浦戸城** である。
 
2023年8月28日 訪城
浦戸城は名城指定されていないため公式スタンプなし

一宮城――土佐から四国全域へ進むための“扉”を開いた城

一宮城本丸跡 四国東部を押さえる重要な拠点(徳島県徳島市)

阿波国の徳島平野を見下ろす山上に築かれた **一宮城 は、
四国東部を押さえる重要な山城であった。
 
急峻な山の尾根に沿って曲輪が連なり、
堀切や土塁によって守られたこの城は、
戦国期の山城の典型的な姿を今に残している。
 
この城はもともと阿波の有力勢力が拠点としていた城であったが、
四国へ勢力を広げた 長宗我部元親 の支配下に入ることになる。
 
土佐を統一した元親は、本拠を 浦戸城 に移し、
四国各地へと勢力を拡大していった。
 
阿波・讃岐・伊予へと勢力を伸ばし、四国の大半が長宗我部氏の支配下に入る。
 
一宮城は、その四国支配の要衝として重要な役割を担った城であった。
徳島平野を見下ろすこの山城は、
阿波支配の拠点として機能し、四国東部の軍事拠点となっていたのである。
 
しかし、この四国統一は長く続かなかった。
天下統一を進める 豊臣秀吉 が、四国へと大軍を送り込んだのである。
 
1585年、秀吉による 豊臣秀吉の四国征伐 が始まると、
各地の城で戦いが繰り広げられた。
一宮城もまたその戦いの舞台となり、豊臣軍の攻撃を受けることになる。
 
圧倒的な兵力差の前に長宗我部氏は抗しきれず、
やがて元親は秀吉に降伏する。
その結果、四国は豊臣政権の支配下に入る。
 
山上に残る曲輪や堀切を歩くと、
かつてここが四国の戦国史を大きく動かした戦いの舞台であったことを実感することができる。
 
四国統一を成し遂げた長宗我部元親が、
天下統一の大きな流れに抗った城――
ここは **一宮城** である。
 
2022年3月25日
続日本100名城 No.176. 一宮城公式スタンプ取得

一宮城登城口の無人販売所にて御城印を拝受


 

長宗我部元親にゆかりのある三城を巡ってみて


 土佐の一国人から四国の覇者へと成長した武将がいた。島津
その人物が **長宗我部元親 である。
 
出発点は、土佐の本拠 **岡豊城 である。
この山城を拠点に、
元親は土佐各地の豪族との戦いを重ね、土佐一国を統一。
 
その後、本拠は海に近い **浦戸城 に移される。
浦戸湾に面したこの城は、
四国各地へ軍を進めるうえで重要な拠点となり、
長宗我部氏の勢力は阿波・讃岐・伊予へと広がっていく。
 
そして阿波の **一宮城。
この山城は四国東部を押さえる重要な拠点であり、
長宗我部氏の四国支配を象徴する城でもあった。
 
しかし1585年、天下統一を進める 豊臣秀吉 の大軍が四国へ侵攻すると、
戦国の勢力図は大きく変わる。
 
長宗我部元親の城を巡る旅は、
四国統一を成し遂げた一人の武将の栄光と転機をたどる旅でもあった。


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