水彩画と御城印で巡る 日本の名城2     (岩村城・備中松山城・高取城)

日本三大山城――岩村・備中松山・高取城をあるいてみた
 
人の手は、守るために山へ向かった。
登り、削り、地形を読み取り、
城は山そのものと一体になって築かれていった。
 
ここに集めた三つの城は、
いずれも「登ること」から始まる。
高さは防御であり、試練であり、
そして城を理解するための条件でもあった。
 
山に残された城は、
今もなお、その答えを静かに語り続けている。

岩村城 ーー 山は、城になる前から、すでに難攻不落だった

岩村城 まだ着かない、という感覚そのものが防御だった。(岐阜県恵那市)

山は、最初から城だったのかもしれない。
岩村城に向かう道を登りはじめると、その考えが自然に浮かぶ。
 
岐阜県恵那市にある岩村城は、日本三大山城の一つに数えられる高所の城である。標高約717メートル。
現存天守は残っていないが、その高さと石垣の規模は圧倒的だ。築城は鎌倉時代、遠山氏によると伝わり、戦国期には織田信長の叔母・おつやの方が城主を務めたことで知られる。
女城主の存在は、この城の歴史に独特の陰影を与えている。
 
岩村城の最大の特徴は、山そのものを防御線に変えていることだ。
急峻な地形に沿って曲輪が重なり、とりわけ「六段壁」と呼ばれる高石垣は圧巻である。
山城でありながらこれほど整然と積み上げられた石垣を持つ城は多くない。
攻める側は高さと曲折に阻まれ、守る側は地形そのものを味方につける。
ここでは、自然と人工の境界が曖昧になる。
 
霧が立ちこめる日、石垣は静かに浮かび上がる。
派手な装飾はなく、天守もない。
しかし、その不在がかえって想像をかき立てる。かつてこの頂に、城郭があり、旗が翻り、兵が行き交っていた。
岩村城は、姿を残すのではなく、構えを残した城だ。
 
山を登りきったとき、はじめて理解する。
この城は、見上げるものではない。
辿り着いて、立ってみて、ようやく意味を持つ。
 
岩村城は、高さそのものを防御とした、
戦国の知恵が刻まれた山城である。
 
ここは、美濃国の要衝として築かれた
日本有数の山城――
**岩村城**である。

2022年6月4日 
日本100名城 No.38 岩村城スタンプ取得

岩村町観光協会にて御城印を拝受


備中松山城 ――雲の上に現れる城

備中松山城 山城でありながら、最後まで降りなかった城(岡山県高梁市)

山の上に、これほど静かに残る城があるだろうか。
備中松山城へ向かう道を登ると、その存在の意味が少しずつ見えてくる。
 
岡山県高梁市にある備中松山城は、現存天守を持つ城の中で最も高い場所に築かれた山城として知られる。標高は約430メートル。
築城の起源は鎌倉時代、秋庭重信によると伝わり、江戸時代には水谷氏らによって整備された。
現在残る天守は1683年頃のもので、二層二階の小ぶりな姿ながら、山上に凛と立つ。
 
この城の最大の特徴は、「山城でありながら天守が現存している」という点にある。
多くの山城が石垣や曲輪のみを残すなか、備中松山城は建築そのものを今に伝えている。
高石垣の上に立つ天守はけっして華美ではなく、板張りと白壁が質実な印象を与える。
飾るためではなく、守るための構え。その潔さが、この城の魅力だ。
 
そして、条件が整った朝、城は雲海に包まれる。谷間に広がる霧の上に、天守が浮かび上がる光景は「天空の城」とも称される。
だがその美しさは演出ではない。
山の地形と気候による自然現象の中で、城はただそこに立っているだけだ。
 
天守内部に入れば、急な階段と低い天井が迎える。
観光用に整えられた空間ではない。当時の構造がそのまま残り、城が“生きた建築”であったことを体感できる。
山を登り、門を抜け、石段を上がり、ようやく辿り着く。その一連の体験こそが、この城の設計思想なのだろう。
 
ここは、岡山県高梁市に残る
現存天守を持つ山城――
**備中松山城**である。

2022年7月10日 
日本100名城 No.68 備中松山城 公式スタンプ取得

お城EXPO2021(姫路)にて御城印を拝受 


高取城 ――「人間の執念」が積み上がった城

高取城 理屈では止まらなかった作業が、石になって残った。(奈良県高取町)

山は深く、道は長い。
高取城へ向かうとき、人はまずその距離に圧倒される。
 
奈良県高取町にある高取城は、
日本三大山城の一つに数えられる高所の大城郭である。

築城は南北朝期、越智氏によると伝わり、
戦国期には筒井氏、江戸時代には植村氏が城主を務めた。
標高約583メートルの山上に本丸を置き、
その規模は山城としては異例の広がりを持つ。
 
高取城の最大の特徴は、
山中に築かれたとは思えないほど壮大な石垣群である。

苔むした高石垣は幾重にも連なり、曲輪が山の尾根に沿って配置される。
その姿は、自然を利用するというより、
自然を制御しようとする意志を感じさせる。
山城でありながら、平城並みの城郭規模を持つ点こそ、この城の特異性だ。
 
天守はすでに失われている。しかし、本丸跡に立てば、建物の不在は不思議と気にならない。
石垣の高さと広がりが、かつての威容を雄弁に物語る。攻める側は長い山道を登り、守る側は段階的に防御線を築く。
ここでは“登ること”そのものが戦略の一部だった。
 
霧が立ち込める朝、石垣は静かに浮かび上がる。
鳥の声と風の音だけが響く山上に、
かつて政と軍事の拠点があったという事実が、
時間の重みを伝えてくる。
 
ここは、大和の山中に築かれた
日本屈指の高所山城――
**高取城**である。

2022年5月4日 
日本100名城 No.81 高取城公式スタンプ取得

観光案内所「夢創舘」にて御城印を拝受

山城をあるいてみて

三つの城に共通していたのは、
高さそのものではなく、
そこへ至るまでの時間と労力だった。
山は城を飾るために選ばれたのではない。
守るため、耐えるため、
そして最後まで残るために選ばれた。
 
登りきった場所で見える景色は、
どの城でも違っていたが、
足元に残る感覚は不思議と似ている。
ここまで来なければ、
この城は語ってくれなかったのだという静かな納得だ。
 
山城は、見上げて知るものではない。
登り、立ち、振り返ったときに、
ようやくその意味を現す。
その沈黙こそが、
山に城を築いた人々からの、
いまを生きる私たちへの答えなのかもしれない。

※次回は、城と水の距離がさらに近づく場所――
海城を巡ってみたいと思います。


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