水彩画と御城印で巡る 日本の名城 49 奥州を治めた城 ― 白河小峰城、二本松城、久保田城

新時代の城 ― 白河小峰城、二本松城、久保田城をあるいてみた

戦国の動乱が終わり、豊臣秀吉による天下統一、
そして徳川家康による江戸幕府の成立によって、
日本は新しい時代を迎えた。
 
奥州もまた、大きく姿を変える。
 
伊達氏や最上氏、上杉氏など戦国大名が競い合った地には、
新たな藩が置かれ、
江戸を支える統治の仕組みが築かれていった。
 
**白河小峰城は奥州への玄関口を守り、
**二本松城は奥州南部の要衝として、
**久保田城は秋田藩二十万石の政治の中心として、
それぞれ重要な役割を果たした。
 
三つの城を巡ると、
戦国の舞台であった奥州が、
徳川政権の下で安定した統治へと移り変わっていく姿が見えてくる。

白河小峰城 ― 江戸防衛のため奥州への玄関口を守った城

白河小峰城 東北の「玄関口」を守る要所(福島県白河市)

白河小峰城は、
**盛岡城、**会津若松城と並び「奥州三名城」の一つに数えられている。
関東からの「奥州の入口」と呼ばれた白河関に近く、
古代以来、東北への交通を押さえる重要な城であった。
 
現在の近世城郭は、**豊臣秀吉の **奥州仕置の後、
**丹羽長重によって大規模に整備され、
今に残る総石垣の近代城郭へと生まれ変わった。
江戸時代に移行後も、譜代大名が相次いで入封した。
 
**江戸幕府にとって、この城は奥州支配の最前線であり、
江戸防衛にも繋がる重要な拠点であった。
 
実際に歩くと、三重櫓を中心とした端正な姿が印象的である。
 
東北地方の城は土塁で造られることが多いが、
白河小峰城は白い壁と美しく積み上げられた「総石垣」から成る。
その石垣は華美ではないが、
奥州への入口を守る城にふさわしい気品を備えている。
 
城下を見渡せば、
古くから人や物資が行き交った交通の要衝であったことが理解できる。
 
徳川政権が奥州を統治する第一歩となった城――
ここは **白河小峰城である。
 
2023年4月22日 
日本100名城 No.13 白河小峰城公式スタンプ取得

御城印は二ノ丸茶屋にて拝受

二本松城 ― 江戸時代には丹羽氏が奥州南部を支えた要衝

二本松城 戊辰戦争で二本松少年隊が出陣し、多くの若い命が失われた城(福島県二本松市)

二本松城は「霞ヶ城」とも呼ばれ、
畠山氏に始まり、伊達氏、蒲生氏、上杉氏など、
戦国の名だたる武将たちが争った奥州屈指の要害である。
 
江戸時代には **丹羽家十万七百石の居城となり、
奥州南部の政治と軍事を担う中心となった。
 
また幕末の **戊辰戦争(1868年)の際、
二本松藩は新政府軍と激しい戦闘を繰り広げた。
このとき、12歳から17歳の少年たちで結成された **二本松少年隊が出陣し、
城を死守するために多くの尊い命が失われた。
会津の **白虎隊と並び、幕末の悲話として今も語り継がれている。
 
城跡を歩くと、麓から本丸まで続く石垣と曲輪が実に見事である。
 
山全体を利用した縄張りは壮大で、
登るにつれて城の防御の巧みさが実感できる。
 
本丸から眺める安達太良山や城下町の景色は美しく、
この地が古くから奥州の要衝であったことを物語っている。
 
戦国の激動を乗り越え、奥州を支える近世城郭として発展した城――
ここは **二本松城である。
 
2023年4月22日 
日本100名城 No.11 二本松城公式スタンプ取得

御城印はにほんまつ城報館にて拝受

久保田城 ― 常陸から秋田へ転封させられた佐竹氏が治めた城

久保田城 佐竹氏が北奥統治を完成させた城(秋田県秋田市)

**関ヶ原の戦いの後、
**常陸五十四万石の佐竹氏は秋田二十万石へと移封された。
 
**徳川家康は有力外様大名であった佐竹氏を北奥へ移し、
奥州支配の均衡を図ったのである。
 
その新たな本拠として築かれたのが久保田城である。
 
**久保田城は、あえて石垣や天守を築かず、
土塁や堀を巧みに利用した城として知られる。
**常陸から突然秋田へ転封(国替え)させられた佐竹氏が、
幕府への恭順の意を示すため、
あえて軍事力の高そうな石垣や天守を作らなかったと言われている。
 
築城したのは、佐竹家21代当主の **佐竹義宣である。
 
その父親、**佐竹義重は戦国時代末期にかけて活躍した武将で、
多くの小大名や豪族を傘下に収めて、常陸国を完全に統一し、
**伊達政宗や **徳川家康とも渡り合った戦国時代屈指の名将である。
 
その恐ろしさと強さから、
関東を代表する暴れ川「坂東太郎(利根川の異名)」になぞらえて
「**坂東太郎」、あるいは「**鬼義重」と称された。
 
久保田城に華やかさはないが、北国の自然を生かした堅実な縄張りは、
実戦よりも藩政を重視した近世城郭らしい姿を今に伝えている。
 
実際に歩くと、**千秋公園として整備された城跡は緑に包まれ、
静かで落ち着いた空気が流れている。
 
櫓から眺める秋田市街は開放感があり、
ここが秋田藩二百六十年の中心であったことを実感する。
 
徳川政権による奥州再編の完成を象徴する城――
ここは **久保田城である。
 
2023年7月2日 
日本100名城 No.5 久保田城公式スタンプ取得
御城印は取得せず

奥州の三つの城を巡って

 
白河小峰城、二本松城、久保田城。
 
三つの城はいずれも、戦国の争乱が終わった後、
新しい時代の奥州を支えた城であった。
 
**白河小峰城は奥州への玄関口を守り、
 
**二本松城は南奥の要衝として政治と軍事を担い、
 
**久保田城は北奥の統治を支える拠点となった。
 
実際に三城を歩いてみると、それぞれに異なる個性がある。
 
端正な石垣が美しい白河小峰城。
 
山全体を要塞化した壮大な二本松城。
 
自然と調和した静かな久保田城。
 
いずれも派手さを競う城ではない。
 
しかし、その静かな佇まちの中には、戦乱の時代を終え、
新しい日本を築こうとした近世大名たちの知恵と志が息づいている。
 
奥州の城を巡る旅は、戦うための城から、
人々を治め、
地域を支える城へと変わっていった日本の歴史を、
あらためて感じさせてくれるのである。



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