鉄鍋の中の『遠野物語』
©氏の学生時代くらいまで、東京の場末の居酒屋には文学論が飛び交うような空気が残っていた。©氏が入り浸っていた西荻窪の店の常連で、司法試験に何度も挑戦して今はあきらめているHさんは、柳田国男『遠野物語』の冒頭を得意げにそらんじた。
「〈遠野郷は今の陸中上閉伊郡の西の半分、山々にて取り囲まれたる平地なり〉ってんだよな」
「そうそうそう」とウケるのは元M市議会副議長との触れ込みで、今は落魄の身のNさんだった。余談だが、Nさんには「よしなよ」という口癖があり、吉野家の牛丼を食べる姿がしばしば見られ、「よしなよの牛丼」と呼ぶ向きもいた。
旅をたずきの道にしていた頃、©氏は花巻へ取材旅行に行ったついでに、遠野へ足をのばした。岩波文庫の『遠野物語』を携え、短い滞在時間だった。どこかで座敷わらしに会えるのではないかと淡く期待したが、会えそうな建物に入らなかったので、無理というもの。『遠野物語』には1ページ強、座敷わらしについての記述がある。〈旧家にはザシキワラシという神の住みたもう家少なからず。この神は多くは十二三ばかりの童子なり〉〈ザシキワラシまた女の児なることあり〉などと。
その時は知らなかったが、座敷わらしに会える宿が二戸にあるようだ。ホームページに〈座敷わらしとして現われる「亀麿」は昔から多くの著名人も目撃し、また、現在も多くの宿泊者に不思議な現象を起こし沢山の体験談で語り継がれております〉とあるが、大丈夫なのだろうか。会えなかった腹いせに、奥座敷の押し入れをさんざん引っかき回し、眼下の川に布団を投げ飛ばして帰る心ない「座敷あらし」はいないのだろうか。ホームページには〈座敷わらしに会えなかったお客様には宿泊料をいただきません〉とも書いてなかったが。©氏の心配は尽きない。
こんなことを考えるのは、©氏がほんとうは座敷わらしを単なる幻覚とみて、否定しているからである。その宿の旅ノートに「真夜中に目が覚めると廊下から物音がするので出てみたら、なんと居たのです」などと喜びが綴られていようと、信じるわけにはいかない。©氏は、仮に己の目で幽霊を目撃しても信じないと決めている。脳は幻覚を見る機能を備えているのだと。
身も蓋もない信条を持つ©氏は遠野から盛岡へ行き、真冬だったが駅前のレストランで盛岡冷麺を味わい、駅構内の土産物店で真冬なりゃこそ自宅用に南部鉄製の鉄鍋を買った。帰宅して即、木の蓋をあけた。綿入れを着た手のひらに乗るくらいの女の子が、©氏を見てにっこり笑った。
「こっちはシバれねーんだね」
2025/05/14
