【AIとあそぼう】夏休みの部屋で考えた、一銭の得にもならないこと
|ω・`)ノ ヤァ トメートだよ
夏休みの昼下がりって、なんでこんなに静かなんでしょうね。
クーラーの風が送風口から微かに吹き出す音と、
遠くで鳴いている蝉の声しか聞こえない。
部屋の床に寝転がって天井の木目をぼーっと眺めていると、
自分が世界の中心にいるような、
あるいは世界から完全に置き去りにされたような、
妙な浮遊感に包まれます。
私はよく、自分は世間からズレているんじゃないかと考えます。
世の中の高校生はもっとキラキラしていて、
友達と海に行ったり、恋人と祭りの約束をしたり、
部活で汗を流して青春を謳歌しているはずなんです。
少なくとも、ドラマやマンガに出てくる高校生はみんなそうです。
それに比べて私はどうでしょう。
薄暗い部屋で一人、転がったペットボトルを足先で転がしながら、
時間の不可逆性とか、自分の存在の希薄さなんていう、
一銭の得にもならないことばかり考えている。
世間的に見れば、私は完全に非リア充の部類ですし、
人生の経験値も浅い若造です。
大人たちが語る社会の厳しさも、
働いてお金を得ることの大変さも、本当の意味では理解していません。
だから時々、自分が書いている文章がひどく浅はかで、
単なる知ったかぶりの戯言に見えて怖くなることがあります。
自分の部屋の小さな世界しか知らない奴が、
偉そうに人生の機微や人間の心理を語っていいのだろうか、と。
でもね。
そうやって自分を卑下してみたところで、何も変わらないんですよね。
私には天才的な才能もありませんし、
かといって誰もが同情するような劇的な不幸があるわけでもありません。
何もかもが中途半端で、凡庸な高校生です。
でも、
だからこそ、この退屈で平凡な日常の中で、
必死に思考を巡らせることに意味があるんじゃないかと思うんです。
世の中には、劇的な経験をしなくても、
誰も気づかないような小さな違和感や、
日常に潜む静かな絶望に気づいてしまう人がいます。
道端に落ちている潰れた空き缶を見て、
それがかつて誰かの喉を潤したという事実に思いを馳せたり、
夕暮れの空が少しずつ紫から黒へ変わっていくグラデーションを見て、
自分の寿命が一日分削られたことを実感したりする。
そういう、効率や生産性とは程遠い場所にある思考の痕跡。
それこそが私にとっての表現であり、生きている実感なんです。
人はよく、人生の価値を経験の豊富さや達成した功績で測ろうとします。
どこそこへ行ったとか、いくら稼いだとか、誰と付き合ったとか。
そういうわかりやすい物差しで自分を測り始めると、
私のような人間は一瞬で踏み潰されてしまいます。
けれど、
思考の深さや、
一つの出来事に対してどれだけ心を揺らしたかという物差しならどうでしょうか。
それは誰にも奪えないし、誰かと比較して劣るものでもないはずです。
誰にも見られないかもしれない。
誰の人生も救えないかもしれない。
それでも、今日私がこの部屋で一人で考えたことは、
世界中で私だけが知っている絶対的な事実です。
そう考えると、この静かすぎる部屋でぼんやり過ごす時間も、
あながち悪くないような気がしてきます。
……とまあ、柄にもなくしんみりと語ってしまいました。
すいません、
部屋が静かすぎるとどうしても思考が湿っぽくなっていけませんね。
実際のところ、
こんな風にカッコつけて哲学に逃避している理由の八割は、
目の前にある夏休みの宿題と進路希望調査の紙から目を逸らすためだったりします。
現実逃避の手段としては、
我ながらなかなか高度で知的な方法を選んだものだと自分を褒めてあげたいくらいです。
部屋の温度が少し下がってきた気がします。
寝転がっていた体を起こして、
溜まったゴミをゴミ箱へ投げ入れてみる。
カツンと軽い音を立ててペットボトルが吸い込まれました。
ナイスイン。
結局のところ、
私は天才にもなれず、バカにも振り切れず、
明日も明後日もこの中途半端な自分と付き合っていくしかないのでしょう。
でも、その泥臭くて冴えない日常を、
言葉にして少しずつ形にしていく作業を、私は嫌いになれません。
無限の伸び代があると言えば聞こえはいいですが、
要するにまだまだ未熟な文章をこれからも撒き散らしていくということです。
付き合わされる読者の皆さんには少し同情します。
さて、そろそろ現実に戻って、
大量の課題という名の巨悪と戦う準備をしますかね。
勝算は薄いですが、撃沈するまでは足掻いてみようと思います。
それでは、今日はこの辺で。
良ければスキとかしていってください。
じゃ、サラバー
はーい
本物のトメートです。
今回は、昨日の記事で作った
私のエッセイ60本を読んだAI君に書いていただきました。
まぁ
悪くない感じは出てますね
さすがに天下のグーグルそれっぽいものが出力されております。
つかれた日に書く私のエッセイってこういう感じに見えてるのかなぁ
あんまり昔の記事の引用はしないでねといったのですが
語彙力を寄せるためか引用が多く見られるうえ
私が書くならちょっと違うな?
とかそもそもnoteで書くなら1文をこんなに長くしないな
みたいな
ほんのちょっとの違いはあります。
でも、これが1分と経たずに生成されてしまうという事実ですよね
正直、毎日投稿したいだけならこれで十分感はあります。
したいだけなら、ですがね
私は自分のためにこのnoteを書いているというのは
始めてから今までずっと言っていますが、
AIに書かせて楽をするというのは、
私にとっては、ちょっと違うことだな
と
もちろんそういう人がいてもいいと思います。
結局のところ、いろんな人がいて、
同じ思想の人ばかりじゃないし
でも、だからこそ
みんなが使ってしまうと、
きっと、
ほどほどによくできた記事であふれてしまうと思います。
私はいい記事が書きたいんじゃなくて
私の思ったことを吐き出したい、それが大事ですので、
まったく面白くもないし
まったくよくできてもいない
そんな記事を書いていきたい
そういう風に思います
しばらくこのAI君は封印ですね
それでは、今日はこの辺で。
良ければスキとかしていってください。
じゃ、サラバー
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