私は、正論が嫌いだ
あまり大きい声では言わないが
私は正論が嫌いだ
どうも、トメートという一般高校生noterです
以後よろしくお願いします。
私が思うに
正論というのは
あまり好かれているものではないです。
少なくとも
それを押し付けられる側からすればそうでしょう
これが個人的な感覚でないことを祈ります…
しかしなぜでしょう?
正論、とは正しい論とかいて
正論です。
正しいものを忌み嫌うというのは
なんだか愚かにも見えます。
ここで私が
正論は嫌いだと言い切ってしまうのは楽ですが
そういうわけにはいかないでしょう!
文章を書く側だからこそ
そういう、心の中のモヤモヤというのを
文章にできるといいなぁと思います
今日は、そういう話
正論の定義をWikipediaで調べると
正論(せいろん)とは、理にかなった正しい主張や議論。
反対語は曲論、邪論。
これに加えて、効率がいいほうが
基本的に理にかなっているとする傾向があるかと思います。
理にかなっていて、正しい
これは、いいことでしょう
いいことのはずです。
しかし私はこの正論というものが嫌いです。
結論から言うならば
正しいことが必ずしも自分の目的と一致しない
ということだと思います。
どういうことかというと
例えば…
自分がやりたいことがあるとします。
とにかく自分でやってみないと気がすみません
例えばそうですね…私が今やっているゲーム制作とします
その時、私は
今それと似たゲームがあること
というのは、あまり考慮しません
が
しかし、もうすでにそれよりも高クオリティのものがある
というのは、いくら自分好みに作れるからと言って
あまりに根拠として弱い
効率の話をするならば、
大した儲けにもならないかもしれないものに
たくさんの時間をかけています
コスパは最悪
正論ですね
しかし私は、そこはあまり考慮しません
何故なら、わたしがこれを作りたいからです。
それ以上の理由はないですが…
ほかのたとえをしましょう
ダイエットをしようと思いました。
しかしケーキが食べたかったため
カロリーの高いショートケーキを食べました。
これは一見矛盾しているように見えます。
これらの話は何が言いたいかというと、つまるところ
正論は、手段に対しての効率などが優先されがちですが
本来人間が生きるときには、目的が優先されます。
「痩せたい」という目的があるなら
「ケーキを食べない」というのが正しいです。
しかし、
このダイエットの目的というのは、幸せになるための手段でしかありません
そのため、その目的のために正論を置いておけます。
ただそれだけのことです。
わたしが「ゲームを作る」というのは、ゲームを作ることが目的なのでも、
売って楽しんでもらうのでもなく
それらは本来、目的ではなく手段なのです。
正論を振りかざす側は、
しばしば「効率的な手段」こそが「正しい目的」であると錯覚しています。
「そんなの時間の無駄だ」「こっちのほうが合理的だ」
それらはすべて、最短ルートを教える標識としては正しい。
けれど、私がどこへ行きたいか、
あるいは道中の景色を楽しみたいかという「目的」までは、
正論は関与してくれません。
理にかなっているかどうか、
という話をするのであれば
人はいずれ死んでしまうのだから今死んでも問題ない
という話になってしまうんですよ
極端な話なんですけどね。
だから私は、正論が嫌いなんでしょうね
まぁ場合によりけりですけどね。。。
とか言ったら、議論が進まないのでやっぱ嫌いです
私は、、自分がやりたいことを
自分が幸せになるために!
胸はってやりたいです!
そのために、正論ばかりだと疲れてしまいます…
だから、バランス、ですね。
では今日は、この辺で
また明日
いいなと思ったら応援しよう!
お小遣い下さい(傲慢)