熊鈴の音を聞きながら考えたこと ―熊も人も安心して暮らせる森を願って🌳 ―
こんにちは、Midoです。
先日、気仙沼で行われた植樹祭に参加しました。
山を登る道では、あちこちから熊鈴の音が響いていました。
初めて山に登る私も、装備のひとつとして熊鈴を買い求め、その音を聞きながら歩き始めました。
『チャラリーン チャリーン… 🛎️』
登り始めると、私は景色を楽しむ余裕がほとんどありませんでした。
登れば登るほど地面は木の根で凸凹していて、足元ばかり見て歩いていました。
息が上がる中で、熊鈴の音だけがはっきりと耳に残り、その音は、心細くて、でもどこか安心できるものでした。
最近は「熊が街に現れた」というニュースをよく目にします。
大騒ぎになり、捕獲されたり、駆除されたりすることもあります。
そうしたニュースに触れると、胸が痛み、心がずんと重くなるのを感じます。
熊はただ、生きようとしているだけなのに… そう思うと、どうしようもなくつらくなるのです。
熊はただ、生きようとしているだけ。
食べ物を探し、
子どもを育て、
季節を生きているだけ。
山の実りが減ったり、里山の管理が変わったり、人間の生活圏が広がったり。
その積み重ねの結果として、熊が街へ出てきてしまう。
熊はもともと山で暮らしていたはずなのに。
どうして街まで降りてきてしまうのだろう。
調べてみると、理由はひとつではありません。
ドングリやブナの実りが少ない年があったり、
里山の管理が減ったり、
耕作放棄地が増えたり。
人と自然との関わり方が変わることで、熊が食べ物を求めて街へ出てきやすくなると言われています。
昔は、薪や炭を使う暮らしの中で、人は自然と山に入り、下草を刈ったり落ち葉を集めたりして、森を手入れしていました。
私が育った家の床下にも、かまどやお風呂を沸かすための薪がたくさん積まれていました。

(昭和40年頃)
けれど今は、薪を使う暮らしも少なくなり、人が山に入る機会も減りました。そうした変化が、熊と人が出会いやすい環境をつくっているのかもしれません。
人間は、地球で暮らしにくくなると、月や宇宙にまで手を伸ばそうとします。
でも、熊や鹿や鳥たちには、逃げる場所がありません。
地球は人間だけのものではない。
私はずっとそう思っています。
間違っているのかもしれないけれど、どうしてもその感覚を手放せません。
もちろん、人の安全はとても大切です。
でもニュースを見るたびに思うのです。
「熊は本当に悪者なのだろうか」
人間の暮らし方の変化も、その背景の一つにあるのに、、
結果ばかりを熊が背負わされているように感じることがあります。
山の状態調査に参加していると、
健全な森を育てること、多様な樹木を残すことの大切さを感じます。
けれど、それは簡単なことではありません。
それに、木を植えても、森が豊かになるまでには何十年、時には何百年もかかります。
すぐに実のなる木で満たされるわけではありません。
森づくりは、そんなに簡単なことではないのです。
それでも、私にできることはあるはず…
森や川、山や里山に関心を持ち続けること。
自然のことを知ろうとすること。
そして熊のニュースを見たとき、「怖い」で終わらせずに「なぜここまで来たのだろう」と考えてみること。
私が願うのは、
熊が安心して山で暮らせること。
そして、人も安心して暮らせること。
人と自然とのつながりを、もう一度見つめ直す人が増えたら。
気仙沼の山で聞いた熊鈴の音は、そんな願いをそっと思い出させてくれました。

熊も人も安心して暮らせる森や里山を未来へつないでいくために。
わたしにできることは何だろう。
あなたは、どう思いますか。

熊も人も、
安心して暮らせる森で
ありますように。
では、この辺で。
Midoでした。
