私が古事記を読んだ話。日本の神話は「最高の文学」だった。
私は、神社に参拝に行くし、正月には初詣にも行く。
それなら日本の神話をちゃんと知っていてもいいんじゃないか。
そう思ったのがきっかけです。
日本の神話が気になった時期があって、図書館で古事記を手に取りました。漫画も手に取ったことあります。
読んでみたら、想像をはるかに超えた面白さでした。
今回はその魅力を、できる限り記事にしました。
古事記とは何か
学校の授業などで知ってる方も多いと思いますが。
今回のテーマは「古事記」です。
これは最高に面白く、日本の元祖と言っても過言ではないストーリーであり、単なる日本の歴史という枠を超えた「最高レベルの文学」とも呼べる内容です。
古事記がどのような役割を持っているかというと、ユダヤ人におけるユダヤ教の聖書のようなものです。
天地創造から始まり、我々がどのようにして成り立ち、天皇の系譜にどう至るのかを描いています。
つまり、キリスト教における旧約聖書と同じように、日本にとっての「日本版聖書」と言える極めて重要な書物なのです。
しかし、この国の神話とも言うべき興味深い話を、ほとんどの日本人はちゃんと読んだことがないそうです。
日本の代表的な神話であり、最初に「古事記」という名前自体は習うにもかかわらず、なぜか読まないのです。
なぜ読まないのかという背景には近現代の歴史が深く関わっており、この理由も含めて絶対に知っておいた方がいい、とても面白い内容が詰まっています。
物語の構成は、大きく「上巻・中巻・下巻」に分かれています。
実際に中身を見てみると、「それは知っている」「聞いたことがある」という断片的に知っているエピソードがすべてこの中に詰まっています。
特に「上巻」はほぼすべてが「神話」です。
神々がどのようにしてこの日本という国を作ったのか、日本はどうやってできたのかという成り立ちのプロセスが描かれています。
そして、神が日本に降り立つ「天孫降臨」という場面で上巻が終わり、その神の子孫が初代天皇へと繋がっていくという流れになっています。
神話と土地のつながり
神話といえば、ユダヤ教のモーセの話のように、「神にカナン(パレスチナ)の地を与えようと言われたから、ここは自分たちの国だ」として現在でも争いが続いているように、その国の民とその土地を結びつける特別な物語が存在します。
エルサレムやイスラム教のメッカのように、神話や宗教から受けるアイデンティティの拠り所となる場所があるのです。
一方で、我々日本人は「なぜこの日本に住んでいるのか」を普段あまり意識していませんが、この国にも自分たちのルーツを示す聖書的な本があり、それが古事記なのです。
多神教の世界観
古事記は多神教の物語です。
ユダヤ教のヤハウェやイスラム教のアッラーのような、たった一つの見えない絶対神を信じる一神教とは異なり、ギリシャ神話やエジプト神話に非常に似ています。
ギリシャ神話でゼウスという絶対的な神のもとに、冥界の神や太陽の神、女神などがいて、彼らが恋愛したり別れたりといった人間臭いドラマを繰り広げるのと同じように、古事記にもたくさんの神々が登場します。
神様の数は非常に多く、自分で覚えようとすると数百もの神が出てきますが、大まかに「8ブロックの主人公がいる」くらいに絞ってしまえば覚えられなくもありません。
ただし、一つ一つの神の名前は非常に長く、漢字で7文字もあるような、まるで特攻服にびっしりと書かれた漢字のような名前が登場するため、とても覚えづらいという特徴があります。
正直に言うと、読み始めた時は名前の長さに何度も笑ってしまいそうになりました。
堅苦しい古典として読もうとするより、キャラクターの個性が強すぎて面白いエンタメとして楽しむほうが絶対に正解だと私は思います。
また、神様を数える際の単位は「柱(はしら)」と言います。
一説によると、神様は木などの自然のもの(ご神木など)に宿る際、柱の形をしていると考えられていたため、この単位が使われるようになったとされています。
国生みのエピソード――スケールが大きすぎる
物語が進むと、5柱の神が現れ、最終的に男女ペアの究極の神(イザナギとイザナミ)が登場します。
この二人が最初に作ったのが「オノゴロ島」です。オノゴロ島とは現在の大阪あたりとされており、ファンタジーの神話だと思って聞いていたら、実は極めて身近な場所から日本が生み出されていることが分かります。
国生みの際、彼らはこんなやり取りをします。
「私の身体の余っている部分で、あなたの身体の足りない部分を塞ぐことによって、色々と生んでいきましょう」
これが個人的に一番好きな場面です。
神話なのに、なんともスケールが大きくて直感的で大胆な表現です。
古代の日本人が生命の誕生をどう捉えていたかが伝わってくる、神話としての特異性を感じる場面でもあります。
こうして次々と島を生み続け、最終的に大きな8つの島からなる「大八島国(おおやしまのくに)」が完成します。
最初に生まれた長男にあたる島が「淡路島」で、その弟として「四国」が生まれ、8番目に本州が生まれました。
もちろん、当時の世界観であるため、この時点ではまだ北海道や沖縄は含まれていません。
世界の神話と比べると面白い
古事記を読んでいて思ったこと。
それは他国の神話との共通点でした。
火という大きな力を得た代償として何かを失うエピソードは、ギリシャ神話のプロメテウスの火に似ています。
ヤマタノオロチという怪物を倒して美しい娘と結婚する話は、ペルセウスが海の怪物を倒してアンドロメダを手に入れる話にそっくりです。
このように他の国の宗教や歴史と比較していくと、日本の神話の持つ独自の「個性」が浮き彫りになってきます。
古事記だけを勉強していても分からないことが、他国を知ることで真実として見えてくるかもしれません。
古事記に残るミステリー
後半の歴史的な議論として、天照大神(アマテラス)の正体が一体何なのか、あるいはどの天皇の代からが本当に実在する人物なのか(一説では応神天皇からとも言われています)など、多くのミステリーが残されています。証拠となる遺跡があると言う人もいれば、それ以前のものは全く出てこないと言う人もおり、この物語がどこからどのように作られたのかは、現代だからこそ研究できるテーマです。
この研究を通じて、この国が何を失い、何を信じられなくなっているのかという、失われたアイデンティティを取り戻せるかもしれません。
神話が現代へ繋がる瞬間
神の系譜から初代天皇へ:神武天皇の歩み
『古事記』は神話の世界だけで完結しません。
物語の大きな転換点は、天照大神(アマテラス)の血を引く孫のニニギノミコトが天界から地上に降り立ち、そのひ孫にあたる神武天皇が初代天皇として即位する場面にあります。
神武天皇が天皇となったのは、単なる家系図上の継承ではありませんでした。
九州を拠点としていた彼は、自ら軍を率いて東へ進み、大和の地を平定する「神武東征」という困難な旅路を経て、その地で初代天皇として即位しました。
つまり、彼は「神の血筋」という正当な権利を背景に持ちながら、自らの意志と力で国を切り拓いた、神話と歴史の境界線上に立つ英雄なのです。
現代へ続く「三種の神器」という架け橋
神武天皇の即位から現在に至るまで、天皇の地位の正当性を示す重要な象徴として引き継がれているのが「三種の神器」です。
八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)。
これらの宝物は、スサノオノミコトがヤマタノオロチから発見した剣や、天照大神から授けられた鏡など、古事記の神話の中で誕生したものです。
驚くべきは、これらの神器が神話の中のアイテムとして消えることなく、2000年以上の時を超え、現代の皇室の即位儀式において今もなお受け継がれているという事実です。
この「三種の神器」という存在こそが、神話の世界と現代社会を繋ぐ物理的な「架け橋」となっています。
私たちが古事記を読むことは、単なる過去の物語を振り返るのではなく、神話から始まり、神器を介して現代の皇室へと連綿と続く、世界最古の王国の歴史を紐解く行為そのものなのです。
※ただし、三種の神器には謎も残っています。
1185年の壇ノ浦の戦いで平家が滅亡する際、幼い安徳天皇が入水した時に草薙剣が海に沈んだとされています。
八咫鏡と八尺瓊勾玉は回収されましたが、草薙剣は見つからなかったと言われています。
現在、熱田神宮に祀られている草薙剣が「後から作られたもの」という説もありますが、これも諸説あり、真相は今も謎のままです。
なぜ日本人は古事記を読まないのか
日本人が古事記という「自国の神話」に距離を置く理由は、単なる興味の欠如ではありません。近現代の歴史的背景が深く関わっています。
明治維新以降、古事記は天皇を中心とした統治体制を正当化するため、「国民として尊崇すべきイデオロギー」として教育の場で使われるようになりました。物語として楽しむ対象から、政治的な道具へと変化したのです。
そして1945年の敗戦後、GHQ主導による国家神道の解体により、軍国主義と結びつけられた神話は急速に教育や公的な場から排除されました。
「神話=国家主義的な危険な思想」
という連想が生まれ、神話を無視することが知的な態度とされる風潮さえ生まれました。
本来、神話とはその民族の価値観やアイデンティティを映し出す「物語」です。
他国では聖典や神話を現代においてもアイデンティティの根幹として柔軟に受け入れ、教養として楽しむ文化が根付いています。
しかし日本では政治的な経緯から、物語を純粋な文学やエンターテインメントとして楽しむ土壌が十分に育まれませんでした。
古事記を読むことは、過去の政治利用を肯定することではありません。
むしろそうした歴史から神話を「解放」し、数千年前から連綿と続く日本の想像力や物語の力に、純粋な好奇心を持って再会することだと思っています。
最後に
神社に参拝するたびに、そこに祀られている神様が古事記に登場していることに気づくようになりました。
初詣で手を合わせる意味が、少し変わった気がします。
古事記は、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖書や、ギリシャ神話、エジプト神話などを勉強してから再び戻ってくるとさらに面白く読めます。
世界最古の王国である日本の民として、我々がどこから来たのかを知る義務がここにあると思います。
日本人として生まれたなら、一度くらい自分たちのルーツの物語を覗いてみてもいいんじゃないか。
難しく考えなくていい。
ただ、面白い物語として読むだけで十分です。
他の神話も面白いの沢山あるので、いずれ記事にしようと思っています。
例えば北欧神話など有名ですよね。
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