私の好きな絵本、『100万回生きたねこ』。大人でも泣ける!「永遠の命」よりも大切なものとは?
皆さんは、絵本を読んで「号泣」した経験はありますか?
今回ご紹介するのは、1977年の刊行以来、世代を超えて愛され続けている超ベストセラー絵本『100万回生きたねこ』(佐野洋子 作)です。
タイトルからして、私はもう心を掴まれました。
「100万回死んだねこ」ではなく「100万回生きたねこ」。
死んだ回数ではなく、生きた回数として捉えているところに、作者の哲学が最初から滲み出ています。
本屋の絵本コーナーに必ずと言っていいほど鎮座しているこの名作。
実は、子供向けと侮ることなかれ。
人生の経験を積んだ大人にも突き刺さる、とんでもないメッセージが込められた「究極の文学」なのです。
絵本なので原本は数分で読み終わります。
以前「好きな本」シリーズで紹介したカラマーゾフの兄弟やレ・ミゼラブルと比べると、当然ですがその読みやすさは比較にすらなりません。
レ・ミゼラブルは日本語訳だと文庫5冊前後、登場人物も多く、本筋と関係ない歴史解説が何十ページも続くことがある。
カラマーゾフの兄弟は哲学的で難しく、登場人物の思想を理解するのに頭を使う。
どちらも世界的な名作ですが、読み切るのにかなりの覚悟が必要です。
でもこの絵本は違う。
誰でも数分で読める。
それでいてメッセージの深さは全く引けを取らない。
むしろ短いからこそ、一言一言が胸に刺さる。
それがこの絵本の凄さです。
今回は、この物語のあらすじと、なぜ私たちがこれほどまでに心を揺さぶられるのか、その理由を徹底解説していきます。
100万回死んで、100万回生きたねこ
物語の主人公は、立派な縞模様を持つ「とらねこ」です。
彼は普通の猫ではありません。100万回死んで、100万回生き返った猫なのです。
ある時は王様の猫、ある時は船乗りの猫、またある時はサーカスの手品師の猫……。
彼は100万回の人生の中で、100万人の飼い主に愛されてきました。
飼い主たちは泣いた、でも猫は泣かなかった
彼が死ぬたびに、飼い主たちはわんわんと声を上げて泣きました。
しかし、当の猫は一度も泣きませんでした。
なぜなら、彼は飼い主たちのことが大嫌いだったからです。
王様:
戦争が大好きで、猫をカゴに入れて戦場へ連れて行きました。
猫は飛んできた矢に当たって死にましたが、猫は死ぬことなんて怖くありません。ただ、王様が嫌いだったのです。
手品師:
マジックの道具として猫を扱い、箱の中で真っ二つにしてしまいました。
泥棒:
泥棒を助けるために利用され、番犬に噛み殺されました。
どんなに愛されても、誰かの「所有物」として生きる日々に、彼は何の愛着も持っていませんでした。
彼にとって「死」はただのルーチンであり、100万回の転生は、退屈で無意味な繰り返しに過ぎなかったのです。
自由と「自分大好き」な野良猫時代
そんな彼に、ついに転機が訪れます。
ある時、彼は「誰の猫でもない、野良猫」として生まれ変わったのです。
初めて手にした「自由」
初めて誰の所有物でもなくなった猫は、最高にいい気分でした。
誰に命令されることもなく、嫌いな飼い主もいない。
彼は、100万回の人生で初めて、「自分のことが大好き」になったのです。
彼は周囲の雌猫たちに、自慢げにこう語ります。
「俺は100万回も死んだんだぜ。王様の猫だったこともあるし、サーカスにいたこともあるんだ。」
周囲の猫たちは「すごーい!」と彼をチヤホヤします。
彼は、過去の膨大な経験(武勇伝)を武器に、圧倒的なモテ期を謳歌するのです。
いわば、自己肯定感の塊のような状態でした。
白い猫との出会い、そして「愛」を知る
そんな彼の前に、たった一匹だけ、彼の武勇伝に全く興味を示さない猫が現れます。
それは、一匹の美しく、気高い「白い猫」でした。
武勇伝が通用しない相手
猫はいつものように「俺は100万回も死んだんだぜ」とアピールしますが、白い猫は「そう」と素っ気なく答えるだけ。
バク転を見せても、過去の華やかな経歴を話しても、彼女には響きません。
何度もアピールし続けるうちに、猫の心境に変化が生まれます。
ある日、彼はついに自慢話を捨てて、こう言いました。
「そばにいてもいいかい」
飾らない、ストレートな言葉。白い猫は「ええ」と答え、二匹は家族になりました。
自分より大切なものの発見
二匹の間にはたくさんの子供が生まれました。
彼はもう、100万回生きた自慢話をすることはありません。
それどころか、自分が100万回生きたことすら忘れてしまうほど、今の暮らしに夢中になりました。
そして彼は気づくのです。
「自分よりも、白い猫や子供たちのほうが大好きだ」と。
かつて「自分が一番大好き」だった猫が、初めて自分以外の誰かを愛し、自分よりも大切に思う存在を見つけた。
これこそが、彼の100万回の人生の中で最大のターニングポイントでした。
なぜ「もう生き返らなかった」ことが幸せなのか
幸せな時間は過ぎ、子供たちは立派な野良猫として巣立っていきました。
猫と白い猫は、二人きりで老いていきます。
100万回分の涙
ある日、隣にいた白い猫が、静かに動かなくなっていました。
寿命でした。
その時、100万回死んでも一度も泣かなかった猫が、初めて泣きました。
朝から晩まで、100万回分、声を上げて泣き続けました。
そして数日が経ち、泣き疲れた猫は、白い猫の隣で静かに息を引き取ります。
物語の最後の一行は、こう締めくくられます。
「ねこは、もう、にどと いきかえりませんでした」
究極のハッピーエンド
普通、物語の主人公が死んで生き返らないのは「バッドエンド」です。
しかし、この本を読み終えた時、私たちは「よかったね」という、不思議な幸福感に包まれます。
なぜでしょうか?
それは、彼がようやく「一回きりの、かけがえのない人生」を全うできたからです。
どれだけ長く生きても、どれだけ贅沢をしても、そこに「愛」がなければ、その人生は虚無の繰り返しでしかありません。
しかし、自分よりも大切な存在に出会い、その喪失に涙を流せるほどの深い愛を知った時、人は(あるいは猫は)ようやく「完結」することができるのです。
個人的に最も深く刺さった2つの場面
① 「そばにいてもいいかい」の場面
私が特に惹かれるのは、野良猫になったトラネコが、白い猫に初めて「自慢話」をやめて本音を伝える場面です。
それまでのトラネコは、100万回の転生経験を誇り、雌猫たちにチヤホヤされ、自分のことが大好きな「自己肯定感の塊」でした。
白猫の気を引くために、サーカスの技(バク転)を見せたり、過去の武勇伝を並べ立てたりする姿は、どこか人間が自分を大きく見せようと必死になっている姿にも重なります。
しかし、何を言っても響かない白猫を前にして、彼はついに「誇り高き100万回生きた猫」という鎧を脱ぎ捨てます。
過去の栄光なんてどうでもいい、ただ純粋に「あなたと一緒にいたい」と、一匹のただの猫として等身大の告白をした瞬間。
ここが、彼の長い長い100万回の歴史の中で、初めて「本当の生」が始まった瞬間だと感じられて、とても好きです。
② 白い猫が死んだあと、トラネコが100万回泣き続ける場面
物語の中で最も胸を締め付けられるのは、「白い猫が死んだあと、トラネコが100万回泣き続ける場面」です。
王様、船乗り、手品師、泥棒、老婆、少女……。
過去、100万人の飼い主たちが彼の死に顔を見て大号泣してきた時、トラネコはいつも冷めた目で彼らを見ていました。
愛されること、そして誰かが自分のために泣いてくれることを「うっとうしい」とすら思っていたかもしれません。
そんな彼が、今度は「泣く側」になります。
動かなくなった白い猫を抱きかかえて、朝から晩まで、それこそ100万回分を埋め合わせるかのようにギャンギャンと大声をあげて泣き続ける。
この涙は、単なる「悲しみ」だけではないはずです。
自分より大切な存在を失った絶望。
誰かを全力で愛することに伴う、心がちぎれるような痛みの味。
そして、かつて自分を失って泣いてくれた100万人の飼い主たちの気持ちを、初めて痛いほど理解した瞬間。
このすべての感情がトラネコの中に一気に流れ込み、溢れ出しているのがあの号泣のシーンです。
だからこそ、読み手も一緒に胸が苦しくなり、涙が止まらなくなってしまいます。
そしてその大号泣のあとに訪れる、「二度と生き返りませんでした」という静寂。
一度きりの人生を全力で愛し、愛し抜いたからこそ、もう不老不死のチート能力なんて必要なくなった。
この完璧なまでのラストへの流れは、いつ見ても鳥肌が立つほど美しいと感じます。
最後に
私はこの絵本を読んで、大好きなおばあちゃんたちのことを思い出しました。
父方のおばあちゃんは、私が生まれた時に「元気に生まれてきてよかったね」と言って、その後すぐに亡くなったそうです。
家族からは「あなたはおばあちゃんの生まれ変わりだね」と言われて育ちました。
母方のおばあちゃんは優しいけれど芯が強い人でした。
「子供を育てていたらもうおばあちゃんになっていた」と言っていた、子供を育てることに一生をかけた人です。
2人とも、トラネコが白い猫を愛したように、誰かのために全力で生きた人だったと思います。
この絵本を読むたびに、特に2人のことを思い出します。
大切な人を思いながら、ぜひ一度手に取ってみてください。
図書館にも置いてあることが多いので、気軽に読めます。
どんなことでもお気軽にコメントもらえると嬉しいです!
