「成れの最果て」/ 短篇小説(操作ミステリー)#079
私は、遂に、自分になることに成功した。
思えば、最初から、失敗ばかりしていた。
学校では勉強ができなかった。
会社では仕事ができなかった。
人と話すのも苦手だった。
だから私は、少しずつ諦めた。
勉強を諦めた。
仕事を諦めた。
人間関係を諦めた。
すると、不思議なことに、生活は楽になった。
何も期待しなければ、失望することもない。
私はそれを「成長」と呼ぶことにした。
四十歳になった頃には、私はほとんど何も欲しがらなくなっていた。
新しい服もいらない。
旅行もしない。
友達も必要ない。
彼女もいらない。
夢も、とうの昔に捨てた。
ある日、いなかの母から電話があった。 話の流れで、昔の夢の話題になった。
「あなた、昔は漫画家になりたかったでしょう」母は、事もなげに言った。
私は、勢いで、笑ってしまった。
「もう、昔の話だよ」
「そうね」
母は、少し淋しそうに黙って、
「じゃあ、今は何になりたいの?」
と聞いた。
私は、答えられなかった。 でも、その気まずさが、電話を切るには、丁度よかった。
電話を切ったあと、私は急に嬉しくなった。
とうとう、自分が、何者にもなりたくなくなっている事に気付いた。 それは本心で、実感だった。
これは、かなりの完成度だと思った。
五十歳、
私は会社を辞めた。
理由は、特に必要なかった。
六十歳、
家を売った。
理由は、考える迄もなかった。
七十歳、
名前を名乗ることをやめた。
名前が必要な場面が、もうなかったからだ。
八十歳、
鏡を捨てた。
自分を見る必要がなくなっていた。
九十歳、
私は自分の人生について、一度も後悔していない事に気づいた。
後悔するほど、
何かを本気でやった事がなかったからだ。
私は笑った。
「完璧だ」
誰も褒めなかった。
それが、実に嬉しかった。
ついに、百歳になった日、
私は、ヘルパーさんにケーキを買って来てもらった。
それは、小さなケーキだった。
蝋燭は一本だけ。
火をつける。
私は、この年になって、願い事を考えた。
何も思いつかなかった。
そこで私は、
「これでいい」
と頷いた。
蝋燭を吹き消した。少し咳き込んだ。
部屋が暗くなった。
暗闇の中で、私は初めて気づいた。
私は、自分を嫌っていた訳では無かった。
自分を、諦めていた訳でも無かった。
まして、自分を許していた訳でも無かった。
私はただ、
自分を、完成させようとしていた。
何者にもならない。
何も望まない。
何も残さない。
それを何十年もかけて、丁寧に、丁寧に作り上げた。
私は笑った。腹の底から笑った。
「これが、私だ」
すると暗闇のどこかから、
「違います」
と声がした
私は驚かなかった。
「じゃあ、何なんだ?」
しばらくして、声が答えた。
「あなたが、最後まで成れなかったものです」 今となっては、その声は、空耳の様にも、自分の本心の様にも感じる。
私は、もしかしたら、初めて
自分以外の何かを、欲しいと思ったかも知れない。
けれど、
もう、十分遅かった。
私は何も欲しくならないように、
人生をかけて自分を完成させたのだから。
その時、蝋燭の煙だけが、
まだ少し、私のいる場所を覚えてくれていた。
