YMOと音楽の価値観
初開催のMUSIC AWARD JAPAN 2025ではYMOがフィーチャーされました。
初回に取り上げられるのはとても素晴らしいことですが、いっそ毎回YMOでも良いのではないか、とさえ思ってしまいます。
かつてはコア志向?
以前は音楽ファンのあいだでは、いわゆる「通」であるためには、コアな曲やマイナーな音楽に向かうべきだ、という感覚が強かったように思います。
もちろん人それぞれですが、分かりやすくてキャッチーなポップミュージックは、「本当の音楽好きはあまり聴かないもの」といったイメージがあり、積極的に「好き」と言うのに少し躊躇するような雰囲気もあったような気もします。
今は「届くこと」も価値?
一方で最近は、キャッチーで分かりやすい曲が、よりストレートに評価されるようになってきているように感じます。
それは単に「ポップスもいい」という話ではなく、「多くの人に届くこと」そのものが付加価値として受け入れられているようにも思えます。
アルバム単位ではなく、楽曲単位で音楽に触れる機会が増え、個々の再生回数や話題性といった指標が重視されるようになったことも、関係しているのかもしれません。
ちなみに、先日通りすがりで立ち寄ったミュージックバーでは、たくさんの70~80年代のレコードの中から、わりと有名でキャッチーな曲を1曲ずつ次々とレコードを替えて流していました。
こういう音楽の楽しみ方も良いものだなと、改めて気付かされました。
YMOのテクノポップ
ここでYMOの話に戻ります。
YMOには実験的で難解な側面もありますが、坂本龍一は当時の歌謡曲やピンク・レディーのヒット曲を分析して、それを踏まえて「テクノポリス」を制作したのだそうです。
一方で、高橋幸宏が「ライディーン」を作ったとき、坂本龍一は「分かりやす過ぎて恥ずかしい」といった感想を持っていた、というエピソードをどこかで目にした記憶があります。
結果として、これらはYMOの代表曲となり、「ライディーン」は最大のヒット曲にもなりました。
そして、これらの曲を好きだと言うことにためらいを感じる音楽ファンは、当時も今も少ないのではないでしょうか。
こういった部分でも、YMOは未来を先取りしていたように思えてなりません。
