平成時代に家族がハマった食 6 菱富の鰻とうまき(大阪)
やはり鰻は中部地方、静岡県辺りから東が美味い。
実際に東京にて頂いた鰻丼は美味(びみ)だった。
浜名湖の養殖鰻の鰻重弁当を、商社員時代に貿易部の部長から、出張時、新幹線の車内販売で買って頂いた物も、非常に美味しかった。
更には、愛知県のひつまぶしも良い。
私が育った村に、三重水産という鰻屋さんがあった。
そちらの鰻も、まるまるとしていた。
魚屋の行商さんが持ってきていた鰻も、国産養殖された物を取り扱っていた。
だが、関西風の鰻の蒲焼き(かばやき)なので、頭がついていて、関東とは調理法が違うから、ふんわりというよりは、パリッとこおばしくて、味付けは濃い目だ。
大阪は「天下の台所」と呼ばれているが、鰻の食事に於いてだけは、大阪に居ても東京のお店を探してしまう。
平成時代、弟と私は、鰻を外食で味わうなら、幕末の1866年に江戸で創業した竹葉亭と決めていた。
だが、持ち帰りには菱富を選んだ。
このお店が百貨店の地下食料品街(がい)に出店していたから、という理由が一番大きい。
上記とは矛盾するのだが、大阪のお店である。
だが、鰻を腹開きにせず、背開きにする関東風で「江戸焼うなぎ」として、1899年に大阪はミナミの宗右衛門町で創業した老舗なのだ。
先にもチラリと記(しる)したが、関東と関西では、鰻の調理法が全く異なる。
関東地方とりわけ東京、即ち江戸では、武士の町だったので「腹開きは切腹を連想させる」ということから、背開きが主流である。
反対に関西地方、特に京・大坂(おおざか)、今の京都と大阪では、商人の町故に「腹を割って話す」・「腹を見せる」のが良いとして腹開きにしたのだ。
それ故、関東地方の背開きだと、頭が邪魔になるので、頭を落としてしまう。
しかし、関西地方だと腹開きだから、頭はついたままにする。
その頭は「半助」と呼び、よく焼いたり、出汁にしたりするのだ。
そして、関西では鰻を最初から直火(じかび)で焼く方法が一般的だが、関東は最初に「白焼き」というスタイルから、蒸すという工程へ入る、大きな違いがある。
これは「江戸っ子気質」によるとされている。
蒸しておくことで、注文が入るとタレにつけて焼けば、素早く提供できるからということらしい。
その点、関西地方でのゆっくりとしていて良しとした理由についてだが、商談で鰻屋へ入ることが多く、商談の時間がたっぷりとれるという利点からだという。
また、串打ちも随分と異なる。
関東地方は頭を落とし、身を半分にして串を打つから、竹串を使用する。
だが、関西地方だと、じっくり焼いている間に、竹串では身が崩れるので、金串を使い、身を半分にせず、1尾(び)丸々を打つのだ。
だから関西地方の鰻の蒲焼き(かばやき)は、一度に2・3尾(び)に金串を打ち、焼いていくのである。
従って、「江戸焼うなぎ」の菱富では、白焼きにし、蒸してから焼く方法をとっている。
そして、100年以上続く継ぎ足された鰻のタレも、関東風なのだ。
関東風はあっさり、さっぱりである。
反対に関西風は甘めで濃く、まったりだ。
そんな違いにプラスして、卵焼きも大きな差がある。
生まれ育ちが大阪の母・弟・私にとり、どうしても関東風には馴染めない。
砂糖をたっぷり入れて甘く焼き上げる関東風卵焼きとは違い、京都・大阪は、だし巻き玉子で甘くなく、かなりフワフワの食感である。
鰻の焼き上がりとは、味も食感も逆転するワケだ。
だから、うまきは俄然、我が家だと関西風に軍配(ぐんばい)が上がる。
その両方を満たしてくれる鰻屋が、菱富ということになるのだ。
うまき1本につき、8個の卵を使用しているからフワフワで、量的にも3・4人前である。
これは、1本買えば我が家でも充分全員に行き渡るのだ。
ただし父親だけは、菱富の鰻をあまり好ましく言わなかった。
父親は新潟県から中学卒業と同時に、東京へ集団就職し、大阪へ移り住むまで、関東で味わっていた経験があるからだ。
なので、
「『江戸焼うなぎ』と暖簾をあげてるけど、東京の鰻とはちょっとちゃうんや。
鰻はもっと柔らかいし、玉子はカッチリしてる」
と、言っていた。
とは言うものの、菱富の鰻の蒲焼き(かばやき)とうまきを酒の肴にしていたのだから「満更でもなかったのだ」と、今では思っている。
