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愛の為なら食卓に-15~告白~

    「愛知係長!!」

    土井さんが右手を振りながら、黒髪を靡かせて走り寄る。

    「土井さん、走らなくてええよ」

    「ごめんなさい。
    お待たせしました。」

    「いやいや。
    僕が少し早く来ただけで、遅刻やないし。
    謝らんといてね」

    「ありがとうございます」

    「じゃあ、行こうか」

    「はい。
    今日も宜しくお願いします」
と、まだ息を弾ませながら、土井さんはペコリといつものように身体を曲げた。

    胸元まである長い髪が揺れると、ジャスミンの甘い香りがする。

    (僕とは違いシャンプーには気を使うんやろうな)と、彼女の真っ直ぐな黒髪が艶やかに光沢を携えているのを見る。

    オオサカからナラへは、いにしえのロマンを感じられる設えの電車で向かう。

    シックな臙脂色のボディは、古代に流行った文様が脇腹に描(えが)かれている。

    内装も木をふんだんに使い、温かみがある。

    車内では、ナラの名産品が販売されていて、発車前だが既に行列ができていた。

   家族旅行でも、カップルでも、また、一人旅でも満喫可能だ。

    そんな観光特急だからツインシートがあり、車窓を見ながら僕達は寛いだ。

    1時間の電車旅はあっという間だった。

    ナラに到着すると、先に腹拵えをする。

   観光地だから、昼時は混雑する。

    ましてや数少ない、人畜共通食事処(どころ)は並ばなければならなくなる。

    ゆっくりと花見をしたかったから、僕は土井さんに、
    「先にお昼ご飯を食べに行こう」
と、言った。

    ナラの名物「柿の葉寿司屋」さんがあるのを、下調べしていたから、そこへ足を運ぶ。

    まだ店内は混んでいなかった。

    僕達は、広大な公園が見える窓際の座敷に通された。

    メニューは色々ある。

    「土井さん、何にする?」

    「うーん。
    迷うわー。
    でも、やっぱりここでしか食べられへん、柿の葉寿司のセットにしようかな」

    「僕は、生っぽいのは苦手やからな、蒸し寿司のセットにするわ。
    土井さんは天ぷら付けへんの?」

    「うん。
    私、あんまり油物は食べられないんです」

    「え?
    体調が悪いん?」

    「いえ。
    『膠原病』なんです」

    「『膠原病』って、自己免疫疾患の?」

    「そう。
    愛知係長、よう知ってはりますね」

    「うん。
    僕は大学で免疫の研究室に居たから。
    でも『膠原病』で脂質制限って珍しいね」

    「はい。
    『膠原病』に『腸管ベーチェット病』が混ざってるんです。
    だから、腸に潰瘍ができ易くて、お腹が弱いから油は控えてて」

    「そうなんや。
    だから『うどん屋』さんでも、天ぷらうどんを食べなかったんやね」

    「うん」

    「そっかあ。
    僕も天ぷらには玉葱が入っているから、やめとくわ。
    じゃあ注文するね」

    そう言って、僕はタブレットで彼女の「柿の葉寿司セット」と、自分の「蒸し寿司セット」をどちらも天ぷらなしで注文した。

    「愛知係長って、獣医大学卒業でしたよね?
    獣医学科じゃなく、食品科学科に進学したのはどうしてなんですか?」

    「僕は元々、養豚場に居たんやけど、主人が休憩中に観ていたタブレットで色んな情報を得て、働きたいと思ったんや」

    「はい」

    「でも、働くにしてもどんな職業に就くか決めかねたんよな。
    それなら、ちょっと遠回りしてもええから、勉強したいって思ってん。
    それで、AIを植え付ける手術をしてもらった獣医大学を、受験することにした。
    でも獣医にはなりたくなくて、一番、一般教養が学べて獣医関係じゃなかったのが、食品科学科やったっちゅうわけ」

    「なるほど」

    ちょうどこの話を終えた時、2人に料理が供された。

    蒸し寿司は湯気を上げていて、酢の良い香りが漂う。

    上に散りばめられた錦糸卵の黄色が目をひく。

    柿の葉寿司は、春だから葉っぱが新緑で淡く柔らかそうで、塩漬けされていても、柿の葉の香りがこちらまで届きそうだ。

    「いただきます」
と手を合わせて、僕は具だくさんの寿司を頬張る。

  彼女も静かに
    「いただきます」
と、手を合わせてから柿の葉寿司を1つ摘み、葉っぱを半分剥がした。

    柿の葉に包みながら寿司(すし)を口に入(い)れると、柿の葉の爽やかな香りが鼻腔をくすぐり、その香りが移ったネタは、より味わい深くなるのだ。

    「美味しい」
と、彼女はいつもの朗らかな笑顔を見せる。

    「土井さんは、いつも美味しそうに食べるな。
    誘ったほうとしては、めちゃくちゃ嬉しいわ。
    ほんで、僕も美味しさ増し増しで、つられて食べられるよ 」

    「だって本当に美味しいんやもん。
    それに難しい顔をして食べてたら、美味しさが逃げてしまうわ」

    「うふふ」と笑いながら、次の柿の葉寿司の葉っぱを剥いている。

    「ああっ、鮭や。
    鯖も鯛も穴子もみんな好きやけど、鮭が出てきたら、なんか『当(あ)たりーー』みたいな感覚になるんですよね」
と、目を輝かせている。

    そのオレンジ色が葉っぱから見えた四角い寿司(すし)を、彼女はパクリと噛んだ。

    「うん。
    やっぱり美味しい」

    「そっか。
    それは良かった」
と、僕は心底、幸せな気分で言った。

    「そう、そう。
    愛知係長って、なんでそんなに優しいんですか?」

    「えっ、僕、優しい?」

    「はい。
    優しいです」

    「自分では普通と思ってるけど。
    そう言ってもらえて嬉しいな」

    「この間の『うどん屋』さんでも、南くんの意見をきいてあげてたし」

    「ああ。
    南くんが自分の好きな物を言ってくれて、こっちが助かったよ。
    だって、上司と一緒の食事で嫌いな物を食べなアカンて悲惨やろ」
と、僕は正直な気持ちを言った。

    「愛知係長って、きっと愛されて育ったんですね」

    「うん。
    愛されていたよ。
   でも、親じゃない人にね」

    「え?」

    「僕は養豚場で生まれたから、母親とは誕生と同時に引き離された。
    授乳の時だけ母親には会うけど、母親は僕ら子供に見向きもしなかったな。
    それは養豚やからしゃあないねん。
    でも、養豚場の主人には愛されてね。
    僕はホエイ豚(ぶた)やったから余計に」

    「ホエイ?」

   「そう。
    チーズを作る時に出る副産物で、栄養があるのに人間はそれを、最初は捨てとったんや。
    でも河川に流したら、水質汚濁に繋がるからって、僕らみたいな養豚の餌に混ぜられるようになってね」

    「そうなんや」

    「それがうまいんや。
    僕がチーズ好きなのも、このせいやねん。
    ほんで、ホエイ豚はブランド豚になることが多いから、手厚く育ててもらえる」

    「それは愛情?」

    「そうやで。
    酪農家でも畜産家でも、食を育ててる人は生物に愛情を込めてる。
    『美味しくなるように』って」

    「なんか、歪んだ愛情みたいな感覚を私は持ってしまいます」

    「そう?
    でも、確かに愛されて育ったよ。
    僕は必要な生命としてこの世に生まれたって思ってる」

    「必要な生命……」

    「それってめちゃくちゃ愛されていると思うけど」

    「確かに……」

    この言葉を皮切りに、土井さんは何かを考え出して口をつぐんだ。

    食事が終わったから、
    「花見に行こうか」
と、話題を変えた。

    必要な生命。

    私は両親に必要とされていなかった。

    存在価値を認めて欲しかったんだ。

    両親が愛し合って私が生まれたはずなのに、愛の結晶を父親は、不要品だと言った。

    私が愛情を求めるのは、自分が必要な人だと思ってもらいたいからなんだ。

    愛知係長が優しいのは、そうした環境で満たされていたから。

     両親ではなくても、愛してくれる人がそばに居たから。

    愛情だと気付けたのは、必要とされていたから。

    そうした倫理感を、私は今やっと知った。

    「今日は花見日和やね。
    ヤエザクラが見事に満開やな。
    花びらが、ハラハラ落ちてくるのもいいね」

    「はい。
    ホンマに綺麗。
    愛知係長、今日は誘って下さりありがとうございます。
    来年は、地上の奈良県吉野山の染井吉野が見たいな」

     「『一目千本』やったかな。
    桜の名所やな。
    関西のことは、まだまだよう知らんので、土井さんにスケジュールを頼むかもしれんけど」

    「はい、おまかせあれ」
と言って、彼女は自分の胸を拳(こぶし)で軽くぽんと叩く。

    (来年の話をするということは、脈があるかも)

    そう思ったら、僕は人混みでない場所はないかと、辺りを見回した。

    すると、斜め前にひとけがない桜の木が一本ある。

    僕は土井さんをそちらに促した。

   「土井さん、僕と付き合ってもらえませんか?」

    ヒラヒラと薄ピンク色をした愛情の雪が降る。

    「はい。
    お願いします」

    土井さんは顔を真っ赤にして、やや俯きながらそう答えた。

    「ああ、良かった」
と、僕が安堵の言葉を発した時、にわかに頭上から何かが落ちてきた。

    「ひゃっ。
    毛虫や」
と、彼女の顔色は赤から青に変わる。

    どうりで人が周囲にいないわけだ。

    僕達は大笑いしながら、毛虫が群がる、その桜の木の下から走り出た。

    To be continue.