松阪といにしえの香(かおり)(第一章)
「香りは記憶に繋がる。」
物の本でこの文を拝読した。
さて、三重県松阪市と言えば、皆様、何を連想なさるだろうか?
私は「松阪牛」である。
そういう人は意外に多いのではなかろうか?
その「松阪牛」をすき焼きにした香りたるや、食(た)ベずとも匂いだけでほっぺが落ちそうである。
否、写真を見たり、強いては連想するだけでも、涎がわいてくる。
そんな香りは勿論記憶に残るが、松阪市には食の宝だけではなく、歴史遺産も沢山あり、そんな、いにしえの香りを楽しむことができる。
2000年の12月、近鉄特急に乗車し、松阪市を訪れた。
同年6月に心不全を起こした28歳だった。
この時点で自分は「膠原病だろう」と予測した。
いくら血液検査に異常がないからと言われ、病名がつかずとも、明らかな異変を感じていた。
だからこそ、この時にしか、もう実行できないであろう旅を計画した。
わざわざ特急で歴史散策に繰り出したのは、この時が初めてであり、特急を利用したのは、歴史探訪の旅で、1回きりの経験になった。
近畿日本鉄道のビスタカーの乗り心地は最高である。
何だか懐かしい感じで、座席に腰をかければホッとしつつも、その走行は速く、都会から田舎まで猛スピードで走り抜ける。
乗車時間は1時間30分。車内でエネルギーチャージに、甘い菓子パンを食した。
松阪駅に到着したら、早速、散策を開始する。
岡寺、松阪もめん手織りセンター、三井家発祥地、松阪商人の館(旧小津清左衛門家(きゅうおづせいざえもんけ))、松阪牛専門店で昼食、松阪市立歴史民族資料館、松阪城跡、本居宣長記念館、鈴屋(すずのや)、本居宣長の宮、松阪神社、御城番屋敷(ごじょうばんやしき)という朝早くから一日を贅沢に使用した、旅の行程だった。
この日は、神社参拝から始められなかった。
だからなのか、厄除けで有名な岡寺に参詣したのだが、のっけから修繕中でそれが叶わなかった。
気を取り直して、松阪もめん手織りセンターに歩みを進める。
松阪もめんは、藍色に縞模様が麗しい、歴史ある織物である。
松阪もめん手織りセンターの情報によると、五世紀後半に渡来集団である漢(あや)織(はとり)と呉(くれ)織(はとり)が松阪市の東部に住み着き、絹織りと麻織りの機織り文化を伝えたとされる。
そうした人々は、698年(朱鳥(あかみとり)13年)、文武天皇から連(むらじ)の姓(かばね)を賜り、服連(はとりのむらじ)、麻続連(おみのむらじ)という氏姓で公認された。
それ以後、伊勢神宮の太神宮(天照大神(アマテラスオオミカミ))に織物を献納することを義務付けられることになる。
神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)は、和妙(にぎたえ)と呼ばれる絹布を織る機殿があり、神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)には、荒妙(あらたえ)と呼ばれる麻布を織る機殿がある。
こちらで神官が和妙(にぎたえ)と荒妙(あらたえ)を織り、毎年5月と10月の14日に神御衣祭で奉納している。
この神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)と、神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)は、江戸時代に「織物の神様」として信仰を集め、浮世絵にも残る。
二つの神社には足を運べなかったが、松阪もめん手織りセンターで十分に勉強ができた。
着物好きだから、反物を一反欲しかったが、旅の始まりだから、ぐっと堪(こら)えて、木綿に染みた藍の、土を付けた草のような香りを土産に、スケジューリングしていた、「三井家発祥地」に次の歩(ほ)を進める。
三井家は財閥だ。
商社に勤務していたので、三井物産さんには、思い入れがあった。
「丸に井桁三(まるにいげたみつ)」の家紋は馴染みである。
元々、「越前守(えちぜんのかみ)」だったことから、商人になり屋号を「越前屋」とした。
それが百貨店の「三越」になったと知れば、その歴史に感慨がわく。
そんな三井家とは、如何なるお宅なのかと、純粋な興味があった。
名家には必ずあるという、産湯の井戸がやはり存在し、期待を裏切らない。
しかし、見学できる日時が予め決まっているから、直に見ることは無理だった。
それでも、門前だけで圧倒され、
(これが、三井家発祥地なんだ)
と、ひしひし感じ、伊勢街道に佇む様々な昔から続く商店の香りに誘われ(いざなわれ)、次の「松阪商人の館」に足は向かう。
「松阪商人の館」は旧小津清左衛門家(きゅうおづせいざえもんけ)のことである。
松阪商人には「豪商」が多く、江戸時代はかなり有名な土地となった。
松阪から、江戸、京、大坂に店を出すような隆盛を誇る商いを営んでいた家が多数存在したのだ。
その屋敷は、旧小津清左衛門家(きゅうおづせいざえもんけ)を筆頭に、数多(あまた)、一般公開されている。
土蔵(どぞう)と呼ばれている旧長谷川邸や、見庵(けんあん)と呼ばれる旧小泉家住宅主屋(しゅおく)なども見学できる。
「松阪商人の館」では、松阪市内の情報収集が沢山でき、旅を深めるのに恰好の資料を頂いた。
江戸時代にタイムスリップしたかのような土間には、「豪商」だっただけあり、使用人が多かったことを伺わせる竈が、二つも備わっている。
商いをする為の框や部屋の様子をしっかり見させて頂き、昔懐かしい「箱階段」も間近で目に焼き付けることができた。
そうした土間や建築木材、古い畳から漂う、仕事に汗した人間達のいぶきを感じ、往時の人達と同じ空気を胸いっぱい吸い込んで、香りと共に歴史を堪能した。
午前中の予定が終了し、昼食タイムにする。
美味しい昼食は、松阪牛専門店とだけ、先に記したが、この詳細は第二章に持ち越す。
