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風邪かなあ?

    24歳を起点に、下血やめまいに発熱という症状を頻繁に身体がおこすようになった。

    頚椎椎間板ヘルニアの治療で、近所の整形外科を受診していたが、2週間に1度の診察時に1番多く悩まされていたのは、微熱だった。

    以前のように、不明熱と呼ばれる38.3度以上の発熱ではなく、37度代がずっと続いており、会社での仕事は出張や休日出勤がかなりあったから、25歳だというのに体力がもたず辛い日々を送っていた。

    しかし、内科医からは、
    「37度代は熱とは言わないわ。38度以上で微熱ね。大袈裟すぎる。」
と言われて、取り合って頂けなかった。

    いつもいつも、血液検査でCRPが陰性だからと言われて…………。CRP(炎症反応)とは、それほど信憑性に富むマーカーなのか。祖母もCRPが出にくい体質だった。僅か2mg/dlと上昇しただけで呆気なく他界した。ホスピスの医師が、
    「1ヶ月くらいの余命です」
と、その数値を基準に、我々家族に言ったが、たった2日であの世に旅立った。そんなマーカーなのだ。私にとり医師達が崇めるこの炎症反応は、全くアテにならないと感じている。

     そして、内科医はCRPを診て、私を診ては下さらなかった。

     だから、整形外科の先生に相談をしていた。
    「赤ちゃんでもあるまいに、37度代はれっきとした発熱であり、風邪にしては長々と続いているね。余病がないか内科医が調べてくれるといいのだが、僕が調べられる範囲では血液検査ぐらいしかできないけど、経過観察をしましょう」
と言って下さった。

    これ以来、整形外科の先生がかかりつけ医になったのは言うまでもない。

    しかし、明らかに内科疾患が原因だとされたから、ことある事に、内科医に送られていた。

     でも、何もわからないまま経過した。

    24歳で輸入部が東京本社に移転することになった。円高から円安になり、輸入部の再三が取れず、輸出部と統一されたからである。

    しかし、女性社員の転勤は許可されていなかった。そこで、元々、私の人件費は人事・総務課に組み込まれていたので、貿易部門から、人事・総務課に転属となった。

    その時には、人事担当者に英語が話せる方が居なかったから、英語の面接官として、人事担当の辞令が下りた。

     人事面接官の仕事は大変楽しく、貿易部門の時と同じくやり甲斐があった。

    部署が変わることで、ひょっとしたら体調不良も良くなるのではと期待した。

    しかし、予想に反して体調はどんどん悪化していき、風邪に似た症状が頻発した。

    「また、風邪にかかったみたい」
と、整形外科で話したら、
    「宮滝さんは、よく風邪をひくね。でも、鼻水や咳がなくて、発熱だけやから、風邪とも言えないんよな」
と、整形外科の先生は首を傾げるばかりだった。

     だから、内科医に診断を逐一お願いしてくれた訳だが、先にも記したように、内科医は診察をして下さらなかった。

     いくら血液検査をしても、やはりCRPが陽性になることがないから、整形外科医もどうして良いか判断に困っていた。

    だが、微熱は続き、体力を消耗する。

    人事面接は、関西支社が統括する、京都、神戸、姫路、岡山、高松、米子の各支店に出張して、更に東京本社にも頻繁に出向く必要があった。

    そうこうする内、流石にダウンしてしまった。

     26歳になり、体力に限界を感じ、仕方なく会社を退職した。

    そうしてゆっくり過ごしたが、結局、微熱は続き、めまいや下血を始めとする症状から逃れることはできなかった。

    そのうち、心不全や急性膵炎をおこした。無論、下血も続いた。

    そうして月日は流れ、この後に記載するリウマチを疑われる症状をとうとう発症してしまうのであった。