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愛の為なら食卓に-31 ~悟さんは私の中に~

   私が、教授だと確信したロマンスグレーの男は、
    「日記帳を渡しなさい」
と、怒鳴った。

    「嫌です」

    私は立ち上がりクルリと向きを変え、隣の農地である畦道を走り出した。

    「待て」
と、若い男が追ってくる。

   握りしめる鈍色(にびいろ)の刃物には、鈴木社長の血がベットリとついている。

    「いやあああ」
と、叫びながら私は走り続ける。

   風向きが変わり、いきなり白い煙に覆われる。

   (野焼きや、野焼きをしたはる)

   私は、火元がどこにあるかを探しながら走る。

   龍が天に向かって火を吹いているかの如く、チロチロと出す舌が炎の柱だと捉えた。

    その方向へ、一目散に息を切らせながら行く。

    「待ちなさい」
と、今度は教授の声だけが聞こえた。

     充満する煙で姿が見えないほど、辺りは靄がかっている。

    私は、ずいと火元へ近付く。

    若い男が煙の中に、刃物と共にぼんやりと浮かび上がる。

    瞬間的に鞄から日記帳を取り出し、大きな弧を描(えが)くように、私は火をめがけて、どんどん投げ入れる。

    ノートは鳥が羽ばたくように、パタパタとページを上下左右に繰りながら、放物線上に飛ぶ。

    「ああ、ああ」
と、若い男は狼狽える。

    私は構わず、悟さんの日記帳を全て火に投じた。

   状況を把握した教授は、一層、狂い出したように、若い男へ声を飛ばす。

    「あの女も、殺せ!!」

    咄嗟に私が言い返す。

   「私を殺したいなら、殺せばいい。
    でも、日記帳が灰になった今、私だけが悟さんの動物人間としての恋愛を知る、論文材料よ!!」

   「ううっ、くそっ!!
    とにかく、あの女を捕まえろ!!」

    その時、にわかに、サイレンのけたたましい音が鳴り響く。

   この火が這う農地は、白い煙をたなびかせながら荒れ狂う空気を撒き散らし、その空間には緊張が走る。

    「警察だ。
    武器を下に置きなさい」

    「おりゃあ」
逆上した若い男は、なりふり構わず、教授をめがけて突進する。

    「話が違うじゃないか!!
    アンタは、俺が捕まらないって言ったじゃないか!!」

    雄叫びを上げながら、教授の腹に鈍色の先端が届きそうになる。

    「こら!やめろ!」

    シュウ先生が若い男の右側から、白い煙を突き破り、突然現れたかと思うと、右腕(みぎうで)を横から捻り上げる。

   「教授、大丈夫ですか?」

    「山谷(やまたに)くん?」

    「はい。
    たまたま鈴木畜産に用があって来てみたら、鈴木さんが血を流して倒れていて。
   鈴木さんが喘ぎ喘ぎ、この状況を教えてくれたのです。
    警察にも連絡して、駆け付けました」

    シュウ先生は大声で、
   「土井さん、大丈夫か?
    怪我はないか?」
と、私に声を投げてくれる。

    「シュウ先生」

    私は、空(から)になった鞄を握りしめ、ヘナヘナと膝から崩れ落ちる。

    若い男は警察官に、現行犯逮捕されている。

    シュウ先生は教授の腕を、尚もしっかり掴みながら、警察車両に近付く。

    「あなたもご同行頂きますよ」
と、教授もパトカーに押し込められている。

    教授から離れて、シュウ先生が私のほうへ、急ぎ駆け寄って来る。

    「良かった。
    土井さんが無事で。
    愛知くんに顔向けできへんようになるトコやった」

    「シュウ先生。
    私、私……。
    日記帳を燃やしてしもうた」

  「え?」

   「教授に日記帳を渡すぐらいならと、野焼きの火に放り込んだ」

    「ええ?」

    「悟さんが龍みたいに天へ登って行く」

    私は、畑を焼き尽くしながら、モクモクと上に向かう白い煙を見つめた。

   そして、天を仰ぎ、
    「わあーーっ」
と、子供のように泣いた。



   鈴木さんは一命を取り留めた。

    俺が鈴木畜産の豚舎に着いた時、異様な呻き声が聞こえてきた。

    鈴木さんは、腹を刺されて血塗(まみ)れだった。

   咄嗟に、何があったかを悟った。

   教授が遂に狂ったのだ。

    危険な人物を使ってでも、土井さんから、愛知くんの日記帳を無理矢理、取り返そうとした結果だった。

   救急車が来るまでに、鈴木さんは、自分を刺した若い男と、土井さんが走って行った方角を俺に教えた。

    俺は、とにかく、鈴木社長が身を呈して守ってくれた土井さんの無事を祈って追いかけた。

   野焼きの煙で、辺り一面が真っ白に霞がかかっていたが、時折、遠くから人の声がした。

    俺は必死になって、土井さんを探した。

   すると、教授らしき人物が居るのを先に認めた。

   若い男は教授の正面にいて、なぜか教授を襲おうとしていた。

    内輪揉めだったのだろう。

    合気道の心得がある俺は、若い男の持つ刃物を叩き落とし男の腕を捻り上げた。

    なんてことはないほど弱かった。

    「痛い、痛い」
と男は言い、その場にうずくまった。

    ちょうど警察官達が追いつき、緊急逮捕になった。

    その後、俺と土井さんも事情聴取をされた。

    一連の事件が収まりを見せかけた時、教授が土井さんを狙い、拉致しようとしていたことが発覚し、教授の研究者人生は、絶たれた。

    土井さんは、
    「鈴木社長とご家族に、恩を仇で返した責任があるから」
と言って、鈴木畜産を退職した。

   そして、今、彼女は新しき道を開拓すべく、2月の獣医大学受験に向けて、猛勉強中である。

    住まいは、俺や愛知くんが通った(かよった)獣医大学の近くに構えている。

    そして、土井さんも同じ大学で勉学に励む目標を、掲げているのである。



   私はまだ、こうして生きながらえている。

    2166年11月15日は恐怖の日だった。

    この日、鈴木社長は、私を庇って若い男に包丁でおなかを刺された。

    それでも身を呈して私を逃がしてくれた。

    私のせいで、鈴木社長を巻き込んでしまい、こんなにも良くして頂いたのにと、私の気持ちは滅入る一方だった。

    鈴木家の皆様は、
    「あっちゃんが悪いわけではないのだから」
と言ってくれたが、実際、鈴木社長は一つ間違えば殺されていたのである。

    それを怖いと思い、人一倍、生命の重さを理解している私は、鈴木家の面々の顔を見ては、いたたまれず、毎日が耐えきれなくなっていった。

   鈴木社長はこれを機に引退し、副社長の息子さんが社長に就任した。

   そして同時に、私は鈴木畜産を退職した。

   精神的に参っていたから、悟さんが大学生活を楽しんでいた町に移り、1ヶ月は、公園や美術館、寺院を巡り、気持ちを癒す為に時間を費やした。

    43歳のバースデーを、町が華やぐクリスマスイブの日に迎えた私は、重い腰を上げて、やっと受験勉強を始めた。

    そして、年が改まり、2月半ばに大学受験をして合格できたと知った。

    教授が不祥事を起こしたことで、この獣医大学を受験する人は減っていた。

   「AIと動物の生命関係研究班」は、船頭を失い、事実上解散した。

    それで、特に獣医学科を受験する希望者が少なくなった。

    私は、獣医保健看護科を受験したが、こちらもやや定員割れしていた。

    受験する時には、
    (あの教授が居た大学か……)
と、躊躇いがあったのだが、
    (悟さんが4年間、勉強に励んだ大学なんや)
と考え直し、希望通り出願したのだった。

    2167年4月1日、私は、かなり周囲とは年の差がある大学生になった。

    この日を境に、悟さんが過去に経験した日々をなぞるよう、大学から奨学金を借り、塾でアルバイトをして、生活を営んだ。

    150万円程度の貯金を元手にして、この大学が存在する町に引越して来たが、大学生になった時、既に貯金は50万円しか残っておらず、不安が先に立った。

    でも、色々な方々に支えられて生きている自分が、ここで人生を投げ出すなんて考えには至らず、足掻きつつも、毎日をそれなりに積み重ねたのである。

    悟さんが大学生だった頃から、約10年が経過していたが、この町はさほど変わりない様子だった。

    4年の歳月は、勉強とアルバイトに明け暮れ、250万円ほどの貯蓄ができ、悟さんと同じように成績優秀者になって、奨学金返済は免除してもらえた。

    こうして、生活の基盤が築(きず)けたところで、就職先が、シュウ先生の動物病院に決まったのである。

    2171年4月1日、私は初めて住む街で、シュウ先生の助手兼動物保健看護師として、新しい人生を歩み出したのだった。

To be continue.