【独り言#008】住処の移り変わり
今日は自己紹介で書ききれなかったことを書こうと思います。
現在は大阪の吹田市に住んでおります。でも生まれは大阪ではないのです。
ヘッダ写真はどこか分かりますでしょうか。小岩井農場から見た岩手山です。そうなんです、出身は岩手県なのです。18歳で東京の大学に進学するまで、盛岡市に住んでいました。盛岡にはもう20年以上も帰っていないのです。
別に避けているわけではなく、両親もこの世を去り、実家も家じまいをして縁遠くなってしまったのです。こんな歳になると妙に田舎が恋しくなりますね。何が見たい、何が食べたいというのではなく、盛岡の空気が吸いたい。ただそれだけです。
嬉しいことに、家族も盛岡に行ってみたいというので、そのうちふらりと行くかもしれません。その時はまた記事を書きますね。
18歳で上京し、最初に住んだところは三軒茶屋でした。大学4年間を楽しく過ごしたところなので、沢山の思い出があります。2012~2015年に単身赴任で少し暮らしたのですが、当時のお店はほとんど残っていませんでした。でも歩くと当時の思い出が甦ってきました。空気は変わっていませんでした。
大学を卒業し、初めての一人暮らしの場所に選んだところは下北沢です。お風呂もない、築数十年のオンボロアパートでしたが、一人暮らしの楽しさと寂しさを味わいながらの毎日がとても新鮮に感じました。グーグルのストリートビューで朽ち果てていくアパートの姿を見ていたのですが、遂にきれいなマンションに生まれ変わっていました。とても寂しいですね…
その後転職し、都会から離れた本厚木に転居しました。本厚木駅からバスで20分という距離だったので、家賃がすごく安い。お風呂もあるし、初めての車を買うことができました。初めての車は、トヨタスープラ。とてもペーパードライバーが乗る車ではないですよね。恐怖と闘いながら、何とか運転するのが楽しいレベルまで達することができました。
本厚木では工場勤務だったのですが、日本橋にある本社に転属となり、引っ越すこととなりました。
次なる住処は、横浜の二俣川へ。横浜まで急行で1駅というのが魅力的でしたね。この時期は彼女がいなかったので、メールの出会い系サイトで何人かとやりとりをしてお会いするということを繰り返していました。そのうちに、大阪に住む現在の妻に出会いました。
ちょうど大阪出張があったので、現在の妻と飲みに行き、初日で意気投合したのでした。そうこうしている内に結婚することになり、妻の親から結婚の条件が大阪で暮らすことだったので、転職活動をして大阪で働くこととなりました。
大阪で最初に暮らしたのは、阪急宝塚線の池田にあるUR賃貸でした。近くに美味しい焼き鳥のお店があったので、よく夫婦で通いました。しばらく行っていないので、また行ってみたいと思っています。お酒は飲めなくなりましたが。その後、マイホームが欲しいということになって、現在の吹田市にマンションを購入し現在に至っています。
実は吹田市に住むのは宿命だったのではと思っています。小学生のころ、岩手の平泉に住む祖母が、大阪万博に行き、お土産に太陽の塔の置物を買ってきてくれたのです。少年心に大阪万博にずっと行きたいと太陽の塔を握りしめていました。その思いが叶って、今は太陽の塔がある吹田市に住むこととなったのかもしれませんね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
