生きることは忙しい - LIFE is CULTURE
世の中に自動化技術が導入され、「AI」が新たな技術的潮流となりゆく様を眺めながら、人々が忙しく生きてきた歴史を振り返る。
そして、あらためて考えてみた。
「手が空いた人たち」が何をするか、について。
まずは大江戸の町へご案内いたします
話は西洋文化が日本に流入する以前、まだ日本が作り上げた確固たる生活文化が定着していた時代に遡る。
ニッポンのかつての大都市、江戸では高度な循環型エコノミーシステムが成立していた。資源循環の分野においても、江戸時代は実在した「超リサイクル社会」として取り上げられることが珍しくない。
日本は国土の限られた小さな島国で埋蔵資源に乏しい。
それに加え、当時は長らく続く鎖国状況下で外からの資源獲得が望めなかった。資源確保の面で一見不利なその状況は、むしろ資源・物資を国内で高度に循環させる技術を土台とした文化を生み出した訳だ。
だからかつて日本には閉鎖型循環系都市の姿があった。
必要に迫られたとはいえ、この社会的背景は技術者や職人の多様性を生み出し、のちの日本が世界に誇る技術者集団の国として発展する礎となったとも考えられるかも知れない。
「廃棄物」という概念の不在
現代人と江戸時代を生きた人々との間には、暮らしの中で養われた感性に決定的な違いがある。それは「モノ」の存在価値に対する意識だ。
現代人、特に現代の日本人は、未だなお「使い捨て」が大好きである。「時短」や「仕方ない」を掲げて嬉々として捨てる。都合よく燃やし、都合が悪ければ蓋をするように埋める。そんな価値観が根強く蔓延っている。
だが江戸時代を生きた人々には、そもそも廃棄物という概念がなかった。
あらゆるモノが徹底的に使い込まれた。
壊れたら修理してまた使い、古びて傷んでも素材としてカスケード(連なった小さな滝のように)利用されるのが当たり前であった。置き去りにされる傘など江戸の街では見ることができなかっただろう。
棒手振の*鋳鉄師は鍋・釜を「造る」ほどの技術はないが、ひび割れや穴が空いたところにハンダを流し込んで、もう一度、使えるようにする。庶民には頼りにされる存在だった。鋳鉄師が天秤棒で担いで歩く商売道具は鞴(ふいご)だ。依頼があればその場で火をおこし、鞴で風を送って修繕材料の金属を溶かしていた。
*鋳鉄師(鋳掛屋):鍋釜の修理人
紙くずや灰、蝋なども買取られ、徹底的にリサイクルされた。あらゆるものがゴミではなく資源としての価値を見出されていた。
唯一無二の一張羅
とことんリユース・リサイクルする様は当時の日常風景の一部であり、修繕スキルやカスケード利用の知識は庶民の生活を豊かにするだけでなく、衣食住を楽しむ風習としてのカルチャーをも形成した。
江戸時代の庶民が着る服はほとんどがこうした古着か、もしくは繰り返し修繕したものだった。ボロボロになるまで着倒し、いよいよ修繕できなくなると、古着屋がまた買い取る。古着屋は衣服をパーツごとにバラし、あるいは専門家ならではの技術で修繕し、さらに売る。無駄は一切なかった。
なんでも現在の秋葉原のあたりは、かつて古着屋街だったのだとか。古着は常用され、継ぎ接ぎ修繕した衣類は唯一無二のファッションだったのだ。
甦りの美学
先に挙げた鋳鉄師による鍋釜の修理の他にも、割れたり欠けたりした陶磁器の伝統的な修繕技法として、天然の接着剤である漆を用いた「金継ぎ」が挙げられる。
硬化した漆は安全で、その接着強度は長い歴史が証明してくれるだろう。
漆による接着修繕技術の歴史は縄文土器の時代に遡るが、ただ修繕するだけでなく、装飾として金粉を漆に撒くことが「金継ぎ」と称される所以である。
金粉の代わりに銀や色漆を使ったものもあり、日本の文化的思想としても国内外で関心が高まっている。現代においては金継ぎ師だけでなく、一般人による簡易金継ぎも盛んに行われるようになった。
金継ぎを高く評価し、その知見を拡めた人物として千利休が挙げられ、当時金継ぎにて修繕された陶磁器は、黄泉の国より蘇った物として特別な評価を与えられたとされる。このような金継ぎの評価や、豪華絢爛さより情緒を重んじた侘び寂びを求め作為的な物より不完全な物の中に美を見出そうと取り組んでいた千利休の思想をとっても、当時禅の思想が政治や茶の湯を含めた文化、また、金継ぎが特別視されていた認識に大きく影響していたと考えられている。
市井が主役の社会システム
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