短編小説「チェッコリーナ玉入れ」
私は、あゆみ。小学校一年生だ。
私の小学校の運動会は、五月にあるんだよ。
この間、保育園を卒業して、同じクラスの
女の子たちと、泣いてお別れしたばかり
なのに。
もう、小学校の大きな行事の運動会が
あるんだなって思っちゃう。
運動会…
きっとパパとママは一緒には来てくれない。
だって二人はとても仲が悪いんだもの。
運動会で私が活躍したら、ちょっとは
パパとママのご機嫌はよくなるかなって
思ってる。
運動会の一番の目玉の競技は、
玉入れなんだって。
「チェッコリーナ玉入れ」
っていう名前で呼ばれてる。
「『チェッコリーナ』ってなあに?」
って先生に聞いたら、
女の人の名前なんだって。
変なのって私は思った。
だって、チェッコリーナ玉入れって、
小学一年生みんなで踊るんだよ。
それで、音楽が止まったら、
みんなで一斉に玉入れするの。
その曲が、女の人の名前を何度も呼ぶ曲なの。
なんだか変なのって思わない?
あ、あ、あっゆみ~ってみんなが歌いながら
踊って玉入れしてたら、私は嫌だもの。
それに、パパの前でこの歌を歌ったら、
パパに、
「その歌は好きじゃないな。
歌うのやめてくれるかな」
って言われてしまった。
―― どうして?運動会でかかる曲なのに。
小学校で、玉入れの練習をした帰り道。
「チェッコリーナ」の歌を口ずさみながら
一人で歩いていたら、前からとてもきれいな
栗色の髪をした女の人が歩いてきた。
私が、「チェッコリーナ~」って気持ち
よく歌っていたら、女の人はすれ違いざま
に振り向いて、話しかけてきた。
「なぜ、私の名前を呼ぶのかしら?」
女の人の顔を見上げたら、外国の人だなって
思った。そして、悲しそうな顔をしている
なって思った。
私が、
「運動会でこの歌がかかっている間は、
踊らなくちゃいけないの」
と言ったら、女の人は、悲しそうだったのが
急に、大笑いし始めたので、驚いた。
「私の名前を口ずさみながらみんなで
踊るのね」
そう言って、今度は泣き出してしまった。
私は子供ながらに、この女の人、
ちょっと大丈夫かなって思ったけど、
まあ、私も「あゆみ、あゆみ~」なんて
私の名前を連呼しながらみんなが踊るって
聞いたら、そりゃ笑い出したり泣き出したり
するかもしれないと思い返した。
「その踊らなきゃいけない玉入れで
勝ちたいんだけどな」
って私が言ったら、チェッコリーナさんは、
「じゃあ、一緒に練習しようか」
と言い出した。
「え?」
大人がそんなこと言うなんて、
不思議に思ったけれど、
私は運動会で活躍したいんだって
思い出して、うなずいてしまった。
私がチェッコリーナの歌を歌いながら
ノリノリで踊りだしたら、
チェッコリーナさんは、
「だめよ、それじゃ」
と首を振った。
「どうして?」
と聞くと、
「踊りに夢中になっちゃったら、
玉入れにパッと移れなくなっちゃう
でしょ?」
という。そして、踊りながらも、玉入れの
玉の位置をチェックする練習。
音楽の切れ目に玉を拾って投げやすい
格好になっているようにする練習に
付き合ってくれた。
そんなこと、一生懸命に考えてくれる
大人なんて見たことがなかったから、
私はいっぺんにチェッコリーナさんが
好きになった。
ママだったら、きっと、そんな馬鹿らしい
こと考えてないで、勉強しなさいって
言うに決まってるもの。
ひとしきり練習した後に、チェッコリーナ
さんは、公園の売店でジュースを買って
くれた。
一緒に飲みながら、チェッコリーナさんは、
ぽつりとつぶやいた。
「私、チェッコリーナ~って呼ばれて
馬鹿にされてたの。
でも、なんだかそれが歌になっちゃって、
今も歌われてる。不思議なものね。
運動会、私も応援に行くね」
チェッコリーナさんは、優しく私をみつめた。
そして、
「あゆみちゃん、一緒に練習してくれて
ありがとう」
そう言って寂しそうに微笑んだ。
―― あれ、私、チェッコリーナさんに
自分の名前、教えたんだっけ……?
運動会当日は、まだ五月だというのに、
とても暑い日になった。
楽しいはずの運動会の日だというのに、
朝からパパとママは喧嘩していた。
「俺が何を考えているかなんて、君はもう、
どうでもいいんだね」
パパは、ママにそう言って悲しそうな
顔をした。
ママは黙ってパパを見て、肩をすくめて
下を向いてしまった。
私は、家にいるのがいやになって、
早めに小学校へと向かった。
運動会がはじまり、チェッコリーナさんは、
校庭の片隅の木の下で見守ってくれていた。
近くを通ったときに、駆け寄って
来てくれたお礼を言った。
チェッコリーナさんは、笑顔でうなずいて、
ふいに、私の顔をじっと見て、こう言った。
「あゆみちゃん、お父さんに似ているね」
私は不思議に思った。
なぜ、パパを知っているの?
やがて、玉入れの競技が始まる。
チェ、チェ、チェッコリーナ~
軽快に曲が流れ出し、みんなが
思い思いに踊りだす。
練習の甲斐あって、私は踊りから
玉入れへ移るのは、他の誰よりも上手だった。
私の投げた玉は、どんどんカゴに
吸い込まれるように入って、
クラスメートたちも大喜びだ。
すごい、すごい、パパ、ママ、
見てるかな?
応援席を見たけれど、応援に来てくれたのは、
ママだけだった。
パパとは朝、喧嘩してたものね。仕方ないな。
そして、チェッコリーナさんのほうも
振り返ってみた。
チェッコリーナさんは、私のママのほうを
見ていた。
一 あれ?
ざわり。
なぜか胸が痛い気がした。
玉入れが終わると、チェッコリーナさんは
いなくなっていた。
私は、ママの応援している席に駆け寄った。
「あゆみ、玉入れ、とっても上手だったね。
大活躍だったじゃない」
ママはそう言って喜んだ。
私は息を弾ませながら、嬉しいなって思った。
「玉入れね、チェッコリーナさんって
女の人が、教えてくれたんだよ」
そう言うと、ママの顔色がさっと変わった。
「いつ会ったの?その女の人に」
ママはすごい剣幕で、私は怯えてしまった
ほどだった。
「何日か前だよ」
私がそう言うと、ママは深くため息をついた。
「二度とあの女に会っちゃだめよ。
それに、二度とその名前は言わないで
ちょうだい。
もう玉入れも終わったでしょう?
その名前は嫌いなの」
一 もしかして、ママもチェッコリーナさん
に会ったことがあるのかな……?
私は、それから、あの女の人の名前は
口にしていない。
そして、パパはあの運動会の日を境に
いなくなった。
ママは、パパのいなくなった理由を話して
くれることはなく、静かなママと私の
二人の生活になった。
ある日、あの歌がテレビから流れた。
ママは、無言でテレビを消した。
私は玉入れが嫌いになった。
あの、チェッコリーナの歌も、二度と
歌うことはないだろう。
あの日、なぜチェッコリーナさんは、
私に玉入れを教えてくれたんだろう。
なぜ、パパはいなくなってしまったんだろう。
今年も五月が訪れる。
小学校の校庭には今年もチェッコリーナが
流れるのだろうか。
校庭の隅の木の下には、今年も栗色の髪の
女の人が立っている気がした。
その姿は、どこか悲しげに違いない。
そう思った。
チェッコリーナさんに会わなければ、
パパはいなくならなかったのかな。
それでも、私にとっては忘れられない人。
五月になると思い出す人。
チェッコリーナ。
