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レンタルボックス #7/8

204番

 204番のレンタルボックスの借り主である美里みさとさんは、真剣な表情で僕に詰め寄る。
「私たちの子どもの名前を、考えてくださいね。松下さん」
「うーん、僕の子ども……なんですかね?」
 近くの大学に通う美里さんは、信じられないというような目を向けた。
「私たちの血をわけた子どもです。それを認めてください」
 妻子ある僕がこのような状況に追いやられているのは好ましいものではないが、自分に非がないとも言い切れず、言葉に詰まってしまう。
 そうなってしまった原因は、数日前の出来事に起因する。

 静かな夜だった。
 長峰ながみねレンタルボックスは、小さな月明かりと敷地内のライトの照明でぼんやり照らされていた。
 僕はいつもの巡回を終えて、帰宅しようとしていた。
 そのときだった。
 西側のボックスの扉が乱雑に開け放たれる音とタラップが軋む音が響いた。普通にボックスを利用していたら、まず鳴らない音だ。
 僕は胸騒ぎを覚え、音のした方へ向かった。
 204番のボックスの扉が開いていて、タラップの手すりにもたれかかる人の影があった。
 僕はすぐに、その人のもとへ駆け寄った。
 月明かりとライトに照らされた白い肌が目に入る。
 204番のボックスの借り主の美里さんだった。なんと美里さんが全裸でタラップのフロア面に肢体したいを投げ出している。
 苦しそうに呼吸をする美里さんを抱え、彼女に声をかけた。
「大丈夫ですか。なにがあったんです?」
 返事がない。目が今にも閉じようとしている。
 僕は後ろから両脇の下に腕を入れて美里さんを支えていたが、その腕にヌルリとした感触があった。
 血だ。
 よく見ると、彼女は全身が血だらけだった。
 いよいよ危機感を覚え、僕はすぐに救急車の手配をした。
 着ていたシャツを脱ぎ美里さんに着せた。僕はランニング一枚になってしまうが、このまま引き渡すわけにもいくまい。
 救急車を待つ間に美里さんの呼吸が安定してきた。多少の余裕が出てくると、僕のいつもの悪いクセも顔を出す。
 ボックスの中で何があった?
 美里さんを静かにタラップのフロア面に寝かせると、僕は204番のボックスに足を踏み入れた。
 ニチャ。
 水たまりを踏んだような音がした。水よりも、もっと粘度の高い音だった。
 ボックスのフロアはスポンジを細切れにしたようなものが敷き詰められ、それらは水分を含んでいるようだった。僕が歩を進めるごとに、ニチャニチャと音を立てた。
 暗いボックスの中は、そのスポンジと隅にある棚以外に目ぼしいものは見当たらなかった。棚の上には、恐らく美里さんの衣服が畳んで置かれていた。
 ほどなくして、救急車のサイレンが聞こえてきた。僕は美里さんの衣服を回収して、ボックスの外に出ると扉を閉めた。
 救急隊員を誘導して美里さんを引き渡すと、付き添いができないかと打診があった。それは考えていなかったが、当然の流れといえるだろう。この不可解な状況を説明できる者が必要だった。しかし、説明してほしいのは僕も同じだ。
「あなたも怪我しているようですね」
 救急隊員が、僕の首筋を指して言った。
 まさか、と思い首に触れるとヌルリとした感触、ついさっき美里さんを抱えていたときと同じ感触があった。手を見ると、血がベットリとついている。痛みは全くなかった。
 僕は鎌鼬かまいたちを想像した。覚えのない切り傷を、姿を見せることなくつける妖怪だ。勝手に想像して、まさかな、と一蹴した。
「分かりました。僕も一緒に行きます」
 そうして、僕たちは二人仲良く病院に搬送されることになった。

 それから数日して、美里さんが長峰レンタルボックスを訪れた。レンタルボックスというよりは、僕をたずねてきたようだ。
「松下さん、先日は、その……ご迷惑をおかけしました」
 美里さんは申し訳なさそうに伏し目がちに言った。
「美里さん、お元気そうでなによりです」
「実は、松下さんに見せたいものがあるんです。ずっと隠していましたが、松下さんには見てもらわなければならないと思いまして」
「僕に?」
「はい。一緒に来てください」
 美里さんに連れられたのは204番のボックスだった。
 扉を開けると美里さんは靴を脱いで中に足を踏み入れた。
 ニチャリとあの夜と同じ音がする。
「松下さんはそこにいてください」
 美里さんは、僕にボックスの外にいるよう指示した。
 すると、美里さんは着ていたシャツを脱ぎ出した。
「美里さん、一体なにを……」
 おかまいなしに美里さんは、ボトムスと靴下を脱ぐと、くるりとこちらに向いた。両手を後ろに回してブラジャーを脱ぎ、それらをボックスの隅の棚に畳んで置いた。美里さんは止まることなくショーツに指をかけると、スルリと膝下まで下ろして片足ずつ引き抜いた。
 そうして、とにかく着ていた衣服全てを脱ぎさって、一糸まとわぬ姿となった。
 あの夜と同じ。違うのは今が昼間だということ。204番の出入り口は北向きではあるが、日の光はボックスの中まで届いている。足もとのスポンジはよく見ると、朱に染まっている。
 美里さんが、直立した姿勢のまま両手の肘から上をゆっくり持ち上げる。それは、抱擁を求めるポーズのように見えた。
 その瞬間、ボトボトとなにかが美里さんの体に降り注いだ。赤黒いブヨブヨしたそれは美里さんの体に張り付いて、その表面を滑るように移動する。
 大きなナメクジのように見えた。
「ヒルです」
「ヒル?」
「この子たちはインドネシア産のネッタイチスイビルという種です」
「それにしたって……」
「大きいでしょう。はじめはとても小さかったんですよ。私の血だけで育てたんです。水槽は小さ過ぎてかわいそうだったので、このボックスをこの子たちのお家にしたんです」
 そう言っている間にも、足もとから別のヒルが這い上がってくる。ふくらはぎと太ももに張り付いたまま静止する。血を吸っているのだろう。
「孵化してから未吸血の状態で引き取りました。それから私の血しかあげていません。あとは水だけでいいんです」
 無数のヒルが美里さんの白い肌にまとわりつき、まるで母乳を求めるようにその血を吸う。
「そんなに吸わせて大丈夫なんですか。また、先日のように……」
「この子たちが吸う量は実はそんなに多くないんです。それよりも、唾液腺から出る〝ヒルジン〟という麻酔作用のある分泌液が血を止まらなくするんです」
 美里さんの青白い顔からますます血の気が引いていくのが分かる。
「ねえ、松下さん。この子を見てください」
 胸部に張り付いた一際大きい個体を美里さんが撫でた。
「他の子たちより大きいでしょう」
 まるで我が子を愛でる母のような目をしている。
「あの夜、松下さんも病院で診てもらっていましたね。私は気を失っていましたが、松下さんもこのボックスに入ったんですね。そのとき、この子に血を吸われたの。だって、この子だけ他の子よりも大きくなっているもの」
 胸に張り付いたそのヒルをゆっくり引き剥がす。吸い付いていた口の部分が最後に肌から離されると、そこから血がダラリと流れた。
「本当は私だけの血で育てるつもりだったんです。でも、松下さんの血も混ざってしまいました。だから……」
 差し出されたそれは、どう見積もっても小さめなバナナくらいの大きさがある。
「この子は私と松下さんの子どもです」
 その目は慈愛に満ちていた。決して冗談で言っているわけではないと分かる。だからこそ、どう返答したらいいのか悩んでしまう。
 僕の悪癖が招いた結果だ。
「私たちの子どもの名前を、考えてくださいね。松下さん」

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