レンタルボックス #4/8
111番
「あの、ここのレンタルボックスの人ですか?」
長峰レンタルボックスに一人の少年がやってきた。中学生くらいだろうか。
「はい。レンタルボックスを管理している松下です」
「あの、松下さん。突然すみません。ここの111番のボックスの中を見せてほしいんです」
111番。またか。
「うーん。どうしてかな。君たちはどうやってここにやって来るんだろうか。揃いも揃って111番を見せてほしいと言う」
長峰先輩からこのレンタルボックスを引き継いでから、彼のような来客が後を絶たない。
「シールです」
「シール?」
「この街のいたるところに、シールが貼ってあるんです。人差し指のシールです。その指は、それぞれ同じ一点を指しています。最初に見つけたのは学校の格技場でした。格技場っていうのは、柔道部や剣道部が使う小さな体育館みたいな施設です」
「同じ一点を……」
僕はそのようなシールをどこかで見たことがあるような気がした。
「それらを結ぶと、ここのレンタルボックスの111番で交わるんです。ダメでしょうか?」
「本来、お客さんのボックスを勝手に開けるのは規約違反なんだけど。そもそも鍵が閉められているしね」どの口が言うのか。「でも、111番は皆、勝手に見ていくよ」
「どういうことですか?」
「111番だけ鍵がかかっていないんだ」
北側の一番奥に111番のボックスがある。
少年がボックスの扉に手をかける。
「本当にいいんですか?」
「ダメなんだけど。まあ、見たところで……ね」
少年が手を引くと、扉はゆっくりと開いた。
「これは」
「まあ、そういうことなんだ」
111番のボックスは空っぽだ。
「そんな」
「なにがあると思っていたのかな?」
「神様」
「ああ」
見たことのあるシールの意味がようやく分かった。どこかのホテルに泊まったとき、天井になにかの方角を示すシールが貼ってあったことがある。
それはムスリムたちの聖地、メッカのカアバ神殿の方角を示すステッカーだった。
「僕、学校でその、いじめられていて……。聞いたことがあったんです。噂のような話でしたが、このシールのことを。神様を信じれば、なにも考えずにすむ。苦しむこともなくなるって」
少年が肩を落とす。何と声をかけたらいいか僕は分からなかった。
「あ、ちょっと待ってください。これ」
少年がボックスの内壁になにかを見つけた。
それは人差し指のシールだった。指は天井を指し示す。
「天井、天井……」薄暗いボックス内を見上げた。「あ、あった。これだ」
少年は歓喜の声をあげた。
人差し指のシールが指し示す先には、更にシールが貼ってある。小さなQRコードがプリントされたシールだった。
そのQRコードに、少年はスマートフォンを向けた。
「やった。やっと見つけた。これで、これで……」
これでなんだというのだろう。少年は噛み締めるように、その先の言葉を呑み込んだ。
「ありがとうございます。松下さん。あ、お仕事の邪魔をしてすみませんでした。僕、もう行きます」
少年が去った111番のボックスの中で、僕は釈然としなかった。
天井のQRコードを読み取ってみた。
古い、いや実際に古いのかは分からないが、とにかく古くさいwebサイトに飛ばされた。
僕もレンタルボックスのホームページ運営で多少の心得があったが、これは一昔前の、いわゆるテーブルコーディングというやつだ。表をつくるための要素を使用して無理矢理レイアウトする黎明期の技術で組まれたwebサイト。
しかし、かえってそれがリアリティを感じさせる。
ガガンボ教。
『ガガンボのように、なにも望まず、ただ空をただよふ』
スマートフォンのディスプレイ上でテキストがチカチカと点滅している。
簡易な情報と問い合わせフォーム、それに連絡先が記載されているだけのミニマムなwebサイトだ。
聞いたことがある。風に吹かれただけで体がバラバラになるガガンボに倣い、自他ともにいたわり慈しみ優しく接しろという教えらしい。
これに魅せられると、目から正気が失われ、競争社会から外れていく。
僕が釈然としなかった理由は、そのシールに〝キブラ〟と重なるものを感じたからだ。キブラはムスリムたちが礼拝する方向を示す言葉だ。
111番のボックスに貼られたシールの人差し指が指し示すのは、きっとこのQRコードではない。
このボックスの真上にある211番のボックスを示しているのではないか。
211番
僕はタラップを上り211番のボックスの前に立った。
このボックスは鍵がかけられている。しかし、僕にはマスターキーがある。
211番のボックスの扉のシリンダー錠を解錠する。
辺りは薄暗くなってきていた。黄昏時に近づきつつある。
扉を開いた。
8帖のボックスの中心にあるのは、小さな社だった。
このボックスは、僕が長峰レンタルボックスを譲り受ける前から、ある人物に借りられていた。
長峰先輩から聞いたことがある。この位置にはもともと社があった。
小さな社だった。先輩は、レンタルボックスを作るときにこの社をどうしようかと悩んでいた。そんなとき、ある人物からの提案があった。
ボックスを借りるから、その中に社を残してほしいと。
ボックスの借り手がつくうえに、社が残せる。先輩からしたら乗らない手はない提案だ。土地を返すときには元の状態に戻す必要があるからだ。
111番と211番のボックスの借り主は花野という20代の女性だった。顔を合わせるときは真っ黒なパンツスーツ姿で現れる。端正な容姿が印象的だった。
僕はこの社のご神体を見たことがある。本来ご神体は、おいそれと見ていいものではない。しかし僕は、花野さんがこの社とどう関わっているのかが気になった。
社には桐の箱が隠されている。そして桐の箱の中には無数の羽虫の羽がいっぱいに詰められていた。
それを見て僕は、子どもの頃に歌った童歌を思い出した。
ガガンボさん ガガンボさん
羽がふわふわ ひらひらり
一枚むしって ひと願い
ガガンボさん ガガンボさん
お次の羽も はらはらり
二枚むしって ふた願い
ガガンボさん ガガンボさん
全部むしったら 空に舞え
この童歌は、この街の人間なら誰でも知っている。しかし、街の外の人間は誰も知らず、ネットで検索しても出てこない。
この社はガガンボのお墓だったのではないだろうか。子どもの遊びで羽を千切られたガガンボを供養するお墓。いつしかそれを祀る人が出てきた。宗教を作るのは結局人間で、そのきっかけはさまざまだ。
街中に貼られたシールの存在は知らなかった。最近貼られたものだろう。子どもの視点に合うように低い位置に張られているのではないだろうか。それを貼って回っているのは恐らく……。
浅間神社から富士山を遥拝するように、ムスリムたちがカアバ神殿に向かって礼拝をするように、ガガンボ教もその聖地を示す。
救いを求めるものが、いつかその地を目指すことは自然なことだ。
ただ漂うだけの人に危害を加えることのない脆弱なガガンボ。
その印象とは裏腹に、鍵もかけず開け放たれた111番のボックスは、獲物を捕える罠のように見えて仕方がない。
