#39 山崎ナオコーラさん(作家)
作家の山崎ナオコーラさんが長野県佐久市に移住した、と知人から聞いたのは2025年2月末。後日、佐久市の某カフェでお目通りが叶い、その日はよもやま話に興じたのだけど、お土産にと渡された原稿が東信(長野県東部)を走るローカル線・JR小海線を題材にした小説で、「これからもっと長野を題材に執筆していきたい」との言葉に私は勝手に大感激。そして先日山崎さんが上梓された児童文学『魔法のつららペン』が佐久市を舞台にしていると聞き、早速取材しに行きました。
取材・文=岡澤浩太郎/sprout!
写真=栗田脩

■プロフィール/山崎ナオコーラ
作家。福岡県出身、2024年より長野県佐久市在住。代表作に『人のセックスを笑うな』(河出文庫)、『ミライの源氏物語』(淡交社)など。近作『魔法のつららペン』(静山社)のほか、「氷河の国にようこそ」(『すばる』2026年1月号/集英社)、「脳が三つに割れる」(『文學界』2026年3月号/文藝春秋)は、佐久市を舞台にしている
introduction / editor's note
『魔法のつららペン』は、書字障害(文字や文章を書くことに困難が生じる症状)に悩む主人公が、とある橋に下がっていたつららを拾ったことから始まる児童文学。氷の国への旅という冒険を通して、字の上手い/下手や、何かを伝える/伝えないも問わない、「自分らしい」「表現」があることに気づいていく様が描かれています。

まず目を引いたのが、物語が山崎さんの住む長野県佐久市を舞台にしていること。浅間山、臼田橋やその近くにある神社といった実在する場所の描写は、普段からよく近辺を通る私からすれば、まさにご当地文学そのもの。児童文学とはいえ、勝手に感情移入してしまいました。
もうひとつは、書字障害というモチーフを通して、字/言葉/文章/小説とは何か、あるいはそれを書くこと/読むこととは何か、という問いを発していることです。読みながら私は、山崎さんと初めてお会いした日、ぼちぼち解散時間が迫るころになって、ふと山崎さんがこんなようなことを言ったのを、思い出しました。
「山の稜線を目でなぞるのも、読書なんじゃないかって思うんです」
この言葉は、いまも私の脳に、じんわりとした余韻を残しています。ここには、山崎さんにとって、かなり力強い、本質的なメッセージが込められているのではないか。しかもこの山は、東信のシンボルのひとつである浅間山を指していたのだから、どうにも他人事とは思えず……。
その後、取材申請のための山崎さんとのやり取りで、山崎さんは本作だけでなく、佐久市を舞台にした小説をほかにも書いたことを知らされました。さっそく読んだ二編、「氷河の国にようこそ」「脳が三つに割れる」が、面白いのなんの……。

エッセイなのか、小説なのか、そんな違いとか、文学とは何かとかだって一切どうでもよく、日常に起こったこと(おそらく実話)が、目の前に現れ、解決したりしなかったりして、体に留まり、あるいは通り過ぎ、時には戻ってきて、そうこうするうちに別の何かが起こり……という「日々のリズム」にただ身を委ねるという体験が、とにかく心地よかった。
そう、日常ってこういうことの連続なんじゃないか。もしかしたら自分は、物語を夢見過ぎていたのかもしれない……。そんな「気づき」が、私が住む界隈を題材にしてもたらされたことに、とにかく幸運を感じたのです。

interview[前半]山の稜線をなぞるのは、読書に似ている
インタビューはまず、山崎さんが東京から長野県佐久市に移住した経緯を聞くことから始めました。曰く、一番の理由はお子さんの教育移住で、しかし入学した学校でトラブルがあり(山崎さんの短編小説「脳が三つに割れる」によると、相当ひどいトラブルだったようで……)、市内の公立校に転校することになったそう。
けれども、私自身も実際そうでしたが、教育移住者にありがちな、公教育への違和感は、かなり薄れていったと言います。余談ですが、やはり長野は教育県なのか、2024年に策定された第4次長野県教育振興基本計画では、画一的な教育からの脱却が謳われています。今後、公教育が大きく変わるかもしれません。
▼参考:第4次長野県教育振興基本計画
また、山崎さんご本人も、活動の場を東京から移したことで、大きな心境の変化があったそう。プライベートでの育児や介護の合間を縫っての執筆作業にはいろいろと制限があるけれど、仕事に対する焦りや不安、競争心などから解放され、「気兼ねなく」執筆できるようになった、と。
その忙しさにとらわれず、気持ちを落ち着かせてくれるのが、佐久市から見える山の存在だったと山崎さんは言います。「山の稜線をなぞるのは、読書に似ている」「快感がある」、特に浅間山のなだらかな稜線は、アップダウンの激しい小説ではなく「いつでも閉じられる」タイプの小説に似ているから好きだ、と。

移住後のもうひとつの変化は、車での移動中にポッドキャストやオーディオブックを聞くようになってから、「読書が変わった」こと。聞き飛ばし/読み飛ばしで構わない、作者の意図も無視していい、もっと自分主体で読んでいい、と思うようになったとか。
ここから、エッセイや、近年流行している日記本について、話が及びます。山崎さん曰く、エッセイや日記のように日常の暮らしを追う文章でも、山と谷が自然に現れる。それが作者の意図を超えたものであるところに面白さがあるし、そうした日常の山と谷は、(人間の手を超えた)山の稜線に似ている。「だから、山の稜線をたどるのは、段落の変わり目を読むのと、似ている」と。

「長野の人から応援されたい」と山崎さん。今後も長野を舞台にした作品を書いていく予定だそう。インタビュー後半では、実際に佐久を舞台にした近作『魔法のつららペン』と、佐久市で行ったワークショップについて、うかがいます。
※[前半]の音源はこちらで公開中
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interview[後半]「選ばない」をがんばりたい
インタビュー後半は、山崎さんの近著『魔法のつららペン』についての質問からスタートします。主人公は佐久市に住む女の子で、佐久市に実在する臼田橋をモチーフにした橋が重要な場面で登場してくるあたりは、界隈に親しみがある人にはうれしい描写でしょう。

前述のように、本作は書字障害を扱っていますが、ところで、山崎さんはなぜこれを題材にしたのでしょうか。そもそも「字」はただの「線」なのに、なぜ追うだけで面白いのか、字とは/文章とは何なのか、伝えるとは何か、という話から、この本の帯にある「書けても書けなくても、わたしは、わたし」という言葉の真意を、山崎さんは語ってくれました。
続いてインタビューは、山崎さんがご一家で活動しているユニット「ソーダ書房」として、佐久市にあるギャラリー1045佐久平で行ったワークショップ「はって、束ねて コラージュポスターブックをつくっちゃおう!」について聞きました。
これは文字通り、本をつくるワークショップで、参加者は思い思いの「本」をつくって楽しんだそう。この、「思い思い」というのがキーワードで、書店で売っているような本とも違う、山崎さんが想定していたものとも違う、自由な表現が見られたようです。
ここから、本とは何か、という話に及びます。そもそも、紙を折って綴じてしまえば何でも本になるのだから、本とは誰にでもつくることができるものなのではないか。どうして、本をつくることは、特別なことになってしまっているのか――。

この問題提起から、商業出版に対して、あるいは執筆作業=労働のあり方に対して、山崎さんの思いが語られます。そして、その解決のアプローチのひとつが、ソーダ書房というあり方であった、とも。
こうしたワークショップは今後も地域で行っていきたい、と山崎さん。sprout! でも引き続き応援していきます。
▼インタビュー[後半]のトピックス(約14分)
文字って何?
伝えなくてもいいんじゃないか
本は誰でもつくれる
執筆と育児を混ぜる
※[後半]の音源はこちらから
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