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第2章『特別支援学校という温室と、私を呼び戻した音』へ

前回、私は中学時代の「IQ 9歳」という宣告と、暗闇の中で特別支援学校へ進学した経緯をお話ししました。

「毎日生きている意味なんかない」「この先、希望なんて何もない」。 当時の私にとって、時計の針は13歳のまま止まり、世界は色を失っていました。ただ、時間が残酷に過ぎていくのを待つだけの場所。そこにいたのは、当時の祖母に「(ドラマ『野ブタ。をプロデュース』の)堀北真希ちゃんみたいだね」と言われるほど、心を閉ざした一人の少女でした。

1. 「温室」という名の違和感、そして16歳の孤独

中学の先生から納得のいく説明もないまま、「あなたと同じような子がいるから」と導かれた特別支援学校。しかし入学してすぐ、私はある違和感に気づきます。「私は、ここのみんなとは何かが決定的に違うのではないか」と。

今、心理学を学ぶ立場から振り返ると、それは「環境」の差であったと確信しています。環境は、脳の神経伝達にも大きな影響を与えるものです。当時の私は普通科高校への編入も考えましたが、あまりにも自信がなく、一歩を踏み出すことができませんでした。結果として、16歳になっても私は孤独な暗闇の中にいました。止まった針は、動き出す気配すら見せませんでした。

2. 2016年12月31日、一筋の「光」

そんな私の世界に、突然「光」が差し込んだのは、2016年12月31日の大晦日のことでした。 母の実家に親戚が集まり、賑やかに年越しそばを食べる。そんな恒例の景色の中で、何気なく眺めていた『第67回NHK紅白歌合戦』。そこで私は、教科書にも先生の言葉にもなかった「救い」に出会うことになります。
それは、ふと耳に飛び込んできた、ある「演歌」の響きでした。

3. けん玉が運んだ、心に沁みる「四万十川」


思い返せば、小学生の頃から演歌とは不思議な距離感にありました。北島三郎さんや森進一さんが、紙吹雪の中で「まつり」や「おふくろさん」を熱唱する圧倒的なエネルギー。その強烈なインパクトが、私の心の奥底に静かに眠っていたのかもしれません。
そして、16歳の私の心を射抜いたのは、二つの大きな衝撃でした。

一つは、三山ひろしさんが「四万十川」を歌唱されたシーンです。
けん玉という日本文化を取り入れたパフォーマンス。その真剣な姿と、四万十川の情景が浮かぶような歌声に触れた瞬間、ささくれ立っていた私の心は、驚くほど穏やかに落ち着いていきました。「演歌っていいな、沁みるな……」。それは、孤独な暗闇を彷徨っていた私に届いた、最初の温かな手触りでした。

4. 演歌という名の「心の処方箋」

もう一つは、演歌歌手の方々が放つ「覚悟」の姿でした。
日常とは切り離された、非日常的なメロディー。削ぎ落とされた短い歌詞。それらを背負い、淡々と、しかし魂を込めて歌いきるその姿に、私は「演歌って、こんなにかっこいいんだ!」と、言いようのない勇気をもらったのです。
当時の私にとって、演歌は単なる音楽ではありませんでした。
それは、当事者にしかわからない苦しみや孤独を和らげてくれる、
「心の処方箋」となったのです。 「演歌があれば、ちょっとは気持ちも
楽になれるかもしれない」 そう感じた瞬間、13歳のまま止まっていた
私の時計の針が、16歳の冬、力強く音を立てて再び回り始めました。

次回:第3章 止まった針と、閉ざされた未来——特例子会社という『温室』の中で抱いた葛藤へ続く。

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