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自分を下げて相手を上げる



褒められたい。
だから積極的にまわりの良い所を見つけて、口に出すようにしている。
だって褒められたら、嬉しいでしょ?良いきもちになるでしょう?
だから褒める。

こんなに脆く軽率に人を褒めるせいで、いつしか私の”褒め”は自分を下げて相手を上げるツールになっていた。私にはできないから〇〇ちゃんはすごいね、というふうに。自覚していた。



指摘された。
「他人と自分を比べて、すごいねっていわれてもそんなに嬉しくない。過去の自分と比べて褒めてもらえるときは、とても嬉しいけれど」
そりゃそうだ。誰かと比べて褒められたって、相手を下げて褒められたって心から喜べやしないだろう。比較されているんだから。

その、自分を下げない褒め方ってどうしたらできるようになるんだ。
しっかり相手と向き合うしかない?向き合わなきゃ、ダメ?
まだ、逃げていたい。かも。直視する勇気が出ない。
全然まわりが見れていて、推測だって大体当たっていて、人をよく見ているあなたのことを直視する度胸がない。
これだって自分を下げた褒めだ。下げてしか褒められない。
過去のあなたと比べてもその時点から既にすごいのだから、すごいねの何割増しの褒め方しかできない。大元をたどれば、自分下げ。ダメだ。



さっき、ふと気づいた。
呪いだ。

「〇〇ちゃんより何点も上じゃない!えらいねぇ」
「あんたはお姉ちゃんより勉強ができるねぇ」

数年たったら、こうだ。

「〇〇ちゃんは何点だったの?…90点?
なんであんたもこれくらい取れないの、普通は100点よ」
「お姉ちゃんに比べてあんたは本当にできない子ねぇ」
「お姉ちゃんは我が家の誇りだよ」

褒めてもらえるときはいつも、他者と比較して勝(まさ)っていたときだった。あの子よりすごい、この子よりすごい。だから偉いね。と。
だんだん褒められなくなった。
まわりはどんどん、私より優秀になっていった。
褒められなくなった。



猫って、とても良い。
誰と比べるでもなくあなたが好きですとニャーと鳴き。めしをくれとニャーと鳴き。フンゴロフンゴロふとんに頭突きしぬくもりを分けてくれる存在。
ああ純粋なあたたかさが染みる、私ずっとそれが欲しかった。愛。愛。



私まだあなたと向き合えていない。
人の気持ちなんて極論分かるものじゃない、と目を背けている。何をしたら喜んでくれるだろうかと考えるくせに自分視点だ。あなたじゃない。
されて嫌なことはしないし、されて嬉しいことはする。そこにあなたの気持ちは介在しない。
とっても、とってもジコチューってやつかもしれない。


どうするべきなのだ。愛がほしい。褒められたい。無条件に肯定してほしい。生きててえらいとか当たり前のことでは褒めないでほしい。バカにされている気がする。もっと、もっと、私が納得できるような”褒め”が欲しい。それは既に条件付き”褒め”でしかない。

心の穴を埋めたい。褒められたい。
愛されたい。


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