【連載小説】ダッチン! ~日本の寄付を文化に変える男~ ≪9≫
9 西谷康平の談
お待たせしました。
どうぞどうぞ、おかけください。
社長の西谷と申します。
よろしくお願い致します。
社長と申しましたがフランチャイズですので、パッと見も事実上も店長と変わりがありません。
ああ、ありがとう。……どうぞ岡さん、我が社自慢の挽きたて、かつ、煎りたてのホットコーヒーです。岡さんは、ミルクや砂糖は?
ブラックですね。……良かった。この豆は香りが自慢でして、内心ブラックで召し上がっていただきたいと思っていたのです。
お口にあったなら、なによりです。
ありがとうございます。
もう夕方ですし、ビールの方が良いのでは?とも考えたのですが、なかなか手に入らない美味しい豆が届いたばかりでして、どうしても、振舞いたいという欲求を抑えられませんでした。
もし、よろしかったなら、すぐ近くに私たちの行きつけのカラオケスナックがあります。今夜、ご一緒にいかがですか?
私たちの月末恒例の慰労会で、すでに予約してあるのです。1人増えるくらいは問題ないハズですので。
……そうですか。残念です。
また、機会がありましたら、ぜひ。
はい? あ、ウチの社員数ですか? 私とパートさんを含めて、4名です。
今いる彼女の他に、もう1人、営業マンがいるのですが、彼は今、お客様のところに訪問中です。
あと、土日祝日だけ、1人のパートさんに応援いただいています。
最初は私1人、自宅でノートパソコン1台だけという状態で起業をいたしました。今は、このように店舗を構えて、小さいながらも一国一城の主という気分を味わっております。
さて、……足立雅樹くんとの思い出話を、ということでしたね。
まず最初に足立くんのことを、「ダッチン」と呼ばせてください。もうかれこれ25年間、私は彼を「ダッチン」と呼び続けてきましたから。
最初は「足立くん」と言っていても、どこかで「ダッチン」と言ってしまうと思うのです。
なので最初から、「ダッチン」と呼ぶことをご了承ください。
ええっと、まず出会いからお話しますね。
……私とダッチンが出会ったのは、音楽がキッカケでした。より正しく言うなら、尾崎豊さんがキッカケだったのです。
尾崎豊さんのカヴァーバンドを、ダッチンと一緒に作りまして。
あれは、高校1年生の夏休み前でした。
クラスは違ったのですが、私の幼なじみがダッチンと同じクラスで、その縁で、互いに尾崎豊が大好きだと知り、意気投合して、いつの間にやら「バンドを作ろう」ってなっていったのです。
それぞれ仲間を誘って、わりとすぐ、バンドを結成できました。
その言い出しっぺは、この私だったのです。
バンドは楽しかったなぁ。
ダッチンはボーカルで、ギターも担当でした。私はベースで、あとキーボードとドラムがいて、ギターがもう1人いました。全部で5人です。
でも、たったの1年もしないうちに、そのバンドは解散してしました。
理由は、ダッチンを含めた3名が、ラップに嵌ってしまったからです。
ふふっ。
いわゆる、「目指す音楽性の違い」、という問題が生じたワケです。
……こう言うと、なんかプロみたいで、この説明は私のお気に入りです。
私ともう1人は、どうしても尾崎豊が、というか、フォーク的なロックが好きでしてね。
また私は、プロを目指してはいなかったのです。私は、そこまでの才能が自分にあるとは、全然思えなくて。
挑戦して、努力して、しかし、夢破れるというのが怖かった。
私は、そんなふうに小賢しい性格をしておりました。この性格は、今も変わりません。自分でもセコイ性格をしていると思うのですが、まあ、持って生まれたもので、変えようもないと最近ではあきらめています。
また、この性格を、「堅実」とか「慎重」などと、長所と解釈してくれる人も多少はおりますので、そのように、ポジティブに受け止めつつあります。
音楽は、心の底から大好きでした。ノーミュージックノーライフです。音楽に夢中になったあの数年間を、私は、誇りにさえ感じます。
目指す方向に違いが生じ、解散すると決まっても、私たちは揉めることはありませんでした。円満解散です。
残った私たち2人は、フォーク・デュオを結成ました。「19を超えるぞ」なんてホザイていましたよ。
その私の相方は、歌唱力のあるダッチンを失って、本当はガッカリしていたのかもしれません。しかし彼は、私以上にフォークソングが大好きだったのです。
ちなみに私は、フォーク・デュオでボーカルができると、なんなら少し喜んでいました。ははは。
ラップに嵌った3名は、本気でプロを目指すのだと燃えていました。実際、相当な実力があったと思います。文化祭でも、かなりの盛り上がりでしたから。
スゴイなぁという感動と、嫉妬とが綯い交ぜになった複雑な気持ちで、ステージ上の3名を眺めていたことを思い出します。
その後ダッチンとは、たまたま、同じ大学に進学しました。大学生になった私は、この偶然は神様がくれたモノだと感じまして、ダッチンがラップに飽きることを、実はコッソリと祈り、そして待っていました。
そうなれば、また、ダッチンとフォーク・ロックを追求できると、淡い期待を抱いていたのです。
残念ながらダッチンは、ラップにより深く嵌ってゆき、それはまるでラップに取り憑かれているかのようでした。
ダッチンとは、音楽活動では完全に別行動となりましたが、それでも2人で飲みに行ったり、仲間数人で集まったりと、疎遠にはなりませんでしたね。
むしろ、高校2〜3年生の頃より、会う回数は増えていたくらいです。
居酒屋で語り合い、ときには議論を戦わせ、ときには酔って本音を曝け出し、そんなことを繰り返して、徐々にダッチンは、私にとってかけがえのない友人へと変わっていったのです。
カラオケにもよく行きましたね。
ダッチンとは、とにかく、馬が合うんです。
私は、かなりマイペースな人間です。我が道を淡々と歩いてゆくタイプだと、そのようにも自覚しています。
ダッチンは、そんな私のマイペースを許容してくれる、数少ないとても貴重な友だちでした。
「ワガママだなぁ」と、周りからよく言われるのですが、ダッチンからはそんなことを1度も言われたことはなく、逆に「康平はオモシロイなぁ」って、いつも言ってくれました。
だから一緒にいて、とても心地良くて……。
お互いの性格は、かなり真逆です。例えば、ダッチンはロマンチストで、私はリアリストです。
ダッチンは純粋で、私は小賢しい。
ダッチンは頑固で、私は臨機応変。
ダッチンは運動神経抜群で、私はこの通りガリガリの運動音痴です。
ダッチンはヤンチャで、私はオタク。
尾崎豊を崇拝している以外は、ほぼほぼ、真逆だったのです。そして、それが良かったのかなぁ、と思います。
自分とは異なる性格のダッチンを、私は、無意識に尊敬していたと思いますし、興味深いと感じていました。そして私は、ダッチンからも尊重されていると、いつも感じていました。
共感だけで、「そうだ、そうだ」と盛り上がるのも悪くはないのですが、尊敬し尊重されるという間柄は、今で言うところの「心理的安全性」を感じられて、とても平和な気持ちになれたのです。
金子みすゞさんの「みんな違って、みんないい」という、そんな優しさに包まれた感じで、とても穏やかでした。
例えば、2人でいるときに生じる『無言』とか『間』とかが、ダッチンとの場合には、まったく気にならないんですよね。
私たちは会うと、たいていは音楽のことを語り合いました。挨拶代わりに、お互いの近況報告をして、そのあとはごく自然に、最近魂を揺さぶられた曲のことを熱く語っているというのが、デフォルトです。
ダッチンはよく、ラップミュージックの魅力を熱く語りました。「熱く」とは言っても、大声で力説するタイプではありません。逆に淡々と、論理的に説くといった感じです。
ボリュームは普通かむしろ小さめなのに、得も言われぬ説得力があって、それは、胸の中に熱いものを秘めている証拠だと、私はそう思います。
ダッチンはごくたまに、作詞した歌詞の、その意味や背景などを語ることがあって、これが私は、大好きでした。
コアファンにもほとんど語られることのない、貴重な裏トークです。
私はというと、なんというか、ええっと、……要するに私はダッチンに、よくというか、しょっちゅうというか……。恋愛相談をしました。……はい。
ダッチンと違って、私は奥手だったのです。
女の子が喜ぶプレゼントとか、デートはどこに行ったら良いのかとか、そういうことが私は、全然分からなくて。
そのジャンルでは、何度もダッチンを頼り、何度もアドバイスをして貰いました。1度、ダブルデートもしましたね。
やがて私は、就職活動を行なって、ごく普通のサラリーマンとなったのですが、ダッチンは、時にはアルバイトのようなこともしながらも、しかし、あくまでもメインは、ラップミュージシャン1本でした。
ある時、サラリーマンとなった私は、ダッチンに誘われるがまま、なにも考えることもなく、ライブ会場へとノコノコと出かけて行きました。
そこで私は、完全に打ちのめされました。
ダッチンのライブが、想像を遥かに超えたパフォーマンスだったのです。
圧巻でした。
若い男女のファンが熱狂していました。
私よりだいぶ年上の男女も、やはり熱狂していました。
私は、震えながら感動し、同時に、過去最大の嫉妬に襲われました。
ダッチンが格好良かったんです。
眩しかった。
悔しかった。
自分が情けなかった。
私は、音楽に、なぜ全力を尽くさなかったのかと後悔しました。
99.9%あきらめつつも、わずかに残っていた0.1%の、【音楽で食べていく】という、私の心の底に隠していたはずの小さな夢が、その日、完全に消えて失くなったのです。
ダッチンに引導を渡された感じです。……まあ、親友に引導を渡されたのですから、むしろ、それはイイことなのでしょう。
ダッチンには、絶対、プロになってほしいと、心の底から思いました。
私が嫉妬するほどの男なのですから、どうせなら日本を代表するラップミュージシャンになって欲しいと思ったのです。
そうなれば、「彼と一緒のバンドだった」とか、「そのバンドを作ったのはジイジなんだぞ」とか、将来、孫に自慢できるじゃないですか。ははは。
だからです。
だから、ダッチンがラップを辞めて実家に帰ったと聞いたとき、私は本当に驚きました。そしてショックでした。
ダッチンから何も聞いていなかったので、なんか、裏切られたような気持ちにもなっていました。
私は、そんなモヤモヤを抱えながら、ダッチンに電話をしました。
その時ですか? ダッチンが実家に帰ったのは……、28歳かな。29歳かな。その頃です。
10年か11年前ですね。
ダッチンは開口一番「康平、スマン。なんも言わずに申し訳なかった」と、私に詫びました。そしてすかさず、「会おう」と言ってくれたのです。
その日の夜、地元の居酒屋で会いました。
ダッチンは、詳細は話せないが深刻なトラブルがあって実家に帰るしかなかった、と言ったのです。
「深刻なトラブル」と聞いて、ああ、やはりなと、私は思いました。
その時の、約1年前のことです。
ダッチンは実家に帰る1年前、あり得ないケンカをしたのです。それも自分から執拗に絡み、そのケンカで大怪我を負いました。
私は、そのケンカの目撃者、です。
あのとき私は、係長に昇進しまして……。
そのことをダッチンに伝えると、「飲もう、昇進祝いだ」となったのです。
待ち合わせの居酒屋に着くと、ダッチンはすでに、かなり酔っていました。これは、かなり珍しいことなのです。ダッチンはお酒が強いので、酔ってもそれが顔に出ることなんて、見たことがありませんでしたから。
そんなダッチンが、私が着いたときには完全に出来上がっていて、呂律も怪しいほどでした。トイレに行くときも、なんとダッチンは千鳥足です。右へ左へとフラフラ蛇行して、真っ直ぐ歩けなかった。
そして、トイレから出てきたダッチンは、私のいるテーブルには戻らず、なぜか、メチャクチャ怖い先輩が飲んでいるテーブルへと向かいました。
その先輩は、私もダッチンも尊敬はしていたものの、特段仲が良い間柄ではありません。また、すぐキレる、怖い先輩として有名でしたし……。
なのに、あろうことかダッチンは、その先輩に絡み出したのです。あれは明らかにダッチンが、難クセをつけていました。そうとしか見えないのです。
私はあわてて止めに入りました。
その先輩が持つ3つの武勇伝は、地元ではあまりにも有名で、しかも、その武勇伝は、かなり信憑性も高かった。そして、その先輩は巨体です。ラグビーのオールブラックスのフォワードみたいな、そんな巨体です。
相手が悪すぎます。私が加勢して2人がかりであっても、100%勝てっこありません。
そもそも、その日の先輩は、何も悪いことをしていません。
ダッチンは、私の知らない恨みでもあるのか、その危険な先輩に執拗に絡み続けました。
最初はあのスグ切れる先輩が、なんと、絡むダッチンをあしらってくれたのです。それなのにダッチンは、しつこく絡み続けまして。
……予想通りに、いや、予想以上にブッ飛ばされたのです。
ボッコボコでした。
数人がかりで、なんとか2人を引きはがしましたが、床に突っ伏したダッチンは、起き上がれませんでした。というか、ほぼ意識を失っていたのです。
私が話しかけても、まともな言葉が返ってきませんでした。モゴモゴと聞き取れない、うめくような声を漏らしただけです。
私は、ダッチンを立たせよう試みましたが、全然ダメでした。酔って立てないのかと思ったのですが、それとは別に、ダッチンはヒザを痛めていたのです。後日ダッチンから直接聞いたのですが、右ヒザの靭帯が、4本中3本切れていたそうです。
店員さんの協力を得て2人がかりで、ダッチンを両脇から担ぐようにして、ほぼ引きずって店の外へ出ました。
誰かがタクシーを捕まえてくれて、私はダッチンを引きずりながら後部座席に乗り込み、救急対応をしてくれる病院へと向かいました。
病院でも、運転手さんや看護師さんの協力を得て、みんなで四苦八苦しながら、なんとかストレッチャーにダッチンを乗せて、そんなタイミングで、ダッチンの弟が近づいてきました。
私は、タクシーの中で、弟のヒロに電話で事情を話し、病院に来てくれと頼んでいたのです。
ダッチンの怪我は心配でしたが、命に別状はないとのことでしたので、私はお役御免とさせてもらいました。
その、翌々日だったはずです。
ダッチンから電話がありまして……。
ダッチンは、やはり、その晩のことを何も憶えていませんでした。かすかに手羽先を食べたようなと、昇進祝いの冒頭をウッスラ覚えているだけでした。
どうやって病院へ来たのかも分からず、ケガを負った理由も分からず、先輩に絡んだことも、全て記憶にありませんでした。
私は「なぜ、先輩に絡んだん? 恨みでもあったのか?」と聞きました。
ダッチンは、「そんなのは一切ない」と言いました。
「恨みもないのに、なぜ?」と、私は重ねて聞きました。
「自分でも全然分からん」と、ダッチンは言いました。
本当のことを言っていると、私は感じました。
ウソは無かったと思います。
ケガの具合を聞くと、「痛いけど大丈夫」と言いました。こっちの「大丈夫」はウソですね、今思うと……。
ダッチンは、看護師さんから手術が必要で、しばらく入院することになるとの説明を受けて、「だから昨日隙を見て、勝手に出てきた」と言ったのです。
オイオイと思いましたが、私はダッチンの頑固さも知ってますので、ムダだと思い、小言は言いませんでした。
私は、この、どうにも解せないケンカが、ず~っと頭の中に引っかかっていたのです。
その1年後に、ダッチンは実家に帰った。……音楽活動を捨てて、です。
「深刻なトラブルがあって」という発言は、真っ先に、あの解せないケンカとリンクしました。
最初は、あの先輩に嫌われ、しょっちゅう絡まれるようになったのかな?と推理したのですが、これは違うと、すぐに考え直しました。
深刻なトラブルは、あのケンカの前にあったと思うのです。
深刻なトラブルがあったから、酒を飲み過ぎた。
酒を飲み過ぎて正体を失くし、たまたま居合わせた先輩に絡んだ。
こっちの順番だと思ったのです。
私は、ダッチンのあの日の泥酔やケンカから、なんとなく、現実逃避を連想していたのです。
どんなトラブルがあったのかは、あえて聞いてはいません。ダッチンが私に話さないということは、きっと、忘れてしまいたい過去なのでしょう。
おそらく、そのトラブルでダッチンは精神的に追い詰められ、もがき苦しんでいたのです。
あのダッチンが音楽を捨てるなんて、尋常じゃありません。
尋常じゃない決断をしている……。
どれほどの苦しみだったか……。
どれほど辛い決断だったか……。
それは、どれほどの覚悟を要したのだろうか……。
その日、地元の居酒屋で、私の前にいるダッチンは、決断後のダッチンなのです。覚悟を決めた後の、ダッチンでした。
本音を言うと、私の胸の中は、「もったいない」という言葉で、パンパンに膨らんでいました。
しかし、尋常ではないトラブルがあり、尋常ではない決断を行ない、尋常ではない覚悟によって、なんとか行動を起こした。
……そんな苦渋を隠せず、顔に出ちゃってるダッチンに、私の勝手な願いを言うなんて、出来っこありませんでした。
その居酒屋で、ダッチンは最後に、こう言いました。
「親父の会社で一人前になるまで、仕事だけに没頭する」と。
「一人前になるまで、康平とは会わない」と。
「一人前になるまで、誰とも会わない」と。
私は、「分かった」と言いました。
「頑張れよ。オレも頑張る」と。
「一人前になったら、また飲もう」と。
ダッチンの覚悟を、ひしひしと感じました。
その覚悟に触発されて、その後私は、独立起業を考えるようになったんですよ。
ダッチンと会えないのは、漠然と、2~3年くらいだろうと思っていたのですが、それがメチャクチャ長かった……。
2年前の2023年、ダッチンが三代目を継いで、その数日後の飲み会でやっと会えたんです。
会わない宣言から、8年が経っていたんですよ。長すぎでしょ?
みんなからも「ダッチンの一人前って社長かよ」とか、「待たせ過ぎ」とか、散々に言われていましたよ。
今は互いに経営者です。
忙しくてたまにしか飲めませんが、それでもときどき会っています。
飲んでいるときに語り合うのは、まずは、互いの会社の近況報告ですね。
音楽活動ではなく、会社経営活動です。ここが変わったところです。
最後は、音楽談議になることもあります。しかし、音楽談議はデフォルトではなくなりました。
会社のことと、子供の話が、今のデフォルトですね。
もう、互いに40歳ですからね。
経営者になったダッチンは、今も昔と変わらず、眩しく輝いています。
会社を、『社会の公器』と捉えて、世の中に貢献しようとする精神や、顧客満足度だけではなく、従業員の満足度も上げたいという熱い情熱には頭が下がります。
大いに参考にさせてもらっていますよ。
彼は、気合が違いますからね。
音楽であっても会社経営であっても、結局、成否を分けるのは情熱なのでしょう。そう思います。
ダッチンの隣に立ったとき、勝るとも劣らないくらいに、私も輝いてみせます。私は、もう、ダッチンの輝きを見て、嫉妬なんてしたくありません。
打ちのめされるなんて、真っ平ごめんです。
だから、ここまで頑張ってこれたし、これからだって、頑張りますよ。
数年後は、ダッチンに、……嫉妬させて見せます。
10 に続く
PS.
この記事は、小説です。
連載します。週1の投稿を目標とします。
でも、ときどき隔週になるかもしれません。ご容赦くださいませ。
おそらく、21話前後となります。
1話から読みたい方はコチラからどうぞ ↓
雅樹さん ⇓ が主人公の物語です。
雅樹さんに、Zoomインタビューを行ないました。
それを元に書いています。
あと、
雅樹さんのnote記事も参考にしました。
雅樹さんのkindle本も参考にしました。
ゆえに、雅樹さんのことはほぼ実話です。
それ以外の登場人物についての描写は、
インタビュー、note記事、kindle本、などの実話を元にして
僕が創作したものです。フィクションです。
登場人物には、一部、架空の人物もいます。
物語の案内役である小野寺未唯みいは、
ミイコさん ⇓ がモデルです。
モデルと言っても、描写は僕の創作です。
『かつおクラブ』はコチラです。
『宇宙兄弟』寄贈プロジェクトはコチラです。
このように、noteにはリンクも貼ります。
リンクを省き、文章だけにして、TALES(テイルズ)にも投稿します。
テイルズはこちらです。
拡散大歓迎です。
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