見出し画像

僕が新聞校閲に入ったわけ

僕は新聞社の校閲専門記者として採用された。
僕が、どうして校閲という仕事に就いたのかについて、知りたいと思う人はほとんどいないと思う。



実は、校閲をやりたいと思って、受験したわけではない。当時の僕は、新聞社=記者のイメージしか持っていなかった。
だから、当然のように新聞記者の試験を受けた。ところが、最終の役員面接で落第。就職浪人を覚悟していたときに、偶然、校閲の採用があることを知った。一度落とした人間を採用することはないだろうと思いながらも、もし受かれば、記者部門に移籍できるかもしれない。チャンスをみすみす棒に振ることもないだろうという不埒な考えで、再チャレンジすることにした。

「校閲」って何するところ?

ところがその時点で、「校閲」という言葉を知らなかった。慌てて辞書を引いた。どうやら人が書いた原稿を点検する仕事らしい、ということはわかったが、実際に校閲がどういう仕事をするのかは、想像の外だった。

面接では「校閲」をするにあたっての心づもりや、志望動機などに関する質問が一切なかった。これを聞かれたら、たぶん答えに詰まっただろう。一種の奇跡だったのだと思う。その代わり、聞かれたのは論文試験についてだった。

論文のお題は「川」。字数は1000字だった。通常は時事問題に関して論ずることが多いので、それに則した論文対策をする。だけれど、その年は例年とは違う意図があったのか、記者試験も「古里」という柔らかいお題だった。柔らかなお題は話が広がるので、案外難しい。

「四渡赤水」。助けられた友人からの手紙

川といっても、小川から大河まである。その表情も様々だ。何をどう書こうか、と考えていたとき、ふと友人からの手紙を思い出した。
彼は、僕が新聞社を目指すと言ったとき、長い手紙と共に小林よしのりのギャグ漫画『東大一直線』を送ってくれた。
そこには、主人公・東大通のように熱量で押しまくれ、そのためにはバカになれ、前進のための後退・・・熱く語られる手紙の中に「毛沢東は長征の際に長江を四度渡った」と書いてあった。中国史には疎いのだが多分、四度渡ったというのは「四渡赤水」のことを指したのだろう。それが長江だったのかどうかもあやふやなまま、毛沢東が大きな川を渡る映像と、東大通が安田講堂にしがみついている一コマが頭に刻み込まれた。

特に主義主張のある話ではなく、進む方向を明確にして、ここを人生の転換点にしろ、という彼なりのメッセージだった。
言われてみれば、僕はまだ「二渡」にチャレンジしているに過ぎない。流されず、渡り切ればいいんだ。そう思ったら、するするっと論文の構成がつながった。「川」というお題に対して、僕は概略こう書いた。

私は、胸のポケットにはまだ何も書かれていない手紙を携えて、向こう岸の見えない大きな川を流されることなく、真っ直ぐ渡ろうと思う。この激しい流れの川。途中で溺れるかもしれないし、力尽きて流されるかもしれない。それでも、この川を渡ろうと思う。流されることなく渡りきったときには、きっと何も書かれていない手紙に、文字が浮かんでいるだろう。

この論文(というよりエッセイ)は、採用担当者の間で大きく評価が分かれたそうだ。面接では「山を掛けてきたのか」「どういう意図で書いたのか」「この川にはどういう意味があるのか」などを、面接でこまごま質問された。

受験者の多くは、源泉からちょろちょろとしみ出るところから、水を集め、支流と合流し、最後は大海に注ぐという川の流れに重ねて、人生や将来を語ったのだという。たぶん、それが求められるスタンダードで常識的な回答だった。

「こういうヤツでもいいんじゃないか」

そうした「常識」とは、かけ離れた視点で論文を書いた僕について、「こういう変わった人間を採るべきではない」「校閲というカッチリした仕事には不向きなのではないか」などの反対意見が多数出たという。
一方で「たまにはこういう変わった人間も必要なのでは」という面接担当者もいて、意見がまとまらなかったのだそうだ。いずれにしても、変わっているというキーワードは共通だった。

採用時の校閲部長は、人事から僕が記者試験も受けていたことを聞き、その時の論文を読んだという。「古里」というお題の論文に、僕は「ある喫茶店の物語」として、そこに集う様々な人たちのショートストリーをオムニバス形式で、戯曲風に書いた。
部長は「前田は、こういうヤツなんだな」と思い、編集局長の「たまには、こういうヤツもいいんじゃないか」というひと言で、採用が決まったのだという。

これは入社後に聞かされたことだが、「こういうヤツ」とは「どういうヤツ」なのかまでは教えてくれなかった。
とにかく、校閲の末席に連なることになった。しかし、これで川を渡りきったわけではない。川岸からほんの少し水に浸かった程度だ。

話はもう少し、続く。それは次回以降に書こうと思う。





いいなと思ったら応援しよう!