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父がくれた、えびの鎧

先月、父が61歳になったので誕生日プレゼントを買いにふたりで出掛けた。

私は中学校に上がる年に「もういい加減ひとりで入ってくれ」と父から言われるまで一緒にお風呂に入っていたほどのパパっ子で、今でも大好きなことに変わりはないのだが、とくに共通の話題があるわけでも、お喋りなほうでもない私たちの会話が盛り上がることは少ない。(それでも母いわく、私が実家に帰ってくるとなると機嫌が良いらしいので、父も私と過ごす時間を楽しみにしてくれてはいるようである。)

帰り道、地元のカレー屋で昼食をとることになり、父は日替わりのえびとかぼちゃのカレー、私はバターチキンカレーを頼んだのだが、運ばれてきたカレーにむき身のえびが一尾入っているのを見た父は、なぜか妙に遠慮がちに私の名前を呼んだあと「えび好きやろ?これ、食べ」と譲ってくれた。

気に入ったものを見つけても「これは高いからええわ」と遠慮する父に、「値段じゃなくていちばん気に入ったのをプレゼントさせてよ」とかなんとかちょっとくらい格好のいいことを言えるようになってもまだ、一尾しかないえびを食べさせてあげたいと思ってくれるのか、と思うと無性に泣きそうになった。というかこのエピソードを母に話したときも、こうして文字に起こしている今も涙ぐんでいる。

父親にとって私は今でも、好物を食べさせてあげたいと思うようなかわいい娘なのだ。

これからどんなに理不尽な目に遭っても、一尾しかないえびをもらえるほど父親から愛されて大事にされている私にそんな扱いをしていいわけがないでしょう、と思える気がする。愛情は鎧になる。

愛情よって形成される鎧、いわゆる自己肯定感とも呼ばれるそれは本来、幼少期に親から与えられるものだと思うが、私は両親とのあいだにかなりのすれ違いがあったため親から与えられるそれにはあまりストックがなく、とくに父親とは前途した通り会話が多いわけでもないので、思いがけずもらったえびの鎧は宝もののひとつになった。

パパがくれたえびの鎧で社会を生き抜くから、来年も再来年もその先も、誕生日にはいちばん気に入ったものを贈らせてね。

ちなみにえびはルウに沈んでいただけでわりとふんだんに入っていたので、父もえびを食べられた。よかった。

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