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昭和の予備校の思い出

昭和最後の年。あの頃の私は、いわゆる“やる気のない高校生”だった。
授業は退屈。黒板に書かれる文字は、ただの記号にしか見えない。
先生の話は、子守唄のように心地よくーそして見事に何も残らない。
今思えば、あのときの私は、勉強が嫌いだったのではない。世界を知らなかっただけだ。
そんな私が、ふらっと足を踏み入れたのが、名古屋駅前の予備校だった。
最初に教室に入ったときのことは、今でも覚えている。空気が違った。
高校の教室にあった、あの“どこか閉じた感じ”がない。代わりに、ざわざわとした期待感のようなものが漂っていた。
そして、講師が話し始めた瞬間―。
「え、なにこれ、面白いんだけど」思わずそう思った。
いや、正確に言えば、「勉強って、こんなに面白くていいのか?」という衝撃だった。
政治の話が出てくる。歴史が“出来事”ではなく“人間のドラマ”として語られる。
文学は、試験に出るかどうかではなく、「なぜ書かれたのか」が問われる。
黒板の前で繰り広げられていたのは、単なる授業ではなく、ひとつの“知のライブ”だった。
いま風に言えば、完全に“神回”。しかもそれが毎週ある。これはもう、通うしかない。
1970年代から80年代。予備校は、ちょっとした“文化”だった。
有名講師は、もはや先生というより“スター”。ノートを取るというより、言葉を浴びに行く感覚。いまならYouTubeで切り抜き動画が出回りそうだが、あの頃は、現場に行かなければ何も始まらない。だからこそ、価値があった。気がつけば、私は変わっていた。
あれほど無気力だった人間が、「東京の大学に行きたい」と言い出したのである。しかも、どうせなら先生と同じ東京の大学へ。
いま思えば、ずいぶんと身の程知らずな目標だ。だが、そのときは本気だった。
というより、本気にさせられてしまったのだ。あの教室に。あの言葉に。
そこからは、まあ、それなりに頑張った。“それなりに”と書いたが、当時の自分にしてみれば、生でいちばん頑張った時間だったかもしれない。
そして、ありがたいことに合格した。たまたま運がよかったのかもしれない。小論文では、現代文の先生から聞いた話をそのまま書いた。まったくの受け売りだ。しかし、あのとき予備校に行っていなければ、そもそも受験しようとすら思っていなかっただろう。
人生は、案外、そんなものでできている。ときどき、考える。もし、あのとき予備校に行かなかったら。おそらく私は、地元の大学に進み、地元で就職し、それはそれで穏やかな人生を送っていたのだろう。それも、決して悪い人生ではない。
だがー
あのとき見た“外の世界”を知らないままの自分を想像すると、少しだけ、ぞっとする。大げさに言えば、同じ人生でも、解像度がまったく違っていた気がするのだ。最近は、予備校もずいぶん様変わりしたらしい。少子化だの、オンライン授業だの、時代の波には逆らえない。それは仕方がない。

ただ、ひとつだけ思う。あの頃の予備校が持っていたのは、単なる受験ノウハウではなかった。
「世界は広いぞ」という、あの一撃。あれこそが、本質だったのではないか。いまの若い人たちにも、ああいう“出会い”がどこかにあればいいと思う。
場所は予備校でなくてもいい。YouTubeでも、学校でも、誰かとの会話でもいい。
ただ一度、「なにこれ!こんな世界があるのか!」と思える瞬間に出会えたら、人生はわりと簡単に動き出す。

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