【幻想恋愛】風船が繋ぐ月の鏡と約束の駅 | 切ない短編小説 | 3つのお題に空想のひらめきを | 【第18回】
光る風船の記憶
私の部屋の片隅で、赤い風船がゆらゆらと揺れている。
拓海からもらったその風船は、もう1年も萎まずにそこにいる。普通なら、とっくにぺしゃんこになっているはずなのに。
「琴音、この風船、特別なんだ」
去年の今日、拓海がそう言って手渡してくれた。私の20歳の誕生日。まさか、それが彼と過ごす最後の日になるなんて、思いもしなかった。
「特別って?」
「いつか分かるよ。でも、絶対に手放しちゃダメだからね」
拓海はいつものように、少し謎めいた笑顔を浮かべていた。彼はそういう人だった。星座の話をしたり、古い伝説を語ったり、少し不思議な魅力を持った人。
翌週、拓海は交通事故で亡くなった。
突然すぎて、現実だと受け入れるのに時間がかかった。葬儀でも、彼が本当にいなくなったとは思えなかった。きっと、どこかで「騙された」って笑いながら現れるんじゃないかと。
でも、季節は巡り、1年が過ぎた。
今夜は満月。窓から差し込む月光が、赤い風船を照らしている。すると、風船がほんのりと光り始めた。
「え?」
私は椅子から立ち上がった。風船が、内側から光っている。幻覚かと思って目をこすったが、確かに光っている。
風船の紐を持った瞬間、頭の中に拓海の声が響いた。
『琴音、月の鏡に来て』
月の鏡への誘い
月の鏡。拓海がよく話していた場所だった。
「山の奥に、月が完璧に映る湖があるんだ。地元の人は『月の鏡』って呼んでる。いつか一緒に行こうね」
そう約束していたのに、結局行くことはできなかった。
風船を持ったまま外に出ると、風船は宙に浮かんで、まるで道案内をするように山の方角へ向かっていく。引っ張られるように、私も歩き始めた。
夜中の2時。普通なら危険だと思うはずなのに、なぜか恐怖は感じなかった。風船の柔らかな光が、足元を照らしてくれている。
バス停でバスを待っていると、最終便とは思えないほど綺麗なバスがやってきた。運転手さんは優しそうなおじいさんで、なぜか私を見て微笑んだ。
「月の鏡まで、ですね」
聞いてもいないのに、運転手さんがそう言った。
「はい...」
バスには他に乗客はいなかった。窓の外を流れる景色は、昼間見慣れた風景とは違って見える。木々が銀色に光り、道路も月光でキラキラと輝いている。
「その風船、大切なものですね」
運転手さんが話しかけてきた。
「はい。恋人からもらったものです」
「恋人さんは?」
「...亡くなりました」
運転手さんは振り返って、悲しそうな顔をした。
「それは...お辛いでしょう」
「でも、なんだか今夜は、会えるような気がするんです」
「そうですね。月の鏡は、特別な場所ですから」
バスは山道をくねくねと登っていく。時間の感覚がなくなっていた。どのくらい乗っていたのか分からないが、やがてバスが停まった。
「着きましたよ」
外に出ると、目の前に美しい湖が広がっていた。
湖面に映る想い
月の鏡は、想像以上に美しかった。
湖面は鏡のように静かで、満月が完璧に映り込んでいる。まるで、空に月が二つあるみたいだった。
風船は湖のほとりで静かに浮かんでいる。私はその隣に座り込んだ。
「拓海...本当にここにいるの?」
小さくつぶやくと、湖面がさざ波を立てた。風はないのに。
すると、水面に映った月の中に、拓海の顔がゆらりと浮かんだ。
「琴音」
聞き慣れた声が、湖の向こうから聞こえてくる。
「拓海!」
私は立ち上がって湖面を見つめた。確かに、そこに拓海がいる。水の中で微笑んでいる。
「会いたかった」
「私も。ずっと、ずっと会いたかった」
涙が頬を伝った。
「ごめんね、約束を守れなくて」
「何の約束?」
「一緒に月の鏡を見るって約束。それに...」
拓海の声が途切れた。
「それに?」
「プロポーズしようと思ってたんだ。ここで」
胸が締め付けられた。
「そんな...」
「でも、今日会えてよかった。伝えたいことがあったんだ」
風船がふわりと宙に舞い上がった。
「琴音、もう泣かないで。君の笑顔が一番好きだったから」
「でも、拓海がいないと...」
「僕はいつでも君の側にいるよ。ただ、見えないだけ」
湖面の拓海が手を伸ばしてくる。私も手を伸ばしたが、水面に触れた瞬間、波紋が広がって拓海の姿が揺らいだ。
「最後に、一つだけお願いがあるんだ」
「何?」
「約束の駅に行ってほしい」
約束の駅という名の希望
「約束の駅?」
「君が新しい人生を始めるための駅だよ」
拓海の声が、だんだん遠くなっていく。
「新しい人生って...」
「琴音、君はまだ若いんだ。僕のことばかり考えて、自分の人生を止めちゃダメ」
「でも...」
「僕を愛してくれてありがとう。でも、もう前に進んで」
湖面の拓海の姿が、だんだん薄くなっていく。
「待って、まだ話したいことが...」
「約束の駅で待ってる。でも、そこは君一人で行かなくちゃいけない場所なんだ」
風船が空高く舞い上がり、光の軌跡を描きながら山の向こうに消えていった。湖面から拓海の姿も消えた。
私は一人、月の鏡のほとりに座り込んでいた。
しばらくして、さっきのバスがやってきた。
「お疲れさまでした」
運転手さんが優しく声をかけてくれた。
「約束の駅って、どこにあるんですか?」
「それは、お嬢さん自身が見つける駅ですよ」
バスは来た道を戻っていく。でも、今度は景色が違って見えた。木々の間から朝日が差し込んでいる。いつの間にか、夜が明けていた。
「でも、ヒントをあげましょう」
運転手さんが言った。
「約束の駅は、新しい出発をする人のための駅です。そして、必ず一人で辿り着かなければならない場所」
家に着いたのは朝の6時だった。部屋を見回すと、風船はもうなかった。でも、不思議と寂しくはなかった。
一人で歩く道
それから1週間、私は「約束の駅」のことを考え続けた。
拓海の言葉を思い出しながら、自分の人生について向き合った。この1年間、私は確かに立ち止まっていた。大学にも通わず、バイトもやめ、友達とも疎遠になっていた。
拓海を失った悲しみに浸ることで、現実と向き合うことを避けていたのかもしれない。
ある日、思い切って大学に行ってみた。久しぶりに会う友達は、最初驚いていたが、温かく迎えてくれた。
「琴音、元気そうになったね」
親友の美咲がそう言ってくれた。
「うん。少しずつだけど」
授業を受けながら、私は気づいた。学ぶことの楽しさを忘れていたことに。友達と話すことの大切さも。
その日の帰り道、私は一人で電車に乗った。どこに行くという目的もなく、ただ電車に揺られていた。
すると、聞いたことのない駅名がアナウンスされた。
「次は、約束の駅です」
心臓が早鐘を打った。
電車が停まると、私は迷わず降りた。ホームには誰もいない。駅舎も古く、どこか懐かしい雰囲気だった。
駅の向こうに、見慣れた後ろ姿があった。
「拓海?」
振り返ったのは、確かに拓海だった。でも、どこか違って見える。透明感があって、優しい光に包まれている。
「よく来たね、琴音」
「ここが約束の駅なんだね」
「そう。君が新しい人生を始めるための駅」
拓海は私の前に立った。
「もう大丈夫?」
「うん。まだ寂しいけど、前に進もうと思う」
「それでいい。僕のことは忘れなくていい。でも、僕だけじゃなく、新しい人も愛してほしい」
胸の奥で何かが溶けていくのを感じた。
「いつか、きっと素敵な人に出会うよ。その時は、遠慮しないで幸せになって」
「約束する」
拓海は最後に、いつものように微笑んだ。
「さあ、帰りの電車が来るよ」
振り返ると、明るい電車がホームに入ってきた。乗客たちの笑い声が聞こえる。
「拓海、ありがとう」
「こちらこそ。愛してくれて、ありがとう」
電車に乗り込んで窓の外を見ると、拓海が手を振っていた。電車が動き出すと、約束の駅も拓海の姿も、だんだん小さくなって消えていった。
エピローグ 新しい季節
あれから半年が過ぎた。
私は大学に復学し、新しいバイトも始めた。友達との関係も元に戻り、少しずつだが笑顔も増えてきた。
今日は拓海の命日。墓参りの帰り道、空を見上げると、赤い風船が一つ、青空に舞っていた。
「拓海からかな」
小さくつぶやいて、風船を見送った。
最近、大学で知り合った先輩から食事に誘われている。まだ恋愛をする気持ちにはなれないが、友達として話をするのは楽しい。
拓海が言っていた通り、いつか新しい恋をする日が来るかもしれない。その時は、きっと拓海も喜んでくれるだろう。
風船が見えなくなるまで見送ってから、私は家路についた。
新しい季節が、もうすぐやってくる。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
この物語は、失った愛への想いと、それでも前に進む勇気について書きました。大切な人を失うことは、とても辛く悲しいことです。でも、その人が望んでいるのは、きっと私たちの幸せなのだと思います。
「風船の行方」「月の鏡」「約束の駅」という3つのお題を通して、現実と幻想の境界を曖昧にしながら、琴音の心の軌跡を描きました。風船は拓海からの最後のメッセージを運ぶ存在として、月の鏡は二人の想いが交差する場所として、約束の駅は新しい出発点として機能させました。
今回、片桐みかんさん主催の「【第18回】3つのお題に空想のひらめきを」に参加させていただきました。3つの美しいお題からインスピレーションを受けて、この物語が生まれました。素敵な企画を開催してくださり、創作の機会をいただけたことに心から感謝しています。
読んでくださって、本当にありがとうございました。
