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ネギ女 その3 青パパイヤの衝撃、の巻



 ナス女には、渋谷のヴィレッジバンガードで、

 1、トイストーリーのバズ・ライトイヤーのフィギュアと、
 2、都こんぶと、
 3、ジェリーベリーというメーカーのジェリービーンズを二袋買え。

 とそう指示されていた。
 それらを全部手にしてレジに向かうと、缶バッジのいくつもついた黒エプロンをつけ、髪を蛍光色のような緑色に染めた女の子の店員さんが、ジッ、とこの私を見つめた。
 袋詰めしてもらって会計をすませると、小さな声で、
「奥へどうぞ」
 と言われた。
「……えっ。おっ、奥っ?」
 店員さんは、そう聞いた私をまたひとしきり冷たい目で眺めると  小さくため息をついたあとで、ひどく面倒くさそうに、顎をあっちだ、とばかりに軽く上げた。
 彼女はその後私とまったく目を合わせようとはせず、ただ人形のようにその場に突っ立って、次のお客さんを待っているだけだ。
 その様子に、私は少し不気味なものを感じていた。
 すれ違うヴィレバンの店員さんには、さっきのレジの子と同じような、そんな軽蔑するような視線を向けられた。その後でまったく無関心な表情になるのも同じだ。
 示された方向へいってみると、そこにはSTAFF ONLY、と書かれた扉のある、出口へと続く通用口があった。軽い階段を上がっていくと、右手がセンター街へと向かう出口に通じていて、正面に柵で封じられた通路がある。
 出口なわけはないので仕方なく、私はその柵をよけて、正面の通路を進んでいった。と、さらに下へと降りていく階段がある。
 こちらへ進め、的な案内がさっきから何もないので困り続けていたけど、その階段を降りていってみることにした。
 2フロアくらい、その暗い階段で降りていくと、その先に廊下に続く光が見えてきた。その角に、メガネをかけたスーツ姿の女性が一人、立っていた。
「……初めての、方ですか?」
 その、メガネをかけてひっつめ髪にした女性はそう聞いた。首からIDカードのようなものをかけていて、英語で細かく何かが書かれてあるが、よく見えない。
「は、はい」
「でしたらこのまま進んで、あの角の部屋に入ってください。これからブリーフィングが始まります」
「……ブリーフィング?」
 聞いてもそれ以上、その女性は何も答えなかった。そのかわり、さっきのレジの店員と同じような、理解の遅い人間をバカにするような、そんな視線を向けてくる。
 恐る恐る、その部屋に入ると、正面に何も書かれていないホワイトボードがあり、それに向かって長テーブルが六つ置いてあった。そして二脚ずつ、パイプ椅子がついている。
 そのテーブルには一人ずつ、二人の女性がこちらに背を向けて座っていた。
 私は空いている席にそっと腰をおろすと、ヴィレバンの包みを足元に置いた。見ると他の二人の足元にも、同じものが置かれてある。
 ナス女にそうするよう指示されたとき、私はたまたまその四点を購入するような人もいるんじゃないか、と聞いてみた。でも彼女いわく、その確率はおおよそ五百万分の一だと計算されているらしく、心配する気づかいはないのらしい。
 お財布の中から、さっきのレシートを取り出して見ると、六千三百五十円も取られていた。バズ・ライトイヤーのフィギュアが五千円近くしたせいだ。 
 だいたい、私はトイストーリーにもバズ・ライトイヤーにもいたって何の興味もないし、都こんぶはまあいいとしても、ジェリービーンズもそんな好き好んで食べるものでもない。
 しがない派遣社員の自分にとっては、このイミフな出費は痛すぎる。
 ナス女の姿は見えなかった。でもたぶんだけど、このブリーフィング、というのは、きっと初めてこれに参加する人間が、最初に出席するものなんだと思う。そのへんの説明も、ナス女は何もしてくれていない。
 ていうかそもそも  私は、光量の落ち始めている蛍光灯に照らされた陰気な部屋の中をひとしきり見回すと、小さくため息をつきながら思った。

 ……こんな訳のわからない場所に来る必要なんて、やっぱりなかったんじゃないだろうか。 

 それでも、必死に考えたあげくに結局来ることにしたのは  いや、来ざるを得なかったのは  ただひとえに、次またいつ、ナス女のような刺客に襲われるか、わかったものではないからだ。
 ようするに、彼女たちは私の言いぶんなんてはなから聞いてくれないわけで  そうである以上は、イヤでも自分からそこに巻き込まれていくしか、他に方法はないように思うのだ。
 もちろん、それが最善の方法だなんて思っちゃいないけど。
 部屋の中の、一番扉に近い場所に座っている私は、前に座っている二人の女性の背中をじっと眺めた。二人とも、妙に覇気なく背を丸め、さっきからただ一心にスマホを眺めてる。
 私と同年齢か、それより若干若いくらいだろうか。一人は丈の短い白Tシャツを着て、水色の小型扇風機で顔に風をあてている。もう一人は、空調は効いているとはいえ、この暑いのに黒パーカーのフードを頭から被っていて、紫色に染めた髪がそこからのぞいている。
 表情は、二人ともわからない。ただ、その二人に共通して言えることは  とにかく覇気、というか、生気のようなものが感じられないことだ。
 この子たちが、いったいどのような判断で、そしてどのような逡巡を抱えて  ?この場に来たのかは想像するしかないけど、彼女たちもまた、この私のように、ネギ女や山芋女やナス女に襲われる、という経験をへてきたのだろうか。
 そんなことを、ただひたすら頭の中で考えていると、背後の扉が開いて、さっきと同じ格好をした別の女性が、手にクリアファイルに入った用紙を持って入室してきた。
 そしてそれらを私たち三人の前に置くと、ホワイトボードの前に立った。
 配られた紙には、ワードで作成したようなあっさりとした文書がのっていた。そしてその文章の先頭には、大きなフォントサイズで、

 「女同士で殺しあってください」

 と書かれてあった。
 その、シンプル極まりない文言が、なぜか強烈に不気味で、私は一瞬ゾッとした。そこにはなぜ、そんなことをしなければならないのか、という説明は一切ない。
 動揺しながら前にいる二人を見ても、二人はまったく微動だにせずに、ただ同じように背を丸めながら、その用紙を眺めている。向かって右手に座っている人の、小型扇風機の音だけが、ウイーン、と小さく響いている。
 ホワイトボードの前に立つ女性は、ただその用紙に書かれた文言を、機械的に最初から読み上げていった。まず、女同士で殺しあってください、と言った後で、いくつか他に記されてある注意事項を続けていく。
 ……いわく。次回あなたがたが対戦する相手は、これから行われる本会合で発表される。この会合に参加するのは、登録されたセリアンスロープの約半数で  したがって次回の対戦相手と会合で鉢合わせする気づかいはない。
 いわく、もし意図的に、その対戦をスルーしようとした場合は  その者に重大なペナルティが課される。
 いわく、もし仮に、相手を殺害まで追いやった場合も、われわれは超法規的措置を行い、ただちにその後始末をすることができるので、何一つ心配はいらない。

 ……超法規的措置を行い、その後始末をすることができる……

「あっ。あのっ、す、すいません」
 私はそう言って、おずおずと手を挙げた。するとその女性は、キッ、と恐ろしいような顔で私を睨みつけると、
「質問は一切受け付けておりません」
 とそう言った。向かって左側にいる、黒パーカーの子が、軽くこっちを振り返って、やけにドロンとしたような座った目で、この私を見つめる。その鼻や唇には、銀色のピアスが通っている。
 そのブリーフィングは、それであっさりと終了してしまった。ではこれから本会合が始まりますので、すぐに会場に移動してください、とその部屋の場所を言うと、係の女性はさっさと退出してしまった。
 と、前に座っていた二人が、さっきまでの覇気のない様子とは打って変わって  妙にキビキビと席を立って、続けて部屋を出ていくのを、私は強い違和感を覚えながら眺めた。

 ……その様子からは、にわかに「やる気」のようなものを、ひしひしと感じたのだ。

 すぐにもそのあとに自分も続けば、自分もまたそうである、という妙な意識が芽生えそうで、私は少し躊躇した。しばらく二人が完全に出ていくのを見送った後で、そのブリーフィングの部屋を出る。
 同じフロアのとっつきにあった、本会合の部屋に入ると、さっきの部屋とは違って、そのほぼ倍くらいの縦長の空間が広がっていた。
 席の数もほぼ倍、ただ、一つだけ違うのは  そこにいる女性の数が、想像していたよりもずっと多いことだ。
 ザッと見るだけでも、十人くらいはいる。さっきのブリーフィングの二人もいるし、すぐにも目に飛び込んできたのは、あのふざけきったツインテールの後頭部の分け目と、幅広く筋肉質の背中と、「トイレの花子さん」そっくりの服装だ。
 山芋女が、そこにいる。
 ギョッとした私は、絶対にその視界に入りたくなく(ここに二人とも存在している、ということは、さっきの説明通りならば、彼女が次回の対戦相手ではない、ということを意味はするわけだけど)、正面のホワイトボードから数えて三番目の席に座っている彼女よりもなるべく離れた場所に座りたかった。とはいえ最後尾の四つの席は、もう先客によって奪われている。
 さっきの二人の隣にでもそそくさと座って、軽く話しかけて事情を聞いてみようか、などと考えていたとき、私はふと思った。
 そういえば  ここにも、あのネギ女はいない。
 あいつがいない、ということは、もしかしたら次の私の相手になる可能性もある、ということだろうか?
 そのことに気がついて、喜んだらいいのかそれとも悲しんだらいいのかわからずに、どこに座ろうかとまだ迷っていると、非常に見覚えのある、あのおかっぱの後頭部が視界に入った。
 私は矢も盾もたまらずに、中央より少し後方に座っている、そのナス女の隣に席を確保すると、素早く腰をおろした。どうも、と声をかけると、一心にスマホを眺めていたナス女は、チラリとこちらを一べつするだけで、またスマホの画面に視線を戻した。
 まだ、会合は始まらない様子だった。部屋の中の女性たちは、特に互いに話しあうでもなく、ただじっと、その開始を待っている。
 私はひとまず、隣にいるナス女に向かって、どうもありがとうございました、と感謝を伝えてみた。
「……なにが」
 スマホのタッチパネルに親指を滑らせながら、ナス女は言った。今日もあいかわらず、パリで開催されたコムデギャルソンの新作ショーのランウェイからそのままここ日本の渋谷まで歩いてきた、というカンジの、全身黒の出で立ちだ。もちろん似合ってはいるし、服に着られている、というような印象もない。
「いや、あの、ここまでのいろいろを教えていただいて」
 言うと、聞こえるか聞こえないかくらいで鼻で笑った気がした。その意識はさっきから、完全にスマホに向かって吸い込まれているし、なによりその全身から、「お願いだからもう話しかけてくれるな」という、黒々としたオーラを発散させているのがわかる。
 そりゃ、この私だって、目の前のナス女との、あの恵比寿の路上での、壮絶な戦いの記憶はいまでもありありと頭の中に残っている。
 あのときのナス女の、あの目元まで裂けたような大口と、爛々らんらんと輝いていた妖しい目の光のことも、トラウマレベルで覚えているのだ(同等に比較できるのは、たぶん淳と観た映画「シャイニング」のあの、主人公の作家の奥さんくらいだ)。
 正直こっちだって、二度と会いたくはなかったし、こうして至近距離で向かい合っていることすら、非常な精神的圧迫を感じる。
 感じるけど、それでも、今日一日のそのスタートから、私は完全な「異世界」に迷い込んでいて  その疎外感、ひとりぼっち感といったらないのだ。真美にラインしたくっても、なにをどう説明したらいいかもわからない。
 そんな状況下では、この隣のナス女だけが、唯一わずかでも話の通じる相手なのだった。
 それに私は、正直言って、この隣にいるナス女が  本当はそれほど悪い人間じゃないんじゃないか、と思えてならなかった。
 あのとき、殺される寸前にまでなっておきながら、ちょっとお人好しにすぎるのかもしれない。
 でも、あの凶暴だった状態から戻ったときの  あの一転して穏やかな様子もまた、私の中に印象強く残っているのだ。
 要するに、私は彼女に、何かやむにやまれぬ理由、みたいなものを感じてしまう。
 あんたはいつもお人好しすぎる、とは、真美にもよく言われることだ。でもこの私にも、当然のように姑息で狡猾な部分はある。
 愛想よく「ありがとうございました」なんて声をかけたのも、むろんなるべく相手にうまく取り入って、有利な位置取りをしたい、という気持ちからに決まってる。
 でも決して、それだけの理由ではなかった。
 ナス女は鼻で笑ったあとも、スマホを見るのをやめず、むしろ私のいる側の右腕を折って、その上に頭を乗せ、後頭部を私に見せるような姿勢をとった。
 ……これは明らかに、「拒絶」のサイン以外の何ものでもない。
 でもこれでひるんでしまうと、これ以上先はない、そんな気がした。私は両手を重ねて腿の上に乗せ、腰を軽く折り曲げると、
「あ、あの……」
 とまた声をかけた。
 言われたナス女は、そのカツラのように黒々とした頭をこちらに向けたまま、ただ黙ってスマホを眺めている。
「さっき、ブリーフィングというのを受けたんですけど……でもそもそもなんで、こんなことをしなきゃなんないのかの説明は、いっさいなかったんです」
 周囲を気にしつつ、なるべく小声でそう言うと、ナス女のスマホを触る指先が、ピタッ、と止まった気がした。一瞬また、化け猫のように妖怪変化するんじゃないかと思って、緊張する。
 と、折り曲げた右腕の上に乗せた頭をひねって、ギロッ、とこの私を睨んだ。彼女は目に青いカラコンをつけている。
「……だから、なんなのよ」
「えっ」
 ナス女は睨みつけていた顔を、また元どおりに戻す。
「そんなこと考えているあいだに、次のセリアンスロープが、あなたを襲ってくるのよ。無駄でしょ」
「……そっ、でもそれは、あなたも同じ、ってことですよね」
 と、今度はハッキリと、こちらにわかるようにフッ、と鼻で笑った。
「じゃっ、じゃあ、今度は逆に聞きますね。その闘いにもし勝ったのなら、いったいどうなるっていうんですか?」
「……」
 ナス女は、折り曲げていた体をムクリと起こすと、左手に持っていたスマホを机の上に放り投げた。けっこう大きなガタリ、という音がしたが、周囲の女性たちは一向に気にしていない。
 ナス女は、まっすぐにホワイトボードのある正面を向いた。
「自分も、まだ噂でしか知らない」
「……」
「もし、この闘いに、勝ち続けたなら……」
「勝ち続けたなら?」
「私たちは、次の段階に移行できる」
「……つっ、次の段階?」
 と、正面のホワイトボード脇の扉が開いて、さっき通路に立っていた女性と、もう一人のよく似た女性が二人出てきた。とたんに室内は静まりかえる。
 一人はホワイトボードの前に立って、残りの二人が手にしたクリアファイルを一通ずつ、机に座る女性たちの前に置いていった。
 その女性が近くに来るのを見計らって、私は彼女が首から下げているIDカードをもう一度凝視してみた。
 すべて英語で書かれている上に、一瞬だったのでまったくわからなかったが、「W」という文字があるのだけは、それでもかろうじて確認できた。
 それぞれに配布されたクリアファイルを、女性たちはとくに指示も待たずに、勝手にとって眺め始めている。隣のナス女もそうしている。
 私も、おずおずとそうしてみた。中にはペラ一枚のA4サイズの、履歴書に近いような紙が入っていて、顔写真までついていた。
 名前の欄には、「栗山律子」とはっきり記されている。
 ナス女を見てみると、自分に手渡された用紙に黙って目を落としていた。その表情は、例えるなら  気のないまま遠い親戚のお墓参りにきて、気のないままお線香をあげ、気のないままお参りを済ませ、目の前の墓石をただ眺めている、そんな感じだ。
 私はその、ナス女の次の相手がどんな人物なのか  見てみたい衝動を抑えられなかった。でもそれは、さっきのブリーフィングでも厳禁されていた。当然ナス女も、決して見せようとはしないだろう。
 っていうか、あらためて私は、このようにして私の個人情報が、ナス女にここで閲覧され、結果あの恵比寿での闘いに至ったという、その一連の流れを想像してゾッとした。
 この事実だけでもう  どこかに訴え出られるレベルの話なんだと思うけど、それにしても妙にあの、IDカードを首からぶら下げた二人の女性が自信ありげに見えるのは、なぜなんだろう。
 さっきの  あの超法規的措置、という言葉がまた、にわかに私の頭の中に点灯し始めていた。
「……それでは以上です」
 正面の女性が、両手を目の前の机に置いて言うと、そのまま二人して、出てきた扉から退出していった。と、言うが早いか、室内の女性は皆いっせいに帰り仕度を始める。
 とりわけ前の方にいた山芋女はそれが早くて、机のあいだの通路をノシノシと、でもすごいスピードで歩き去っていった。私は絶対に目を合わせないように体を縮こませ、顔を背けていたが、一瞬だけチラッ、と顔を見られたようで気が気でない。
 おずおず後ろを振り返ると、大股で出口の扉のノブをつかんで、外に出ていった。
 私は多少ホッとしつつ、すぐにも次のことを考えた。
 今日、あの山芋女やナス女とこの会合に出席しているということは、次に彼女たちと闘うのは、可能性としては次々回以降になる。
 ということは、これを最後に、しばらくは会えない、ということだ。
 正直私は、これからどうしたらいいのか、不安でいっぱいだった。
 クリアファイルを肩掛けカバンに入れ、スマホを握りしめて席を立とうとするナス女に、私はまた声をかけた。
 冷ややかな目で、私を眺め見る。
「あの……もしよかったら、これからどこかでお茶でもしませんか?」
 お昼どきは過ぎていたので、ランチというわけにはいかないけど  なにかスイーツでも食べて、ハーブティーなど飲んでホッとしたかった。そして何よりも、目の前のナス女から、少しでもさらなる情報を引き出しておきたい。
「この近くに、パンナコッタプリンの美味しいお店、知ってるんですよ」
 この奇妙で殺伐とした雰囲気の空間に、パンナコッタプリン、という言葉がとりわけ可愛らしく、そして平和裡に響いた。
「……おっ、お茶?」
 ナス女が、一瞬目を見開いた。
「ええ」
「……パッ  パンナコッタプリン?」
「えっ?……ええ  
 とたんにナス女の表情が、驚愕の顔つきに変わった。
 口元はワナワナと震え始め、さらに目を見開いて、この私を見ている。
「あっ、あの……」
 すると、あのときと同じ「匂い」が  瞬間的にこちらに漂ってくるのがわかった。同時に周囲にいた全員の女性が、そのことに気づいて振り返る。
 と、一斉に失笑が引き続いた。ちょっとあの子、何してんのよ、という声が、どこかから聞こえてくる。
 するとさっき退出したと思った女性が慌てて扉を開けて出てきた。そしてこちらに向かってすっ飛んでくると、とまどっていた私に、
「すぐに離れてください」
 と言った。
 出口の側からも、もう一人のスタッフの女性が出てきて、私とナス女の間に入り、その距離を引き離す。ナス女はさっきから両手で顔を覆い、体を小刻みに震わせている。
「……おっ、お茶っ。パッ  パンナコッタプリン……」
「あの、ごっ、ごめんなさい。私、何か悪いことした?」
 私のその言葉を聞いたとたん、今度は周りの女性全員の爆笑が起きた。そしてやれやれ、といった感じで、この騒動は安んじてスタッフに任せよう、といったふうに、その後そそくさと退出していく。
 あなたも続いてすぐに退出してください、とそう促され、私はカバンを手に取ると黙って従った。もう一度振り返って見ると、スタッフに肩を抱かれたナス女が、いまだ肩を震わせて怯えているのがわかった。

     ◾️

 ようやく自宅まで帰りつくと、私は両手に荷物を持ったまま、靴も脱がずにその場にヘナヘナと座り込んでしまった。
「もうダメ……」
 9畳のリビングに続く廊下の壁にもたれたままで、暗がりの中うなだれて目を閉じた。さっき帰りに立ち寄った西友の買い物袋には、当然のように購入したばかりの一本の泥つきゴボウが差し込まれてある。
 その極限まで心神を消耗させたナゾの会合を終えたあとで、ようやく三軒茶屋に帰り着き、それから今度は自宅までの帰路を、次のセリアンスロープの刺客からの襲撃に怯えながら駆け抜けてきたのだから、へばってしまって当然だ。
「……あっ。でも待てよ」
 私は閉じた目をやおら開くと考え直す。
 今日、あの会合に参加した女性たちは、登録されたセリアンスロープの約半数で  かつそのことは、今回は参加した私たちが刺客になるターン、を意味するのだった。
「……ってことは、べつにムダに怖がらなくても、こっちが襲われる可能性はなかった、ってことか」
 とはいえ、それに気がついても、この問題から綺麗さっぱり解放されたわけでもなければ、根本的な解決に至ったわけでも全然ない。
 私は黙ってまた肩を落とすと、履いていたソール厚のサンダルを脱いで、靴脱ぎに放り投げるように置き、バン! と壁の照明スイッチを腕を伸ばして平手で叩いてつけて立ち上がった。


 ゆっくりと熱めのお風呂に浸かり、ゴボウメインのおかずを作って(今晩はゴボウと牛肉のしぐれ煮にした)食べ、「ほろよい」のもも味のプルトップを開けて軽くすすると、私はソファに腰かけ一息ついた。
「はあ……」
 水滴の浮き出た缶を、静かにテーブルの上に置く。壁の時計は、夜の十時をさしている。その秒針が、音も立てずに回ってゆく。
「……それにしても」
 私は、ソファの上で両膝を抱えるようにして丸くなった。かたわらの「星のカービイ」のクッションを引き寄せて抱く。
 あのとき  私が、ナス女をお茶に誘ったあのときの、彼女のあの様子。
 あれがずっと気になっていた。
 例の「匂い」が漂ってきたとき、私は恵比寿の路上での彼女との闘いを、はっきりと思い出していたのだ。それとまったく同じ匂いだったのだから。
 いずれにせよ、一つだけはっきりと言えることがある。
 それは、きっと私は、いろいろと勘違いしてはいけないのだろう、ということだ。
 ……確かに、このいまの私にとっては  あのナス女が一番相手としてはとっつきやすく、あれこれと声もかけやすい。
 とにかくいろいろな情報が、いまの自分には足りなさすぎる。そうであるなら、なるべくそれを知っていそうな人と仲良くなっておきたい、と思うのは当然じゃないだろうか。
 それのいったい、何が悪いというのだろうか。
 でも、あの周囲の冷たい視線と中傷は  そう思うことそれ自体をあざ笑っているかのようだった。あくまでも、セリアンスロープに対しては、互いに仲良くなってラインを交換する、などという行為を期待してはいけないのだ、と。
 もし、あの後お茶に誘えたなら、私はまず真っ先に、ナス女に聞いてみたいことがあった。
 今日の会合にもいなかった、あのネギ女に会ったことはあるか、と。
 もちろん、今日ネギ女がいなかった、ということは、もしかするとナス女に配布された資料が、まさしくネギ女のものだった、という可能性もある。
 それは当然、この私にもその可能性はあった、ということを意味もするだろう。

 ……もし  いまネギ女に会ったなら、私は彼女に何と言うだろうか。

「……」
 なんだかまた頭がごちゃごちゃしてきた。
 私はソファから立ち上がると、姿見のそばに置いたカバンの中から、例の資料を取り出した。目を通しながら、もう一度ソファに戻る。
 次の女はなに女だか知らないが、ネギ女でないことは、その資料の写真からも明らかだ。

 ……栗山、律子か。

 私は、そうムイシキに一人ごちたあとで、つい苦笑してしまった。
 だいたい、この栗山律子、という人物は、いったい何者なのだろうか。
 そもそも、この栗山律子さんという人が、栗山律子さんであることに、私はなんの異論もない。まったくなんの問題もないし、べつにそのことと私の人生はなんの関係もないはずだ。
 どうぞよろしく栗山律子さんでいていただいて全然構わないし、私、大貫敦子はすべからく大貫敦子であらせていただければそれでいいのだ。
 にもかかわらず  なぜかこれから、私はこの栗山律子、という女性と強制的に関わりを持たねばならないのらしい。
 添えられたスナップ風の写真をあらためて見る。一目見て、おそらく「バンギャ」じゃないのかな、と想像した。
 なんか目つきが異様に鋭くて  いわゆる普通の女子とは違うフンイキがある。
 カンタンな履歴がついているのを見ると、確かに現在、バンド活動中であるらしい。
 バンド名は、「スプレーガール」。
 さっそくスマホで検索をかけてみると、すぐに出てきた。文面を流し読みするだけでも、最近けっこう人気が出てきているバンドな様子が伝わってくる。
 私はもう一度、顔写真に目をやった。髪はロングの金髪で、真っ赤な口紅にブラウンの強めのアイメイク。
 いかにも私、才能ありまっせギフテッド、的なフンイキ、っていうのか。

 ……でもさあ。

「……だから、なんなの」
 悪かったね、ただのしがないハケン社員で。
 クドイようだけど、この人に才能があろうがなかろうが、そんなことは私の知ったことではない。べつに勝手に元気で楽しくやってくれればそれでいいので、同じようにこの私も放っておいてくれないだろうか。
「……住所は、どこなんだろ」
 見ると、下北沢だった。そして有名な下北のとあるライブハウスを、その活動拠点にしてもいるらしい。
 下北といえば、淳の住む町だ。
「……」
 私がこの同い年の栗山律子さんの資料を持っている、ということは、これもクドイようだけど、自分からこの人の元に出向いて行かなければならない、ということを意味する。
 この前の  ナス女のように。
 もし、これを黙ってやり過ごせば、私には「重大なペナルティ」が課される。
 ……重大なペナルティ、っていったいなんなんだろ。
 ヘンな想像が瞬時にいろいろ湧いて、すぐにまた怖くなってくる。頭を振って考えないようにする。
 なにせ、相手を殺したってかまわない、などと平気で言えちゃうような人たちなのだ。そんなまさか、とかってスルーしがたい何かをついつい感じてしまう。
 とはいえ、正直自分は、お前はセリアンスロープだ、と一方的に言われただけで、べつにその自覚があるわけでもないし、この女を襲いたい、と願っているわけでもない。
 彼女(52番、と資料には記載してあった)になんの恨みがあるわけでもないのだから、いきなりゴボウ振り回して戦闘モードでいく必要性も全然感じない。
 もう一度、資料の写真をよく見てみる。確かに顔つきは鋭いけど、気の悪そうな印象は受けなかった。
 だったら、あくまで友好的に、これこれこういう理由でいま、私はこんなワケのわからないことに巻き込まれてしまっていますがと、真摯に話しかければ、わかってもらえるんじゃないだろうか。
 そこまで考えて、私はまた、今日のナス女をお茶に誘ったときのことを思い出していた。

 ……相手は、セリアンスロープなんだぞ。

 私は頭を振って資料を床に放り投げ、ソファの背もたれにドッと倒れた。
 でもとにかく  行ってみるしか他に方法はないんだろう。
 そのとき、ラインを着信した。スマホを取り上げて見ると、先日の合コンで知り合った、武田さんだった。
 あの日以来、しばらく音沙汰がなかった。これが初めての、彼からのラインだ。

【どうもお久しぶりです。武田です。先日はどうもでした! あのあと、急に大貫さんともう一人いなくなっちゃったんで、みんな心配してたんですよ。
 でさっそくなんですが、もしよかったら、今度お食事でもどうですか?】

 ……うっ。
 どっ、どうしよう。

 ご飯に、誘われてしまった。
 べつに、彼に対して悪い印象は全然なかった。むしろとても話しやすかったし、見た目もオシャレで、鼻毛とかも出てなかったし。
 ただ、難点をあげるとすれば  いかにも「文化系」なカンジで、若干ひ弱そうな印象があったくらいだ。でもそれにしたって、致命的なまでに気になる、ってわけでもない。
 
 ……べつにいいかな、行っても。

 でも正直  この栗山律子との一件を済まさないうちは、男の人とご飯、という気にはなれなかった。とても落ち着いて話ができそうもない。
 とにかくひとまず、そっちを優先せざるを得ない以上、武田さんには、仕事のスケジュールを見て再度お返事します、とだけ答えておいた。と、了解です、お返事待ってます、とすぐに返信がきた。
 私はそのときふいに、淳のことを思い出していた。
 少し考えた後で、武田さんに音楽はお好きですか? とラインしてみた。すると速攻で音楽ですか? もう死ぬほど大好きです、好きなジャンルはあれでこれで……などとたくさん綴られた長文ラインが送られてくる。
 私は音楽に詳しい方では全然ないので、よくわからない名前ばかりだ。キャノンボール・アダレイ、って誰。
 じゃあ、「スプレーガール」、ってバンド、知ってますか? とさらに聞いてみた。
 「スプレーガール」? や、知らないです、インディー系のバンドでしょうか? 今度会うときまでにチェックしておきます、とおしりに音符のついた文章が返ってきた。
 ……っていうかそもそも  こんなバンド、果たして本当に存在するのだろうか。私はあらためて栗山律子の写真を眺めながら、そう思えてならなかった。

     ◾️

 渋谷の職場を定時に上がると、井の頭線に乗って下北沢に向かった。
 向かう時間に関しては、いろいろと考えたんだけど、もし何かあったときに、白昼の中よりも夜の方がいろいろと誤魔化しやすいんじゃないか、と思って仕事終わりに行ってみることにしたのだ。
 これまでに遭ってきた襲撃が、すべて夜だったのもそういった理由があるような気がする。
 下北沢駅前は、相変わらずたくさんの人でごった返していた。私はまず、そこから歩いてすぐの、下北でも有名なライブハウス「シェルター」に行ってみた。
 今日はライブが行われる予定はないようだった。なので比較的閑散としている。
 これがそうでないと、入場待ちの長蛇の列ができる。
 まさかいきなりライブハウスに来さえすれば、栗山律子に会える、とは思っていなかったけど、「スプレーガール」のライブ告知のポスターが貼られてあることに私は気がついた。三人組のバンドで、その真ん中に位置している栗山律子が、舌を出して笑っている。
 どうやら本当に  このバンドは実在していたらしい。
 ……となると、この栗山律子がセリアンスロープである確率も  当然高くなるってワケだ。
 私は急に不安になるとともに、緊張もしてきた。
 今日がライブ当日ではないとはいえ、栗山律子の住所はここ下北なのだし、どこで偶然遭遇してしまうかわからない。
 私のカバンには、当然ゴボウが差し込まれてある。心配だったので、すぐそばの「オオゼキ」で二本買ってきておいた。
 もちろん今日の目的は、栗山律子に会うことなんだけど、ひとくちに下北沢と言っても、コンパクトな町ではあれ、テキトーにフラフラ歩いて様子をうかがっていると、こちらに不利なかたちで向こうと出会ってしまう、そんな可能性もある気がする。
 私はカバンの中から例の資料を取り出した。そこには女の住所はもちろん、彼女たちが普段使っている練習スタジオまでが記載されてある。
 いきなり女の自宅に出向いてピンポーン、とドアチャイムを押すのもなんとなくためらわれた。同じように、その家の付近で刑事さんみたいに張り込むのも、なんだか抵抗がある。
 仕方なく私は、その練習スタジオに行ってみることにした。なにせライブは一週間後なのだから、練習も佳境に入っているのではないだろうか。
 下北沢一番街、のアーケードのある近くに、その練習スタジオはあった。正直、淳の家にめちゃくちゃ近い。
 意味もなく、挙動不審になってしまう。
 ゴボウの入ったカバンを肩にかけ、人目につかない場所でしばらく待ってみたが、人の出入りはあれど、栗山律子らしき人物は現れなかった。もともと私は根がせっかちな方で、こうやってひとところでジーッと待っていたり、釣り糸を垂れてただボーッとしていたり、ということがニガテだ(釣りとかやったことないけど)。
 それでも、ときおり真美とどうでもいいラインを交わしたりしながら、そこで一時間近く待ってみた。しかし結果は思わしくない。
 私はスマホをカバンにしまうと、今日のところは出直すことに決めた。


 そんな風に、仕事終わりに下北沢に立ち寄って、練習スタジオの近くで待つ、ということを繰り返していた、三日目のある日。
 いつもの場所で、真美とラインを交わしていたその指を止めた。

 【ごめん、また後でね】

 そう入力して送信すると、スマホをカバンの中に放り込んだ。その視線の先には  ひとりの金髪の女性が、ギターケースを肩にかけた姿がある。
「あっ、あれだっ」
 もうひとりギターケースを抱えた長身の女性と、巨漢の女性(ドラム担当だろうか?)とスタジオの前で軽く談笑した後で、巨漢と長身は金髪に手を振って、一番街の方へと歩き出した。これから飲みにでも行くのだろうか。
 一方の金髪  栗山律子できっと間違いない  は、その反対の方角の路地を歩いていく。
 日はとうの昔に沈んでいて、ムシムシとした東京の夏の夜気が、周囲一帯を包み込んでいる。蝉の鳴き声もかすかに聞こえる。
 私は息を飲みながら、慎重にその後をつけた。だってこんなことしたことないし。資料によれば、この方角はたぶん、彼女の自宅に向かっている。彼女はダメージドの太めのデニムのポケットに手を突っ込んで、比較的早足でまっすぐに路地を進んでいった。悟られずについていくのが精一杯だ。
 でもなにも、彼女をただ尾行することが、その目的じゃない。あくまで私は、この女性に話しかけなければならないのだ。
 いつまでも躊躇ためらっていても仕方ないので、私は5メートルほど先にいる彼女よりも早足になって、その後を追った。そして、
「あの、すみません」
 と声をかけた。
 栗山律子は、私に向かって振り向くと、まずはすぐに私のカバンから突き出ているゴボウを認めた。と、ハタ目ではっきりとわかるほどに、カッ! と両目を見開いた。
 その瞬間、女はその場から飛びのくようにすると、右手に持っていたトートバッグの中から何か取り出した。
 そして、無表情のまま突然、私に向かってそのあるものを振り下ろしてきた。
 私はすんでのところでその攻撃をよけると、カバンの中からゴボウを取り出して構えた。
「あの! すいません! 私の話を  少し聞いてもらえませんか?」
 先日のナス女ほどではないにせよ  とてつもなく残忍な顔をした女は、さらにその手にしたもので横殴りを繰り出してきた。よく見ると、それは鮮やかな緑色をした青パパイヤだ。
 その迅速な攻撃は、私の鼻先をかすめるように叩いて、ツーン、という電気ショックのような衝撃が走った。先が曲がっちゃったんじゃないかと思うほどだ。それで焦った私は、応戦するつもりで、ゴボウを振りかぶってしまった。そのとき、ついガードが甘くなり、女から強烈な青パパイヤのボディーブローを食らった。
「……ウッ!」
 激しい痛みと吐き気のようなものが体を貫いて、その場にかがみ込んだ私の肩を、今度は女はその先の尖った短いブーツで思い切り蹴り上げた。その勢いで、わきの壁に激突する。
「……」
 女は鼻で息をして肩を下ろすと、手にした青パパイヤを繰り返し小刻みに放り上げながら、
「なんの話を聞けというの」
 と言った。私は全身の痛みが耐え難く、しばらくなにも答えられなかったが、
「どうして  どうして私たちは、こんなことをしなければならないんですか」
 と聞いた。
 肩の骨が折れてしまったんではないかというほどの痛みが走っていた。その部分を手で押さえ込む。
「……私はあんたみたいなやつが、一番嫌いなんだよ」
 吐き捨てるように、栗山律子は言った。そして私の頭を鷲掴みにすると、その顔を上げ、
「それに……」
 と私とギリギリまで顔を近づけ目を合わせ、二度ほどクンクン、と鼻をきかせた。そして放り捨てるように、掴んでいた私の頭を離す。
「あんたのは、弱すぎるね」
「まっーー?」
「あの世に行きな」
 そう言って、女が青パパイヤを振り上げ、私の頭に打ちおろそうとした、そのときだった。
「おいお前らなにやってんだ!」
 という声が、夜の空気に響き渡るのが聞こえた。見ると警ら中の警察官の乗る自転車のライトがまぶしくこちらを照らし、キコキコと音を立てて近づいてくる。
 そういえば、この近くには交番があった。
「……チッ」
 青パパイヤ女は小さく舌打ちをすると、
「あんたの匂いは覚えたよ。ゴボウ女。今度殺しに行ってやるから覚悟しな」
 そう捨てゼリフを残すと、俊敏な伊賀のくノ一のように夜の闇にまぎれ、その姿が見えなくなった。
 息もたえだえになってその場に倒れている私を、その警察官の乗る自転車のライトが浮かび上がらせているのがわかった。

     ◾️

 被害届を出すのも、深夜でも対応可能な救急病院を紹介するというのもすべて断って、私はほうほうのていで三軒茶屋の自宅に帰った。
 とにかく家に帰りたい一心だったので、いろいろ断ってしまったが、蹴り上げられた肩は服を脱いで見てみると真っ赤に晴れ上がり、ズキズキと痛むので、明日は仕事も休みだし、病院に行くことにする。
 まったくなにもする気が起きず、私は簡単にシャワーだけ浴びると、すぐにベッドの中に潜り込んだ。布団を頭から被って、中で丸くなる。
 それでも頭が妙に冴えていて、中々寝付けなかった(当たり前でしょ)。さっきのあの壮絶な闘いの記憶が、まるでアツアツの湯気を立てるように、ありありと頭の中に残って繰り返し脳内再生されている。
 もし、あのときたまたま警察の人が来てくれなかったら、私は綺麗に殺されていたかもしれない。動かなくなるまで繰り返し、あの固そうな青パパイヤを、頭に叩きつけられたんじゃないだろうか。
 そう考えただけで、寒気が走った。
 でも、おかげで一つ、はっきりとわかったことがある。
 セリアンスロープというのは、話してもムダな人々なのだ、ということが。 
 さらにあのとき  青パパイヤ女は、よくわからないことを私に向かって言っていた。
 確か、まとい、がどうとか  
 そしてもう一つ、あんたの匂いは覚えた、今度殺しに行く、という言葉もだ。それが次の会合を待ってのことなのか、セリアンスロープ特有の「匂い」をもってそうするのかはわからないけど。
「……」
 私は不安に駆られて寝返りを打つと、頭からかぶっていた布団を引き剥がした。とても寝ていられるような状態じゃない。
 いずれにせよ、これまでの経験で言えるのは、怯えきってひたすらじっと「待ち」の状態でいると、きっとロクなことにはならない、ということだ。
 だったらもう、こうなったら、再度こちらから出向いてやった方がいい。
 それに  
 私はベッドから起きると、クローゼットの扉を開け、中に保管してあるゴボウを一本抜き取り、暗闇の中でヒョウ! と音を立てて振り下ろした。
 同い年の女にあれだけいいように暴力を振るわれて、おまけにバカにもされ、内心不愉快にも思っていたのだ。
 同じくらい仕返ししてやっても  きっとバチは当たらないだろう。
 翌日、私は近所の病院に行って肩の患部を診てもらった。骨折やヒビが入っている様子はない、と言われて少し安心した。
 湿布を貼ってもらって帰ってくると、あらためて、開催される予定の「スプレーガール」のライブの日程をネットで確かめてみた。
 見ると残りわずかになっていたけど、チケットがまだ若干残っている。
 私は、そのチケットを一枚購入した。
 あの青パパイヤ女がいったいどんな音楽をやっているのか、一度聴いてみてもいいんじゃないか、と思ったのだ。そしてなにより、あの女についての情報を得られるきっかけにもなるだろう。


 「スプレーガール」のライブ当日は、定時に仕事を終えるようにして、その足で下北の「シェルター」に向かった。
 会場には、予想していたとおり、長い列ができていた。チケットもソールドアウトしたらしい。自分と同じ年の女の子がそのような成功をしているのを知ると、多少の焦り、そしてうっすらとした嫉妬を感じないでもない。
 さすがに近くの「オオゼキ」で買ったゴボウをカバンにさした状態でライブを観るのは抵抗があったので、手縫いの花柄模様の「ゴボウカバー」に入れたゴボウを、折れたとき用に二本、カバンに持参してきていた。
 そうやって黙ってじっと列にならんでいると、その五、六人先に、見覚えのある後頭部と背中があった。
 ハッとして私は、一瞬息を飲んだ。その驚きが背後から伝わってしまったのか  その人はこちらをチラリと振り向いて眺めると、ギョッとした顔をした。

 ……淳だった。

 淳は私を認めると、すぐにまた前を向いて、手にしたスマホに目をやった。それから二度と背後を見るまいと、体を強張らせている。
 私はその仕草にショックを受けていた。
 ようやく会場に入ると、しばらくしてSEが流れ出し、「スプレーガール」の面々が姿を現して、唐突に演奏が始まった。
 満員の観客の熱気の中、爆音でライブは進んでいく。ベース、ドラム、ギターボーカルのシンプルなスタイルだ。この手の音楽は「パンク」っていうのか「オルタナ」っていうのか、私には正直よくわからない。
 会場のお客さんは男女半々くらいの割合で、もうノリにノッていた。私は後方の壁際でジッと眺めていたが、ステージ上で青パパイヤ女が演奏する音楽よりも何よりも、それをうっとりとした表情で眺めている淳のことが、気になって仕方がなかった。
 二回のアンコールも含めたライブが終了し、汗だくで会場を出て帰路につこうとする観客の中に混ざりこんでいる淳を追いかけると、私は後ろから声をかけた。 
 まるでそうされるのを予測していたかのように、淳はあからさまに迷惑そうな顔をしていた。それがまた癪に触った私は、
「ねえ、こんなバンドのどこがいいの」
 とそう聞いていた。一、二曲、耳触りのよい曲もあるにはあったにせよ、あとはたいしてピンとはこない。だからそれは、私の本音でもあったのだ。
 淳は露骨に不愉快そうな顔をしてみせた。そして、
「……あのボーカルの女の子が可愛くて、歌も上手くて最高だからだよ」
 と当てつけるように答えると、そのまま背を向けて足早に行ってしまった。
 手製のゴボウ袋に包んだゴボウを突っ込んだカバンを肩にかけた私は、その離れてゆく淳の背中を微動だにせず突っ立ったまま、眺め続けていた。

 
 青パパイヤ女の住む部屋は、例の練習スタジオから歩いて十分くらい行ったところにあった。
 下調べを一度済ませておいた私は、夜の闇の中にまぎれて、女がやってくるのを待った。女は普段、駅の近くのブルックリンスタイルのカフェで働いている。そろそろ仕事を終えて、帰宅してくる時間なのも知っていた。
 やがて、予想したとおり、その姿が街灯に照らされ、路地の上に浮かび上がった。近づいてくるのを息を殺して待って、やがて私はその場に躍り出ると、女の前に立ちふさがった。栗山律子は、以前と同じように目を見開くと同時に、トートバッグの中から青パパイヤを取り出したが、その表情はより驚きに満ちているようにも見える。
「ねえ」
 女は慎重に、私と間合いを取りながら言った。
「あんたのその顔  完全にセリアンスロープじゃない」
 何を言っているのか、意味がよくわからなくなっていた。
 私は女よりも早くスタートを切ると、両手でゴボウを振り切った。その一閃は女の手にした青パパイヤをえぐり、その風圧で女をつんのめらせた。
 続けて私の振り下ろしたゴボウは女の肩のあたりをかすめ、その着ていたTシャツごと皮膚を切り裂いた。ウッ、とうめいた女は血の滲み出した傷を手でおさえた。おかげで持っていた青パパイヤが、ゴロゴロと足元に転がる。
「こいつ  凶暴すぎるじゃん  
 言って女は、二、三歩後ろに下がる。
「もうたぶん  言葉も通じない」
 そう口にしたが早いか、例の「匂い」が漂ってきて、女の目が爛々と輝きだしたかと思ったら、口角が奇妙にねじ曲がってゆき、中の歯をむき出しにした。そして肩の傷もかまわずに、足元の青パパイヤを拾い上げると猛然と突進してくる。
 その右手の振り回しをよけると、私もお返しにゴボウを振り下ろした。いつしか女は両手に青パパイヤを持っていて、私のそのゴボウを両手の二つで受け止めていた。ガッキーン!! と硬質な音がして、私はその反動で軽く跳ね上がってしまう。
 それでも私はひるまずに、バツの字を描くように一歩ずつ前に進みながらゴボウを振り回していった。最初のうちは青パパイヤでガードしていた女も、次第に私に押されだし、ついにはそのガードが崩れて、最後は手にしたパパイヤごと後ろに吹き飛ばされ、民家の壁にぶつかって倒れた。
 軽くうめき声をあげている女の脳天に、私は狙いを定めていた。あんたのその、うっとうしい金髪頭をかち割ってやれば  もうこれ以上うるさくギターをかき鳴らして歌を歌う必要もなくなるだろう。
 
 ……そうすれば、淳もあんたになんの興味も持たなくなるに違いない。

「死ね」
 そうつぶやいて暗闇の中、ゴボウを女に向かって振り上げた瞬間、背後から強烈な一撃を頭にくらって、私はその場に膝をついて倒れた。
 視界が薄れてゆく中、アスファルトの道路の上に倒れた私の顔の前に、巨大なパイナップルが転がった。
「……律っちゃん、大丈夫?」
 そんな声がしたと思ったら、巨漢の女がぬっ、と姿を現した。
「うん、ありがと。られるかと思った」
 例の、話してたやつだね、と私の横腹を軽く蹴りながら言うのが聞こえる。
「こいつ、纏が弱いんだろ? そのぶんセリアン化すると厄介なんだろうね」
 殺そうよ。巨漢の女がそう言った。
「ちょっと待って。少し、気になることがあるんだ」
「何よそれ。どうするの」
「家に、連れてこう」
「……家に?」
「うん、お願い」
 と仕方なく、といった様子で、女が私の体をヒョイっと持ち上げ、その肩に担いだ。
「こいつのカバンはどうする?」
「証拠になると厄介だ。持っていく」
 その瞬間、私は気を失っていた。

     ◾️

 重い鈍痛とともに目を覚ますと、見知らぬ部屋の天井が見えた。
 ハッとして起き上がろうとすると、息苦しさとともに激しく後ろに引っ張られて、もう一度倒れ込んでしまう。
 妙に思って顎を引いて見ると、首輪をつけられていた。
「……目が覚めた?」
 見ると両手首も、革製の器具で拘束されている。足首も、幅がその倍以上もある、まるでコンブのような器具でしっかりと固定されてある。
「なっ、何これ」
 と、リビングの奥から、巨漢の女が姿を現すと、キッチンで洗い物を始めた。履いているピッタリとした黒デニムの尻ポケットには、ドラムのスティックが差し込まれてある。
「言っとくけど、私も律子も、ゴボウが大っ嫌いだからね。この家には、一本もないよ」
 そう言って笑った女の手前のテーブルには、これみよがしに巨大なパイナップルと、鮮やかな色の青パパイヤが置かれてある。
「……私を、どうするつもり?」
 聞くとパイナップル女はまた笑って、
「そんなの律子に聞きなよ。私はあんたなんて、ただの量産型マス・プロデュースド・タイプだと思うけどね  
 耳をすますと、廊下の先の方からシャワーの音が聞こえていた。やがてそれが止まると、しばらくして頭をバスタオルで拭きながら、青パパイヤ女の律子が姿を現した。
 真っ赤な下着姿で、そのグラマーなスタイルの体が上気している。
 私は突発的に、淳のことを思い出していた。
「何話してたの」
 律子は首にバスタオルをかけ、水色の古めかしいデザインの大きな冷蔵庫を開けると、中から黒ラベルを一本取り出してプルトップを開け、一口啜った。肌が白人女性のように白いので、赤のレースのついた派手な下着が余計に鮮やかに見える。
 右肩のあたりに、私のつけた赤い傷痕がついていた。
「あんたなんて、ただの量産型マス・プロデュースド・タイプだよ、って言ってたの」
 ボブに切り揃えた毛量の多い髪を掻き上げながら、パイナップル女は言った。洗い終えたフライパンを布巾で拭い、キッチンの壁のフックにかける。
「鼓はね、量産型マス・プロデュースド・タイプの女が大っ嫌いなんだよ。もう、二人殺してる」
「こっ  
 パイナップルで思いっきり殴ったら、動かなくなっただけだよ、とパイナップル女の鼓は言った。
「あ、あなたたち、そんなことして  
「なにあんた、WOAの説明聞いてないの?」
 鼓も律子と同じく冷蔵庫を開けると、黒ラベルを取り出してプルトップを開け、律子と乾杯をした。
「だいたい、ウチの大事なリードボーカルにトドメを刺そうとしたあんたに、そんなこと言われたかないね」
「トッ、トドメ?」
「……あーあ、覚えてないんだ。やっぱりあんたは量産型マス・プロデュースド・タイプだよ」
 そうかなあ、と律子は、テーブルの椅子を引き出して座り、足を組んで言った。
量産型マス・プロデュースド・タイプじゃないから、覚えてないのかもしれない」
「どういうことよ」
「セリアン化が、激し過ぎるの」
「……ねえ、さっきから量産型マス・プロデュースド・タイプがどうとかこうとかって、いったいどういうこと?」
 律子は何も答えずに、こっちに近づいてきて首輪につながれた私の顎に手をやってあげた。
「ねえ、あんたさ。いったい何があったの? きっと何か、あったんでしょ。言ってごらん」
「何がって  
 まさか自分がまだ未練タラタラの元カレが、あなたの大ファンなのだ、なんて口が裂けても言えない。 
「いい? 量産型マス・プロデュースド・タイプ、ってのはね、あんたみたいな、頭カラッポの雑魚ざこい女のことだよ」
「いや、そうとも言えない」
 律子はソファの私の隣に腰をおろした。
「ねえ、あんたにちょっと聞くけど」
 洗い立てのシャンプーの香りのする鮮やかな金髪を、律子は右手でかきあげた。あらためて、往年のハリウッド女優のような、そんな日本人離れした存在感を感じる。
「これまでにさ、ネギを持ったセリアンスロープに出会わなかった?」
「……ネギ?」
 私は反射的に、あのネギ女の広い額と、後ろに強くひっつめた髪型のことを思い出していた。
「出会わなかったもなにも、あいつに私は最初に襲われたのよ」
「どこで」
「さっ、三軒茶屋で  
「……ねえ三軒茶屋なら、そうなんじゃない?」
「……」
 律子は黙ってソファから立ち上がると、腰のくびれの美しいラインを見せつけるように戻っていって、黒ラベルの缶を取る。
「でも、突然会合に来なくなった」
「量産化、したんじゃない?」
「量産化してようがしてまいが、セリアンはセリアン」
「……私はあのネギ女に、絶対仕返ししてやるつもりよ。ひどい目にあったんだから」
 言ってやると、律子と鼓は顔を見合わせて笑った。
「あんたって、そんなあどけない顔してけっこうネチッこいよね。きっと付き合うと、面倒なタイプなんじゃない?」
「なっ  
「……偉そうな口きくんじゃないよ、ただのセリアンスロープのくせに」
 鼓にそう言われて、私はさらにカチンときた。
「あなたたちだって、そうでしょう?」
「だから量産型マス・プロデュースド・タイプのあんたに言われたくないっつーの。それに、律子はもう、半分ユーサイキアだよ」
ユーサイキア?」
 何よそれ、と聞く私を、二人は完全に無視した。そのかわり、  
「そのネギ女に、あんたは何度も襲われたわけだ」
「そうよ」
 だったら、あんたを飼っとけば  またあんたの元に現れるかもかもしれないね。そう律子は呟いた。
 私はギョッとした。
「ちょっ  
「悪いけど、あんたをこれから、少し利用させてもらう」
「利用?」
 律子は一息に飲み干したビール缶を右手でつぶし、ゴミ箱の中に放り込んだ。
「なんだよ、いますぐ殺さないの」
「なぜか好んでこいつのもとに来るんだから、まだ生かしとかなきゃ」
 私はもう疲れたから寝る。おやすみ。そう口にして、律子はその小さなお尻を振って、寝室に引き取ろうとした。
「ねえ、律子。これからこいつのこと、ちょっとテストしてみてもいい?」
 鼓がそう言った。そのとき、ハッとして部屋の中をあらためて見ると、観葉植物の鉢などにまぎれて、巨大なロウソクや足枷が立てかけてあるのが見えた。
「あんたも好きだねえ。勝手にしな。でも、まだ殺しちゃダメだからね」
 律子がそう念を押す。
「うちのドラマーは、天性のSなんだよ。だからって泣き叫んじゃダメだ。うるさくて眠れないから」
 ……あんただってドSじゃないの。そう鼓がすかさず突っ込む。
「ねえ。さいきん女風の別バージョンで、M男君をレンタルできるの知ってる?」
 そう言って鼓は、部屋のクローゼットの中から長尺のムチを取り出してきた。そしてそれを、激しく床に向けて打ち下ろす。そのあまりの音の大きさに、私はたじろいで目を閉じてしまった。
「あんたは、量産型マス・プロデュースド・タイプ。いい? 量産型マス・プロデュースド・タイプ、ってのはね、頭がカラッポなの。わかる?」
 なんだか興奮してきた。そう残忍な顔でつぷやくと、鼓は私の顎に手をやった。
「ほら、セリアンになってみな」
 と、部屋に引き取ろうとした律子が、足を止めてこちらを振り向いた。
 そのとき、例の「匂い」が  どこかから漂ってきたのがわかった。おかげでなんだか妙な気分になってくる。
「ねえ律子。こいつのトリガーはなんだと思う?」

 ……トリガー

「さあ。でも、たぶん  うちらのファン、とかじゃないのかな」
 そのときにはもう、私には律子が何を言っているのかよくわからなくなっていた。鼓が一瞬うろたえるような、そんな顔をして立ち上がる。
「律っちゃん、ビンゴだ。匂ってきた」
 そう言って鼓は喜ぶ。
 ……ゴボウ。ゴボウだ。私は朦朧としてきた頭でそう考えた。
 見ると私のカバンから、ゴボウカバーの先端が少しだけ覗いている。
 今日持参してきたのは一本なりのものではなく、太鼓のバチよりも少し長いくらいにカットされた洗いゴボウだ。それを二本。
 もしものときのために、二刀流でも対応するためだった。そのうちの一本は、あのときの闘いで使ってしまった。
 二人は、そのことに気づいていない。
「もしかしてさあ  それって律っちゃんのファンだったりして」
 鼓がそう言うと、律子は両手を腰において顎を引き、上目遣いでジッ、とこの私を見た。私も目を合わせたが、いったい自分が何を見ているのかは、すでにもうわからなくなっていた。 


 つづく

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