淀橋 壬生町の橋 4
戊辰戦争の戦いで栃木県の戦場で有名なのは安塚の戦いです。その舞台が姿川でそこにかかる橋が淀橋です。
淀橋の交差点は四方から来た道が交差して信号が複雑でした。
いつも通過するだけでしたので今日は車を戊辰戦争の供養碑の所に置いて淀橋の写真を撮ってきました。




地蔵堂


新道と旧道に架かる橋を両方見る。

「複雑さ」を持つ興味深いスポット 淀橋
歴史:戊辰戦争「安塚の戦い」と淀橋
慶応4年4月22日(1868年5月14日)、宇都宮城を占領した旧幕府軍(大鳥圭介、土方歳三ら)と、壬生城を拠点に宇都宮城奪還を目指す新政府軍(薩摩・長州・土佐・鳥取藩や壬生藩など)が衝突しました。これが「安塚の戦い」です。
激戦地となった「淀橋」
現在の栃木県下都賀郡壬生町安塚と宇都宮市幕田町の境を流れる「姿川(すがたがわ)」。ここに架かる「淀橋」を挟んで、激しい銃撃戦・白兵戦が展開されました。
「複雑」を極めた戦況
当日は豪雨と深い霧という最悪のコンディションでした。旧幕府軍の側面を突くはずだった部隊が暗闇と雨で道を間違えて淀橋手前に到着してしまったり、新政府軍側の壬生藩兵が雨の中で味方から誤射(誤認攻撃)を受けるなど、文字通り戦況は複雑に混乱を極めました。
結末
一時は旧幕府軍(伝習隊など)が優勢でしたが、新政府軍の指揮官・河田佐久間が予備隊を率いて「退く者は他藩の兵でも斬る!」と抜刀して猛反撃を敢行。旧幕府軍は姿川に追い詰められて大敗し、宇都宮城へと退却していきました。
現代:非常に「複雑」な淀橋南交差点
歴史的な激戦地となった淀橋のすぐ南側には、現代のドライバーを悩ませる別の意味で「複雑」な交差点が存在します。
五差路の渋滞スポット
姿川を渡る「淀橋」の南側にある「淀橋南交差点」は、栃木街道(県道2号)、旧栃木街道、国道121号が変則的に交わる複雑な五差路(5差路)です。
渋滞緩和への取り組み
朝夕の通勤時間帯を中心に激しい渋滞が発生することから、栃木県(栃木土木事務所)は対策に乗り出しています。2026年3月から7月にかけて「交通渋滞緩和に向けた社会実験」が実施されており、国道121号線の2車線左折化や、矢印信号の増設・サイクル変更などの調整が行われています。
まとめ
かつて(1868年):雨と霧、道迷いと誤射が重なった戦況が「複雑」な戊辰戦争の激戦地。
現在(2026年):複数路線が絡み合い、改良の社会実験が行われているレーンと信号が「複雑」な主要交差点。
同じ「淀橋(壬生町・宇都宮市境の姿川)」を舞台に、時代を超えて異なる「複雑さ」を持つ興味深いスポットとなっています。
