『欲しくても望めない体』が教えてくれた『親』というもの
あなたは『親』として悩んだことはありませんか?
これは血の繋がらない二人の娘をもつ私が、『親』というものについて思ったことを綴った文章です。
私には、生まれる時からずっと一緒にいるけれど、血の繋がっていない二人の子どもがいます。
簡単に言うと、『欲しくても望めない体だった』ということです。妻との子どもが欲しくて、悩んだこと、一人で歩きながら泣いたときもありました。
これについてはまた別の回でいつか詳しくお話できたらと思っています。
そんな私が親として日々を過ごす中で感じたこと、悩んだこと、そして成長したこと。その全てが、「親」という言葉の奥深さを教えてくれました。
「親」って言葉、日本語だと色々な意味があるんですよね。
一般的には
「子を産んだり、育てたりした人」
「子どもの保護者や養育者」
って定義されます。
でも、それだけじゃ語り尽くせないほど、「親」って存在は複雑で奥深いものだと思いませんか?
二児の親として
私自身、二人の子どもの親なんです。二人とも、妻のお腹の中にいる頃から一緒に過ごし、生まれてからもずっと成長を見守ってきました。
妊娠中はなにかあるたびに『大丈夫?』『無理しないで』と不安になる日々でした。悩んで悩んで妻ともたくさん話して、さまざまなことを試して、ようやくここまでこれたという気持ちがあったからだと思います。
世の中の『できてしまった』が羨ましい、恨めしいとすら思う時もあったかもしれません。
でも、やっぱり、彼らと私には血の繋がりがないんです。正直似ているかと言われると、似てはいません。
仕事柄、色々な家庭の子どもたちと出会う機会が多いんですが、父親が違う家庭、母親が違う家庭、両方とも血の繋がりがない家庭とか、世の中には本当に多様な家族の形がありますよね。
そういう家庭の「親」は、親じゃないんでしょうか?
私は絶対にそうは思いません。
血の繋がりだけが親を決めるものじゃないって、強く感じています。
親であることの複雑さ
親って、なりたくてもなれない場合もあれば、なりたくなくてもなってしまう場合もありますよね。
では、親に「卒業」ってあるんでしょうか?
子どもが成人したら、親は親じゃなくていいんでしょうか?
私は、親は一生親であると思っています。
その子が働く、結婚する、家を買う、そして子育てをする。ーーーー
人生のあらゆる節目で、親の手助けや支えが必要になる場面って、本当にたくさんあります。
体のことやお金の面だけじゃなく、精神的な支えやアドバイスもまた、親だからこそ与えられるものだって思うんです。
だから、厳しいことをいうようかもしれませんが、なりたくなくてなってしまったとしても、それを投げてはいけないと私は思うのです。
その背景には人それぞれ本当に違うストーリーがあると思います。
自分は愛されてなかったから、愛し方が分からない。
今となってはキライな人との子だから。
でもその子にはそんなこと関係ないと思うのです。
どんな理由があっても
その子をどうしたら幸せにしてあげられるか。それを通してどう自分も幸せになっていけるか、考えなくてはいけないのが親の責任なのではないかと私は思います。
もしかしたら、そこが一番難しいところなのかもしれません…
でも、仮に自分が愛されていなかった、親がキライだったというお母さん、お父さんでも子どものために頑張ってる人たちもいます。
そういう人たちにこそ、行政など様々な形で支援が行き届いたらいいのにと願うばかりです。
親であるべき時間と、自分で好きにいたい時間
子どものために時間を割くのはもちろん大切です。
でも、趣味に没頭したり、友達と過ごしたりする「自分」の時間も、心と体の健康を保つ上で欠かせませんよね。
この二つの時間の使い方って、多くの親にとって永遠の課題かもしれません。
片方がそうしていれば片方が子どもをみてなくてはならない。もちろん、おばあちゃん達も助けてくれます。でもおばあちゃん達に任せて自分は好きに…って本当に心から楽しめると言えるのでしょうか。特に、自分の方のおばあちゃんたちでない時は…
親であるべき時間と、夫としての時間
親としての役割と夫婦としての役割を両立させることって、時に難しいこともありますよね。
私は夫でもあります。親として子どもと向き合う時間だけじゃなく、夫として妻と話したり、妻の変化に気を配ったり、お互いが幸せでいられるように努めることも大切だと感じました。
こどもの相手をすることが妻の為にもなっている。
そう思い込んで、仕事から帰ったら子どもと遊ぶ時間を優先していました。
妻には話したいことも、相談したいことも、そんなんじゃない何でもないことですら家の中で話せる唯一の相手なのに。
私は気付いた家事はできるだけやるようにしました。それで浮いた時間をなるべく話せるように。
しかし、そんな聖人のようなことはずっとは続けられてはいません。空いた時間はついゲームをしたり、休んだりと自分のために使っていまっているのも事実です。いつもすみません…
親である時間と、社会人である時間
仕事と子育ての両立もまた、多くの親が直面する現実だと思います。
仕事に集中する時間と、子どもの送り迎えや食事の準備をする時間。それぞれの役割を切り替えながら、限られた時間を有効に使う工夫が求められますよね。
その他にも増え続ける家事、やったつもりでいて妻の負担が増えていることに気づかず、辛い思いをさせてしまっていたと思います。
親になって初めて学べること
「親の心子知らず」って言葉があるように、親になって初めて気づくこと、感じられる幸せって、本当にたくさんありますよね。
親になることでしか得られない幸せって、数えきれないほどあります。
子どもの些細な成長、例えば初めて寝返りを打った瞬間、初めて言葉を発した時、初めて歩いた一歩。それら全てが、親にとってはかけがえのない喜びなんです。
他にも親子連れでしか行かないような近所の公園や、その辺に咲いている雑草でさえも、子どもの笑顔や成長のきっかけになり、その笑顔からたくさんのエネルギーをもらえます。
日常の些細なことが、どうでもいいことが、子どもというフィルターを通すだけで幸せに変わるんだと、私は思います。
もちろん、親であることは決して楽なことばかりじゃありません。
自分の時間や自由が少なくなるかもしれない大変さ、子どもが言うことを聞いてくれないことによる子育ての難しさ、そこから来るストレス、そして自分のことだけでなく子どもの将来に対する不安。色々な大変な要素があるのは事実です。
でも、それらを補って余りあるほど、親でしか得られないものがあるんです。
自分が年老いてもずっと続く、子どもの成長を喜ぶ気持ち。そして、人生の最期の時まで、自分のことを思ってくれる人がいる喜び。
これこそが、親であることの最大の報酬なんじゃないでしょうか。
でも親なら誰もが最後まで思ってもらえるわけではありません。やっぱりそこまでの関わり方が大切だと思います。
血が繋がっていようが、いなかろうが、家族だろうが、他人だろうが
相手のことを思って、その人の未来を案じて、一言を選び、関わり、悩むことが必要ということは変わらないのではないのでしょうか。
最後に
私の娘はもうすぐ3歳になります。ということは、私もまだ「親三年生」なんです。
いつか、『どうしてお父さんと似てないの?』と娘に、聞かれる日が来るかもしれません。
その時に自信をもって答えられるように。『お父さんでよかった』と思ってもらえるうようにこれからも、親として子どもと一緒に成長し続けたいって心から願っています。
さて、あなたにとって「親」とは何でしょうか?
そして
「親になる」とはどういうことで、「親でいる」とは、どういうことだと思いますか?
私は全ての親が、子どもが幸せであることを願っています。
