序列を見ることで自然とダメージを受けていた──乃木坂46の選抜に思う違和感


乃木坂46における「選抜」という仕組みの曖昧さ


まず大前提として私は乃木坂46が大好きだった。
ファンとしてのピークは、大学生時代。2017年~コロナ前の2019年ぐらいまで。シングルだと「逃げ水」から「しあわせの保護色」までの期間だ。

毎週、乃木坂工事中というテレビ番組を観たし、夏の全国ツアーやアンダーライブ、バスラ等のライブに通ったりした。
コロナ以降は、ライブに行く機会がなくなってしまい、熱が少しずつ冷めていき、コロナ期間で卒業と加入の世代交代もあり、どんどん距離が出来ていき、今ではほとんど見なくなった。

今でも曲は聴くし、ライブも行きたい気はするが、あの頃の強い気持ちはなくなった。学生時代に熱中していたものに、社会人になると熱中することが出来なくなる、みたいな。
多くの人にとってよくあることだと思う。

私は乃木坂に限らずアイドルの曲やパフォーマンスが好きだ。
もちろんパフォーマンスだけではなく、異性として顔がかわいいとか、そういう要素もある。でもそれだけじゃないと思っている。
アイドルのパフォーマンスを観ているときは、それ以外のことを忘れられるし、それだけに没頭できるような魅力を感じる。あと多分なんか元気になる。

なので、乃木坂だけではなくハロプロやエビ中のファンでもある。

そして坂道系のアイドルは、他のアイドルにはない独自の仕組みがある。その仕組みが「選抜」である。

「選抜」とは、選抜メンバーのことであり、そのメンバーを決定する仕組みのことでもある。
選抜メンバーとは、シングルの表題曲を歌い、音楽番組やプロモーション活動の中心となるメンバーのことだ。乃木坂46は、グループのメンバー数が多いため、毎回シングルの表題曲に全員が参加できるわけではなく、運営が選んだメンバーだけが参加できるのだ。

選抜メンバーとそのフォーメーションは、毎シングルが発売されるときに発表される。発表は、乃木坂46のテレビ番組「乃木坂工事中」で行われ、発表される度に「誰がセンターか」「誰が入ったか」などなどファンの間では大きな話題になる。

一方で、選抜に入らなかったメンバーは「アンダーメンバー」と言い、シングルの中のカップリング曲としてアンダー楽曲を歌唱したり「アンダーライブ」というアンダー曲をメインに構成したライブに参加したりする。


なので乃木坂46は、大きく2つの集団に分かれ、テレビの歌番組で見る人は基本「選抜メンバー」に当たるのだ。

私も大ファンだった時期は、乃木坂工事中の番組内で選抜発表される瞬間をリアルタイムで観て、発表後はオタク友達と感想をラインしたり、Twitterの反応を眺めたりしていた。

ファンは、推しているメンバーが人気のあるメンバーであれば「やっとセンターになった!」と喜ぶこともあるだろう。
逆にそこまで人気のないメンバーであれば、選抜入りしたら「やっと選抜だ!推しててよかった!」と歓喜する。
ファンは、推しに感情移入し、その物語にのめり込んでいく。その物語を面白くする意味でも「選抜」は重要な仕組みだった。

分かりやすく序列が打ち出されることで、メンバー一人ひとりのストーリーがエモーションで明確なものとして生まれ、だからこそファンは感情移入しやすく、応援の成果を感じやすくなる。

朝井リョウの「インザメガチャーチ」もそういう話だったし、メタ的視点で考えればいくらでもバカバカしくなる瞬間はあると思う。
だけど、それももちろん分かってはいるけど、それでも感情移入して応援してしまう。乃木坂ファンにとっては、結局それが分かりやすくて楽しいからだ。

ファンとして選抜という仕組みは面白いし、十分楽しませてもらったと思っている。
思っていたのだけど、その楽しみの中には色々と考えたくないものを都合よく無いものにしていた部分もあったと気づくようになった。

選抜という仕組みにより人気のメンバーがいて、人気のないメンバーがいるという構図が生まれる。
その構図が示す分かりやすさは「人気がない」というネガティブな側面をネガティブなままに画面に映し出してしまう。納得すべく受け入れる自分と、納得できないけど見ないように蓋をした自分がいた。

そして今、私は乃木坂の大ファンではなくなり、少しずつ納得出来ていなかった部分を考え直せるようになった。そして薄っすらとしていたものは、時間をかけて少しずつはっきりとした答えになった。

私が納得できていないこと。それは「選抜」において運営が公式に明確な選考基準を公表していないことだ。
そして選抜を通して「序列」を見てしまうことに違和感を感じていたことだ。

運営側がどういう選考をしているかは不明だが、おそらく選抜にはいくつかの要素の結果から総合的に判断していると考えている。

全て自分の想像だが、例えば以下の要素が考えられる。

・ミート&グリートの人気:個人別の握手会の売上・完売速度

・パフォーマンス:ダンス・歌唱力。ステージパフォーマンスの安定性。

・運営の方針:早めに新しい世代へ交代させる。将来のセンター候補を早めに抜擢する。

・外仕事での実績:ドラマ・映画・モデル・バラエティなどでの活躍や認知

・グループ全体のバランス:選抜のフォーメーションの配置や期別(〇期生)の人数バランス。年齢のバランス。

この要素において選抜で重要視される順位を考えた。※これも完全に自分の想像

1位 ミート&グリートの人気
2位 運営の方針
3位 グループ全体のバランス
4位 外仕事での実績
5位 パフォーマンス

1位は、かなり重要視されているように思える。個別の握手会の完売速度や完売率は、個人間でかなりバラつきがあり、それこそ選抜とアンダーでは大きな差がある。
選抜で1列目になるメンバーは、個別の握手会は一瞬で完売し、長年アンダーにいるメンバーは、ずっと完売しない。そんな状況はよく見ていた。
2位や3位も優先度は高いと思う。ほんの数か月前に新しい〇期性として乃木坂に入った新人メンバーが、いきなりセンターに選ばれるというサプライズは過去に何回かあり、それはさすがに運営側の方針の強さが如実に表れた結果だろう。

なにより悲しいのは5位パフォーマンスが最も優先度が低いと思ってしまったことだ。
例えば、長年選抜に選ばれないが、ダンスや歌唱力は、どう見ても選抜のメンバーより高い人がけっこういたし、アンダラを見てもパフォーマンスがすごく安定している実力者はいた。そしてその実力は、日々の鍛錬によって磨かれたものかもしれない。そうだとしたら、どれだけアイドルとしてのスキル向上を頑張っても、それが正当に評価されていないことになる。

運営の方針は、何を重要視しているかは分からないが、パフォーマンスをないがしろにするグループでいいのかという疑問はあった。

例えばハロプロは、デビュー候補を育成・評価する研修生制度がある。ダンスや歌唱力の向上や、ステージでの表現力等を育成し、評価する仕組みだ。もちろんパフォーマンス力だけでデビューが決まるものではないが「ハロプロ」という組織において、研修生制度があることはパフォーマンス力や総合力を高めることがデビューの可能性を高める重要な要素と言えるだろう。

ハロプロと比較しても、乃木坂の選抜の方針はパフォーマンスを重要視している様には思えなかった。ただ、グループの売り上げや人気で言えば、乃木坂の方が圧倒的に覇者ではあるため、運営の方針はビジネス的には正解とも言える。
そもそも個々のスキルを見るのが好きな人はハロプロのファンになるし、フォーメーションを重視した一体感のあるパフォーマンスが好きな人は乃木坂のファンになると思うので、異なる性質のファンダムなんだから、比較すること自体が間違っているとも言えるだろう。

それでもセンターがいてその隣に2番手、3番手がいて、2列目、3列目と続いていくフォーメーションを見ると、嫌でも「序列」そのものを受け入れなければいけなくなる。
選抜がいて、アンダーがいる。
その事実と、それが公表されていない、あるかも分からない基準によって作られていることが私にとって小さなノイズとして存在していたのは確かだった。



ラストアイドルを見て思った 戦うことへの疑問

アイドルにおける序列のことを考えると思い出すのがテレビ朝日で放送されていた番組「ラストアイドル」だ。

ラストアイドルというテレビ番組は「暫定メンバー」が毎週挑戦者に指名され、1対1で戦い、負ければその場でメンバーを失うという「入れ替えバトル」をする番組だった。しかも、審査は毎回選ばれた1人の審査員だけが最終決定を下すという、審査員1人への負担が重すぎるシステムとなっていた。

序列が可視化され、敗北まで公開する。序列そのものを露悪的なまでにテレビ番組のショーとして消費しながら、究極のアイドルを作り上げる流れは、ドラマ性に満ちていたと思う。ナラティブでドラマチックな展開をテレビ番組として放送する。
アイドルは物語性を重視する、というルールで行けば、超絶人気アイドルが誕生すること間違いなし!なのだが、そう上手くはいかなかった。
ラストアイドルの入れ替えバトルは途中で終わり、バラエティ性の強いアイドル番組へと変化し、やがて番組も終了しグループも解散した。

アイドル好きとしては、ラストアイドルを見ながら番組のコンセプトに対して大きな疑問を持っていた。

その疑問は、「素晴らしいアイドルを誕生させる」という目的と、「序列を可視化させ競わせる」という方法が一致していないということだ。

入れ替えバトルは「アイドル」を目的として成立していたのではなく、競争を成立させるための素材や装置になっているという感覚があった。

一番すごい人、一番優れた人を選出させるためであれば「アイドル」ではなくソロのアーティストやソロのアイドルを選出するシステムにすればいいはず。
だけどラストアイドルは「究極の5人」を選ぼうと競争させた。それだとアイドルとしての共同体ではなく、個の集合体でしかない。それは究極のアイドルと言えるだろうか。
きれいごとかもしれないが、個性が違うメンバーが共存し、集団として成長し関係性を深める、そういった価値がアイドルにはあると思う。だからこそ、誰が勝つか・負けるか・泣くか・笑うかということだけをコンテンツとして消費することは「アイドル」を目的としていなかったのではないか。

アイドルの序列を見たときに感じる違和感が、分かりやすい形で可視化されたという意味では面白い番組だったとは思う。

入れ替えバトル終了後、これからラストアイドルがどうなっていくのか気になり、解散までの5年くらい追い続けたが、最後はあっけなく活動終了となった。プロデューサーバトルも今まで見たことない豪華な内容で面白かったし、その後のシングルもいい曲はあっただけに残念だった。



情熱大陸 木村ミサ

情熱大陸の木村ミサ氏の回を見た。これを見たからこのブログを書こうと思ったし、これを見なかったら書かなかったと思う。

2026年2月に放送された情熱大陸は、FRUITS ZIPPERが所属するKAWAII LAB.を率いるアイドルプロデューサーの木村ミサ氏の密着だった。

木村ミサ氏のアイドルプロデュースは、どのグループにもセンターを作らないことを大切にし、各メンバーの個性を生かしたセンターではなく全員が輝けるグループを作るというものだった。

なぜ、そういうアイドル像にこだわるのかには理由があった。そもそも木村氏自身が過去にアイドル活動をされていて、なかなか大きな成功には届かず解散を経験されていた。当時感じた悔しさから、もっとメンバー一人ひとりを大切にできる環境を作りたいと思い、プロデューサー活動につながっているそうだ。

そのグループ その子たちに合う「かわいい」を見つめていくのが私のやること
それぞれが思う「かわいい」が正解であると思うので

情熱大陸 木村ミサ回より木村ミサ氏の発言

FRUITS ZIPPERらの象徴である「多様性の重視」は、このプロデューサーの考えから来ていたのか、と納得した。
多様性と言えば簡単だが、番組の中ではその方針に基づく具体的な要素も見られた。
立ち位置や写真の映り方でセンターを固定しないことや、歌割が一人に集中しないことなど、具体的な思考錯誤を見れたのは大きな発見だった。

FRUITS ZIPPERのセンターを作らないという考えは、グループのコンセプトだけではなく、メンバーが競争ではなくそれぞれ違う魅力を持つ存在として見られるための設計と思想なのだと知った。

外側からの力を与えるのではなく、内側から来るものを見つめて魅力として発信する。この考えに基づき、木村ミサ氏をはじめとする運営側が、きれいごとではなくてしっかり実行していくガッツにも正直感動した。


序列を見ることで自然とダメージを受けていたのではないか


木村ミサ氏の情熱大陸は、私を「序列」から解放させていった。序列からの解放とは、乃木坂の選抜を否定しているわけではない。序列を意識しなくてもアイドルは成立するということが分かっただけでも自分としては良かったと思えたことが「解放」に当たる。

解放されたことで、なぜ競争しないといけないのか、なぜパフォーマンスは重視されないのか、そういう長年の疑問に対して、少し気持ちが落ち着いた。
FRUITS ZIPPERだって完全に序列がないとは言い切れないと思う。個人の知名度やファンの支持数には差があるだろう。だけどそれを運営側が公式に協調したりせずに、全員が活躍できる機会を設計するという意識を持っていることが重要だと思った。

序列として消費しなくても、インプレッションは集まり、人は魅了される。現にFRUITS ZIPPERは最高のアイドルだし、大成功している。

自分は乃木坂が大好きだった。
今でも曲は大好きだ。
だから選抜を否定したいわけではない、だけどずっと感じていた違和感や疑問には向き合いたいし、選抜の様な仕組みがなくても人気を獲得できるアイドルがいると思いたい。

その非対称な思いを内在化させたまま思ったことがある。

自分は、序列を見ることで自然とダメージを受けていたのではないか、ということだ、

序列があるということが小さな小さな心理的負担を生み出し、それが積みあがっていく。それが自分の中で見て見ぬふりできる許容量を超えた結果、こんなことを考えているのではないか。
学生時代のクラスのヒエラルキー、就職してからの出世戦争などなど、この世は序列に溢れている。だからこそ、そういう現実を忘れたくて見ているはずのアイドルにも序列があるという事実を受け入れにくかった。
やっぱり見てて苦しかった。
それが本心だと思う。

社会人になると、学生のように明確な成績表があるわけではないので、自分の日々の頑張りは誰にも見られていないのではないかと思うことがある。そんな時たまに「頑張っているじゃん」とか「頑張っているって聞いてるよ」と同じ組織の人から言われると救われた気持ちになる。

それと同じで、FRUITS ZIPPERにとっても木村ミサ氏のように、自身が所属している組織の中に自分を見てくれている人がいるという強い安心感があり、それは自信につながっていると思う。

序列や競争から抜け出し「個」を見つめる。それでも成り立つ社会であってほしい。

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