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RESPECT51 ICHIRO SUZUKI 〜Part2


あなたの神経細胞は「電気コードの線が破けて裂けてると思ってください」
私の体には神経の軸索が裂けて痺れと痛みがある。

「苦しみがたりない。まだ苦しめる」
私の作ったHPの言葉は、私自身への叱咤激励だった。

人は誰もが皆、平等に愚かで賢い。
人は誰もが皆、強さと弱さを持つ。

ICHIROのように強く生きたい

ICHIROのインタビューの言葉を自分への叱咤激励の言葉に使った。
身体障害の痺れ痛み苦しみに打ち負けそうになる自分がいる。
ICHIROのように生きれたらと思った。

ICHIROメッセージ

結果ではなく、そこに行くまでの過程で自分がどうであったか、これがすごく大事なんだ。自分の事を理解しようとしてくれる、遠くからでも見てくれている、どんな時でも信じていてくれる、特別な言葉を交わさなくても、心地いい、というのが、一番いい関係だと思う。

他人についてとやかく言う連中、特にネガティブなことを言う連中が発信する情報を過度に自分に取り入れてしまうと、ネガティブな結果しか生まれない。

肝心なことは、自分自身を良く知ることと、価値のない人間や発言する立場にない人間にコントロールされないようにすることだ。

ここに来た時の夢はメジャーの選手になることだった。実際にメジャーの選手になってしまうと、200本安打が欲しくなる、そこに到達してしまうと、別のものが必ず出てくる。だから「完璧」というものは、人間という生き物にとっては存在しないんだと思う。僕が考えている目標というのは、50歳まで現役バリバリでプレイするということです。

恐らくイチローと言う選手を上回る鈴木一朗が、それだけの自信を持って追いついてきたから持てる目標だと思う。既存の常識や固定観念を、どれだけ変えていくことができるのか。それは、ICHIRO & 鈴木一郎が、やらなければならない仕事なんです。

「自分は野球選手として、人間として成熟できてるかどうか、前に進んでいるのかどうか、ってことはいまだに分からないんですよね。そうでありたいということを、信じてやり続けることしかできない。実は、今までは自分が成長しているとか、前に進んだってことを明確に感じることはできていないんですよね。それがこれからも続いていくんでしょうけど、どこかの時点で野球とはこういうものだ、打つこととはこういうことだ、生きるということはこういうことだとか、そういったことが少しでも見えたらいいなとは...思いますけども…現時点では皆さんの前で発表できることはないです。」

野球とはこういうもの。打つこととはこういうこと。生きるということはこういうこと。 どうあがいてもつかめない物かもしれないから…。”挑戦”し続けれる。答えなんて分からない。だから、自分の信じる信念を「信じてやり続けたい」。

”ある時期の自分は、悪魔のように神経質になっていた。”

もし、他人に何かのインパクトを与えるような生き方が出来なかったとしたら
人生などそれほど重要なものではないと思う。“ジャッキー”ジャック・ルーズベルト・ロビンソン(Jack Roosevelt "Jackie" Robinson, 1919年1月31日 - 1972年10月24日)は、アメリカ合衆国のプロ野球選手(内野手)。1890年頃以降、有色人種排除の方針が確立されていたMLBで、アフリカ系アメリカ人選手としてデビューし活躍。有色人種のメジャーリーグ参加の道を開いた。一般に「黒人初のメジャーリーガー」と言われるが、これは厳密に言えばMLBが体制を整備し終えた1900年以降の「近代メジャーリーグ」を対象とした言い方である。アフリカ系アメリカ人のメジャーリーガーは1884年にアメリカン・アソシエーションでプレーしたモーゼス・フリート・ウォーカーが最初とされている。

僕は仰木監督によって生き返らせてもらったと思っています。その監督に感謝するためにも、いい成績を残したかった。ICHIROは、あの時に生まれたのです。感謝の気持ちの一本から始まり、野球人として出逢った人々への感謝の気持ちが積み重なって数字になっているのです。

ICHIRO
4,000(歴代3位)
MLB通算 2,722

ピート・ローズ
4,256(歴代1位)

タイ・カップ
4191(歴代2位)
「50cm先に転がしたヒットと、50m先に飛ばしたヒット。この両方が同じヒット一本として扱われることは、野球のルールの最も素晴らしい部分である」

現役中に、過去のことを懐かしんではいけない。
プロ入りしたとき、2000本安打打てるようになれよとスカウトの方に声をかけてもらったことを思い出しますが、今日のことは、日づけが変わるまでには終わりたいと思います。


次の目標は、次のヒットです。

だれよりも自分が(自分の活躍に)期待しています。自信がなければこの場にいません。プレッシャーがかかる選手であることが誇りです。重圧、期待はいくらかけてもらっても構わないんですけど、僕は僕以上の力は出せないので、自分の力を目一杯出すしかないということです。僕は仰木監督によって生き返らせてもらったと思っています。その監督に感謝するためにも、いい成績を残したかった。ICHIROは、あの時に生まれたのです。感謝の気持ちの一本から始まり、野球人として出逢った人々への感謝の気持ちが積み重なって数字になっているのです。

だから感謝のヒットを一本増やしたいとポジティブに考える。そう思って打席に向かえば、打席に立つのがたのしみになる。ICHIROの安打数は、野球人としての感謝の数字なのです。

世の中の常識は偏見のコレクションである。

だから世の中の常識を少しでも変えるっていうことは、人間としての生き甲斐でもあります。何かを達成した後は気持ちが抜けてしまうことが多いので、打った塁上では「次の打席が大事だ」と言い聞かせる。ちいさいことをかさねることが、とんでもないところに行くただひとつの道です。

あこがれを持ちすぎて、自分の可能性をつぶしてしまう人はたくさんいる。自分の持っている能力を活かすことができれば、無限の可能性が広がるのです。何かを長期間、成し遂げるためには考えや行動を一貫させる必要がある。そのためには、自分で無意識にやっている日常習慣のことを、もっと認知して意識をしなければならない。

準備もしていないのに、目標を語るな。夢を語るなら、準備をしろ。準備が出来たら目標を語れ。目標が出来た来たら行動しろ。結果が出ないとき、どういう自分でいられるか。決してあきらめない姿勢が、何かを生み出すきっかけをつくるのだ。

4000

4000のヒットを打つには、僕の数字で行くと8000回以上は悔し思いをしてきている。打撃に最終的な形はない。野球、打つことの残酷さがそこにある。プロ野球選手となって、1年目は打撃が楽しくて仕方ないと答えた。22年の時が過ぎ、ヒットを4000本積み重ねて…そこに楽しさなどは無い。打撃に近道はない。打撃技術として、最終系は無い。答えは無いのに野球には、結果を出し続けなくてはならない残酷さがある。

ICHIRO 4000本安打

ヒットを打ち、結果、数字を出しても、マスコミは、紙面でICHIROを叩いた。理不尽な仕打ちも愛している好きな野球だから、どんな重圧、試練、苦しみにも、挑み続けれた。そんな、追い込まれる自分を客観的に見ながら楽しめる。この世界で、数少ない。結果を出してもマスコミに叩かれる男なんだと自分を思うことができる。

ICHIROのヒットは木村投手(日生〜ダイエー)の1本から始まり1〜4000本の中には、人しれない理不尽なマスコミ報道により汚され、紙面で叩かれたヒットもあった。野球の始めは、誰もが素人、好きで楽しいから野球を選択している。それが、いつの日か嫌な気分に侵される時がくる。原因は、何か?何はともあれ結局は、自分の心の持ち方だ。ICHROは、結果を出してもマスコミに批判されて叩かれ続けた時期がある。野球は、他人に使われるゲームだ。何事も理不尽だと思えば、自分を苦しめる。理不尽な事も、自分をコントロールできれば飛躍の機会になる。


ICHIRO4000本の軌跡

一つ、一つのヒットの積み重ねにはドラマが詰まっている。「どのヒットも全てが、私にとっては価値ある一本です。」4000本安打達成によって、過去に汚された価値あるヒットを弔った。ICIHIROのヒットは、野球で出会った人々への感謝の気持ちの積み重ねなのだ。野球少年よ。ICHIRO4000本の軌跡を見ろ。

ICHIRO4000 インタビュー

「4000という数字よりも、あんな風にチームメートやファンが祝福してくれるとはまったく思わなかったですね。それがとても深く刻まれました。4000という数字、記録が特別なものをつくるのではなく、自分以外の人たちが特別な瞬間をつくってくれるんだと強く思いました。」「ヤンキースに来て思ったことは、数字のこととかどうでもよくなるんですよ。ジーターがショートにいて、マリアーノ(・リベラ)が最後を締める。そこに自分がライト(かセンター)に入って、全体の絵としてそれがきれいに収まるかどうかってことが僕にとって大事なんです。」

🎙️「鈴木一郎、オリックスブルーウエーブ」

パンチョ伊東

アメリカ野球愛好会(あめりかやきゅうあいこうかい 英語表記はAssociation of American Baseball Research)は、アメリカ野球の研究団体である。初代代表は福島良一で、現在は藤澤文洋が第2代の代表を務めている。

  • 日本で最も古く、また継続的に活動を行っているアメリカ野球の研究団体で、日米の球界関係者のほか、ジャーナリスト、作家なども会員として参加している。

  • 会の目的は「日本におけるアメリカ野球の普及、啓蒙および研究を通じ、野球文化の発展と進歩に寄与する」である。

  • 会報誌『ボールパーク』はクーパースタウンにあるアメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)に日本におけるアメリカ野球研究の資料として収蔵されている。

  • 歴代の顧問は八木一郎伊東一雄などが務めた。

  • 1977年11月18日 アメリカ野球愛好会創立(代表:福島良一)。会報誌『ボールパーク』創刊。

  • 1979年4月1日 藤澤文洋、代表に就任。

  • 1999年4月1日 機関誌『ダッグアウト』創刊。


  • 会員数:100人(2009年4月1日現在)


まさか、長い野球人生の間に、こんな事でピリオドを迎えるとは思っていなかった。しかし振り返ってみれば、ディマジオ最後のホームラン、ジャッキー・ロビンソンのホームラン…これら日本野球の歴史に残る、ものすごい当たりを見られたことはこれほど人生にとってラッキーな事があるだろうか。これから先、日米野球でたくさんのチームが来日するだろう。そのたびに新しい歴史が出来ていく。そういうことを。それを大いに期待したいものだ。それを本塁ベースの向こうからじっくり眺めていたい。ではみなさん、さようなら。

パンチョ伊東

高校1年の時、1950年ジョー・ディマジオが野球指導でフランク・オドールと2人で模範実技の披露のために日本を訪れた際、オープンカーで銀座通りをパレードした。その際に白バイと白バイの間を摺り抜け、オープンカーに飛び付いて一緒に走りながら万年筆を差し出してサインをねだったところ、快くサラサラと書いてもらった。彼とMLB選手との最初の出会いである。その後は渡米するたびにディマジオが経営するイタリア料理店に立ち寄っては顔を合わせていたが、1978年オールスターゲームの日本向け衛星中継で一緒にマイクの前に並んだディマジオにサインを久しぶりにねだったところ、「1950年以来の古き友よ」と書いてもらい感激したと述べている。

​MLBと比べての日本プロ野球犠牲バントヒットエンドラン多用、ボールを選び過ぎるスタイルには批判的であり、「野球というものは本来もっと単純なものである」と積極的な打撃戦を好んでいた。一方で、日本プロ野球の審判員の技術は世界第一だと高く評価していた。

​パ・リーグの仕事の合間を縫って、メジャーリーグの全球場を巡るのが趣味となった。アメリカにおいてメキシコ人をカリカチュアライズしたような風貌を持つこともあり、球団関係者から「Pancho」のニックネームを与えられ、次第に球団関係者のみならず選手にもコネクションを広げていき、「マイナーリーグクラスの選手でも『パンチョ』の名を知らないものはいない」といわれた。

2001年にイチローが出場したオールスターゲームでは生観戦が適わなかったが、MLBコミッショナーバド・セリグが伊東のプレゼントした黄色いネクタイを着用した。これを見つけた伊東は「粋なこと」と喜んだという。



パンチョ伊東の唯一の弟子
福島 良一 (ふくしま よしかず)

高校時代、大リーグの試合を観戦したことをきっかけに大リーグへの造詣を深め、パシフィック・リーグ広報部長で大リーグ通としても知られた伊東一雄(パンチョ伊東)に教わり、「特定の応援するチームを作らないで、大リーグ全体を楽しんでほしい」と薦められた。

1977年にはアメリカ野球愛好会を結成して代表に就任したほか、大リーグジャーナリストとして、NHK(衛星第1テレビ放送)やフジテレビの大リーグ中継の解説者として活躍する傍ら、評論・解説書を多数執...筆する。

TBSテレビの大リーグ中継『MLBスタジアム』の解説、大リーグ情報番組『MLB主義』の監修も担当。

著書 大リーグ物語(講談社現代新書、1991年)
大リーグ雑学ノート(ダイヤモンド社、1997年)
大リーグ雑学ノート2(ダイヤモンド社、2000年)
素晴らしいアメリカ野球(光文社知恵の森文庫、2001年)


RESPECT 51


野球人生で貫けたことは
野球の事を愛した事だと思います。

人は必ず障害に出会う
誰もが負けそうになる
そこで頑張れる人間になりたい
前向きな姿勢で
夢を持って歩んで行きたい


PRIDE 51

#オールカテゴリ部門 #エッセイ部門 #創作大賞2024

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