【小説・ヴィーナス症候群】(889)南アルプスのイレブン
「清水、落とせ!」
センターライン付近でルーズボールを回収した河西が、すぐさま前線へ鋭い指示を飛ばした。
フォワードの清水が相手ディフェンスを背負いながら頭で落としたボールは、正確に狙いすました位置へ弾む。
そこへ走り込んできたのが、ボランチの河西だった。
相手のボランチが激しいプレスをかけてくるが、河西は得意のすばしこい身のこなしでそれをいなす。
ワンタッチで相手の逆を突き、一瞬で前を向いた。
その目には、すでに貢川中ディフェンスのわずかな隙間が見えている。
「小林、走れ!」
ディフェンスラインの裏へ、絶妙な強さのグラウンダーのパスが通る。
完全に抜け出した小林が、キーパーとの一対一を冷静に制してネットを揺らした。

ピピッ――!
直後に響いた長いホイッスル。
スコアボードの代わりのパイプ椅子の上には、2-1の数字が残された。
国中中サッカー部にとって、地区屈指の強豪である貢川中からの白星の瞬間だった。
「ナイスパス、河西! マジで最高のタイミングだったわ!」
汗だくの小林が駆け寄り、河西の手を強く握った。
「おう、小林が信じて走ってくれたからな。あそこのスペースしかねえと思って出したわ」
さっきまでの鋭い目つきから一転して、河西はユニフォームの裾で顔の汗を拭いながら、どこか照れくさそうに笑った。
ピッチの上での彼は、チームの攻守の要として誰よりも真摯にボールを追いかけていた。
背中には、誇らしげに「KUNINAKA SOCCER」の文字が躍っている。
社会科教諭でもある顧問の古屋は、満足そうに頷きながら部員たちを集めた。
「貢川相手にこれだけやれたんだ、中体連の大会への自信にしていい。だが、本番はこれからだ。浮かれずに、しっかり体調管理をすること。いいな」
「「「はい!!」」」
梅雨明けの強い日差しの中、国中中サッカー部の面々の顔には、確かな充実感と、これから始まる大会への希望が満ちあふれていた。
「あー、マジで疲れた! フードコートの冷房、生き返るわ」
練習試合の後、深沢、田中、清水、望月、磯部、金丸、渡辺、保坂、小田切といったメンバーたちは、そのまま地元の大型商業施設「くになか20モール」に繰り出していた。
部活のジャージ姿のまま、フードコートでポテトとコーラを囲んでだべり、ひとしきり今日の試合の反省とこれからの大会の夢を語り合う。
「そろそろ帰るか」
誰かの声をきっかけに、少年たちはゾロゾロと立ち上がった。
エスカレーターを降り、同じフロアの特設会場を通りかかったときだった。
そこでは、週末のブライダルフェアが開催されており、純白のウェディングドレスが華やかにディスプレイされていた。
「うわ、なんかやってる」
田中が足を止めた。
その視線の先、フェアの入り口に、一人の美しい女性が立っていた。
ビスチェのドレスを纏ったその女性には、両腕がなかった。
「腕のない人?」
「あ! これ、あれじゃね!?」
いつもは真面目なゲームメーカーである河西が、珍しく目を輝かせて声を上げた。
試合に勝った高揚感が、彼のブレーキを少しだけ緩めていた。
「ほら、こないだ『グヂャグヂャグヂャラート』でやってたやつ! ピアニストの小枝恵がゲストで出ててさ、『このドレスっておっぱいが楽なの!』って絶賛してたやつだよ!」
「あー! 『グヂャ』の番組のやつか!」(本編869話)
「マジだ、おっぱいドレスじゃん!」

バラエティのノリを思い出した少年たちは、一気に悪ノリのスイッチが入った。
クスクスという笑い声が伝染し、周囲の視線も気にせず大騒ぎし始める。
仲間たちに煽られ、試合の興奮が抜けきらない河西は、ピッチの上で見せるようなすばやい動きでドレスの前に躍り出た。
河西は冗談半分で、静かに佇む彼女の体に正面からがっしりと抱きついた。
その瞬間。
「キャーーッ!!」
静寂を切り裂くような、その両腕のないモデルさんの鋭い悲鳴が響き渡った。
明確な拒絶と恐怖の叫びに、一瞬だけ場の空気が凍りつく。
しかし、悪ノリが極限に達していた少年たちにとって、その悲鳴すらも「ゲームの演出」の一部でしかなかった。
「うお、マジで怒られた!」
「やべえ、逃げろ!」
河西はパッと手を離すと、すばしこい身のこなしで反転した。
「KUNINAKA SOCCER」の青いジャージ集団は、モールの通路を一目散に駆け抜けた。
買い物を楽しむ一般客の間をすり抜け、笑い声を響かせながら、自動ドアの向こうへと飛び出していく。
夕方の心地よい風が吹くロータリーまで逃げ切ると、全員が膝に手を当てて激しく息を切らせた。
「ははっ、ヤバかったな、マジで」
「俺ら、今日のピッチより走ったんじゃねえの?」
全員がドッと爆笑した。
「じゃあな! 明日の練習も遅れんなよ!」
「おう、中体連、絶対勝とうぜ!」
夕日に照らされた国中市の街並みの中、少年たちはどこまでも爽やかに、互いに手を振り合って解散した。
#AI小説 #小説 #ヴィーナス児 #ヴィーナス症候群 #近未来小説
#夜久野由美
