【小説・ヴィーナス症候群】[237]怪談みたいに扱わないで
茨城・土浦市。
常総筑波百貨店の6階催事場では、ドレスブランド「Felice」の展示イベントが静かに進んでいた。
会場の片隅、白いチュールとサテンが絡む撮影用のセットの中央に、黒髪を後ろでまとめた若い女性が立っている。
両肩から先がまったく存在しないその身体に、華やかな生成りのドレスがぴたりと寄り添っていた。
呼続芽衣――生まれつき両腕のないヴィーナス児に多い職業「トルソーさん」として、今日はこの土浦の百貨店に呼ばれていたのだ。
「はい、OKでーす。芽衣ちゃん、そのまま動かずにね。もう一カットだけ。」
カメラマンの声に軽く頷く。会場の空気は落ち着いており、スタッフも皆丁寧で、現場は無事に終わった。
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帰り道、トルソー仲間で茨城出身のツムちゃん( #戸頭紬 )から聞いていた土浦のレンコン料理の名店「福田屋」に立ち寄ることにした。
駅から少し歩いた場所、古びた木の引き戸が目印の定食屋。暖簾をくぐると、女将さんが「いらっしゃい」と柔らかく声をかけてきた。
「レンコン天定食、お願いできますか?」
「はいよ。ちょっと時間かかるけど、いいかい?」
「大丈夫です。」
芽衣はそう答えて、カウンター席に腰を下ろした。リュックからスマホを取り出し、X(旧Twitter)を開く。
すると、トレンド欄のひとつに、見覚えのある名前が目に入った。
――「成瀬ひとみ」
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一瞬、頭の中が空白になる。
……どこかで聞いた。いや、知っている。ああ、そうだ――高校の時の、あの子だ。
文化祭の準備。クラスの出し物はお化け屋敷だった。
教室に集まったとき、あの子が言ったのだ。
「芽衣、お化けやんなよ! その体、インパクトあるって!」
「いや、人の体を怪談みたいに使われるのはちょっと……」
その場にいたクラスメートの近藤が笑って、「あー、面倒くさくなるなら呼続いらねえ!」と続けた。
成瀬ひとみは眉をひそめて、
「ほら……人気者になるチャンス逃しちゃったじゃん。日陰者でいいの?」
あの子は、人を勝手に“演出”しようとするタイプだった。悪意ではない。むしろ善意のつもり。だから質が悪かった。
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画面をスクロールすると、今の彼女の肩書きが見えてきた。
「労務の仕事に派手さはありません」
「人と人をつなぐ“潤滑油”として、現場を整えていきたい」
現在は、労務関係のコンサルタントをやっているようだった。
「派手さはありません」「人と人とをつなぐ潤滑油」なんて言いながら、実際にはインフルエンサーかキラキラ広報並みにSNSで大活躍しているようだった。
こういうのも、あの頃と変わりない気がした。
そのうち、レンコン天定食が運ばれてきた。
「お待たせしました。蓮根、揚げたてだよ。」
香ばしい香りと熱気が顔を包む。
サクサクの天ぷらに甘辛いタレ。噂に違わぬ美味しさに、芽衣は箸を進めながら、ふとスマホに視線を戻した。
……ところであの子、何をやらかしたの?
土浦駅のホームは、夕暮れの陽に照らされていた。
芽衣は1番線に滑り込んできた品川行きの常磐線・快速電車に乗り込み、端のロングシートに腰を下ろす。ドレスは着替え済み。黒のタンクトップにカーキのスカート。

レンコン天定食で満たされた胃をなだめるように、深く息を吐く。
そして再びスマホを開いた。
──#成瀬ひとみ
──#潤滑油講師
──#ハラスメント対応失敗
やっぱりまだ燃えてる。
指が自然と動いて、関連投稿を読み込んでいた。
「被害者なのに、説教された。“あなたは評価されてますよね?”って。どの立場から言ってるんだよ」
「この人、第三者窓口って言ってたけど、“第三者”じゃなかった」
「インフルエンサーのあの人ですけどね。共感しますって顔で、全部ごまかされた」
……なるほどね。
あの子、今は労務系コンサル会社の契約講師か。
「ハラスメント対応」を担当して、その結果がこれ、か。
「人と人をつなぐ仕事をしています」
「空気を整えること、それが第一歩」
「“誰も悪くない”と言える現場づくりを」
まだ、そんなことを言ってるのか。
そんな調整、ただの痛みのすり替えじゃないか。
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電車は荒川沖を通過し、牛久に停まった。
「潤滑油」なんて、そもそも無理だったんだ、あの子には。
できることといえば、弱者を“強者の都合”に差し出すこと。
一番安全な側につきながら、“調整役”を名乗る。
学力だけはあった。でも──自分を持っていなかった。
そして、そういう人間ほど、自分を変えられない。いや、変えようとしない。
まあ、放っておこう。
炎上なんて、風が吹けば鎮まる。
そう思いかけたとき、画面に一つの投稿が流れてきた。
「私は昔から“潤滑油”でした。高校のときも、障害のあるクラスメートを孤立の淵から救おうと奔走して、感謝されました。それが現在のわたしの原点です。」
……は?
障害のあるクラスメート?
それって、私のことだよね?
感謝……?
いや、してない。むしろ、お前の“善意”に迷惑してたんだよ。
静かにスマホを伏せた芽衣は、目を閉じる。
けれど、気持ちは落ち着かない。
静観なんか──もう、できない。
電車は利根川を渡って千葉県に入った。
車窓には、住宅地だけではなく高いビルも増えてくる。
彼女はスマホを操作し、新しいアカウントを立ち上げる。
プロフィールは空白。フォローもフォロワーもゼロ。
名義は「Jane Doe」とでもしよう。身元不明の女性死体はそのように呼ばれるのだと、前に読んだ海外小説で見たような気がする。
──あくまで、芽衣ではない誰かとして。
一呼吸。思い出すのは、あの文化祭。
「芽衣、お化けやんなよ! その体、インパクトあるって」
「ノリ悪っ!」
そして今──「孤立から救った」とか勝手に言ってる。
息が熱い。義手の指先に少し汗がにじむような感じすら覚えた。
だけど、打鍵は止まらない。
「障害のあるクラスメートって、あの義手の子のことだよね?
めっちゃブチ切れてたよ。
手がないからって文化祭でお化けやらせようとしてたよね。
感謝?されてなかったけど?」
改行も少なく、語尾もフラットに。
感情を抑えたようで、却って鋭い。
送信ボタンに親指を乗せた。
──ポチ。
車窓の右手から流山線の電車が視界から消える。
たしか、ここは馬橋。
感覚のない両手が、震えたような気がした。
何か、線を越えた。
……後は野となれ、山となれ。
•
江戸川を渡り、電車は東京都内に入る。
スマホに目を戻すと、通知が荒れ始めていた。
「え、なにこれ本当?」
「証言来たじゃん」
「#障害者いじめ」
「#潤滑油講師炎上」
──トレンドが加速していた。
ひとみのXアカウントには、「これはいじめではありません」と書かれた最新のポスト。
フォロワーとのやりとりもままならず、リプ欄は地獄のような荒れ方だ。
やがて、彼女の所属するコンサル会社の公式アカウントが投稿を行った。
「当社社員による一連の発言・対応について、深くお詫び申し上げます」
「社としての対応を協議中です」
──あーあ。
•
電車は日暮里を出て上野東京ラインと合流し、終点・品川に到着する。
芽衣はゆっくりと席を立ち、降り際に最後の確認だけしておいた。
──成瀬ひとみのアカウントは、削除されていた。
•
これから先、あの子の身に何かが起こったら。
芽衣は、完全に無関係とは言えないだろう。
けれど。
でもまあ──あの子は、生きながらえるさ。
あの子ならできる。
また、どこかで何かを「整える」側にまわって。
そのたびに誰かを傷つけながら、それでも、自分だけは“いい人”でいたいと思い続けるんだろう。
そんなふうにして、人は潤滑油として焼きついていくのかもしれない。
(了)
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