【小説・ヴィーナス症候群】[589]新潟での仕事
生まれつき両腕のないヴィーナス児が一定の割合で生まれてくるこの国では、アパレル産業に「トルソーさん」と呼ばれる仕事がある。
正式には衣料展示支援従事者。
フリーの「トルソーさん」呼続芽衣の次の仕事は、新潟の結婚式場で行われるブライダルフェアだった。
さすが雪国だけあって、駅前から少し外れた住宅街の家々には、軒先に立派なつららが下がっている。東京で見る飾り物のような氷とは違い、重さと鋭さを感じさせる、本気のつららだった。
式場に向かう途中、芽衣は時間に少し余裕があったので、駅近くの大衆食堂に入った。
壁のメニュー表に迷いはなく、エビフライ定食を頼む。
運ばれてきた定食は、サクサクのエビフライもさることながら、ご飯がやたらとうまかった。
一口目で「あ、これは危ない」と思うほどだ。
さすがは新潟。米が主役の定食だった。
おトイレに行けない「トルソーさん」の仕事前に、こんなにしっかり食べてしまっていいのだろうか。
プロとしてどうなんだろう、と一瞬だけ頭をよぎるが、箸は止まらなかった。
ふと店の外を見ると、見慣れない乗り物が停まっている。
オート三輪だ。
昭和の映画でしか見たことのない、前が一輪で後ろが二輪の、あの独特の形。
「まだ動くんだ……」
そう思いながら店を出て、芽衣は結婚式場へ向かった。
式場に着くと、控室でドレスに着替え、義手を外す。
静止した身体として、衣装を支えるための準備だ。
そのとき、外が少し騒がしくなった。
まさか、と思って窓の外を見ると、さっきのオート三輪がこちらに向かっている?

そのオート三輪は食堂の人だった。
「はい、忘れ物」
差し出されたのは、芽衣のスマホだった。
「すみません、ありがとうございます!」
「両手がロボットだったからさ。ああ、結婚式場でドレスの展示会だな、ってすぐわかったよ」
照れくさそうに笑いながら、そう言う。
芽衣は思わず、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
仕事で各地を回っていると、こういう瞬間に出会うことがある。
新潟の冷たい空気と、軒先のつららとは裏腹に、確かに人情は温かかった。
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